ダンシャン氏と謎のX

「部屋の中にいたのが彼だけではなかったのは確かなようですね」

そう述べたのは私立探偵のマクダフ氏であった。

 部屋の中央に置かれたコーヒーテーブルに突っ伏しているのは公認会計士のダンシャン氏で、この部屋を自身の事務所として借りていた。

 このビルのオーナーである私がここに来たのは四時で、そのときにはすでに部屋はこの状態だった。驚いた私は上の階に間借りしているマクダフ氏に相談を持ち掛けた。もちろん警察に相談するのが筋なのだろうが、私にも警察に相談しづらい事情があった。

「このビルの出入り口にある防犯カメラの映像を見る限り、ダンシャン氏と一緒にいたのはこのビルの他の店子の一人に間違いないでしょう」

 防犯カメラによるとダンシャン氏がこのビルに来たのが一時。それ以降にビルから出て行った人物はおらず、ダンシャン氏とともにこの部屋にいたのは以下の三人のうちの一人だとマクダフ氏は断言した。

 部屋に二人の人物がいたのはコーヒーテーブルの上に置かれた二つのコーヒーカップが証拠だ。もっとも、カップの中身が単なるコーヒーでなかったことは倒れ伏したダンシャン氏をみれば一目瞭然だ。もしくはマクダフ氏のようにカップの臭いを嗅げば。

 一人目は金貸しのゴルドー氏。私が見たところではまともな金貸しなのか怪しい。違法金利で貸したり、マフィアとつながりがあったり、ということではなく、仕事中に酔っぱらっていることがしょっちゅうだという意味でなのだが。

 二人目はプランタ夫人。この人はなにかの教室を開いているようなのだが、時には料理も教えるし、外国語も教えるし、ダーツなんかも教えたりするのでいったい本当は何の先生なのやら。

 三人目はワン氏というご老人で、いったいこのビルに部屋を借りて何に使っているのかまったく不明。ただ、お金を持っていることには間違いがなく、ダンシャン氏の顧客の一人だった。

「この三人の中に……」

「ええ、いわゆる“犯人”がいるのは間違いないかと。それが誰なのかは、実際に三人と話さないとわからないでしょうね」

 ダンシャン氏をこのままにしておくのは忍びなかったが、マクダフ氏が「現場保存の鉄則」とやらを唱えるので仕方なくそのままにし、我々はひとまず上の階のゴルドー氏の事務所に向かった。

 ゴルドー氏は明らかに酔っぱらって寝ていたので、私たちは今度はダンシャン氏の事務所だった部屋のちょうど真下にあるプランタ夫人の教室へ向かった。

「ダンシャンさんですか。いいえ、ここしばらくお会いしておりませんわ。どうしましたの?」

 プランタ夫人は猫を撫でながらそう答えた。

「ダンシャンさんにはよく教室経営の相談に乗っていただいておりましたの。あの方は本当に紳士ですのね。ゴルドーさんとは大違い……いえ、あの方も悪い人ではないですが。もう少しお酒を控えてくださればねぇ」

 それはおっしゃる通りと思いつつも、このビルにペットを持ち込むのはやめてほしいとオーナーの立場としては嘆かざるを得ない。しかし、それはおくびにも出さずにプランタ夫人にいとまを告げて我々はワン老人の部屋に向けて出発した。

 プランタ夫人の部屋にいる間、マクダフ氏はなにかの臭いを嗅いでいるようだった。

「なんの臭いを嗅いでいたんですか?」

「マタタビ。あの猫は夫人のものじゃない。捜索依頼の出ている迷い猫だ」

 ワン老人は漢方薬の臭いとともに出迎えてくれた。

「ダンシャン?あいつが今日来ているのか?」

「ええ、まぁ」

 ワン老人はダンシャン氏に好意的なので、私はあの部屋の惨状を見せる気にはなれなかった。もっとも、だれが相手でも知らぬ存ぜぬで通すつもりだったが。

 マクダフ氏はワン老人の部屋に飾られている骨董品のナイフに興味があるようだった。

「これは?」

「なに、大した価値のある品ではない。単に薬を削ぎ落すのに使っているだけでしてな」

「譲っていただいても?」

「かまわんよ」

 マクダフ氏は古びたナイフを手に入れて満足げだった。

 ワン老人の部屋から出た後、私はマクダフ氏に問いかけた。

「さて、もう一度ゴルドー氏の部屋に行きますか?起きているかもしれない」

「いえ、その必要はないでしょう。もう“犯人”はわかりましたから」

マクダフ氏はそう自信満々に断言した。


「まず、プランタ夫人ですが、彼女は迷い猫を懐かせるのにマタタビを使っていることを除いては何の罪も犯していません」

 マクダフ氏はそう言い切った。

「迷い猫に関しては、あとで私のほうから元の飼い主に返しておきますので。

 ワン氏も怪しいところはありません。まあ、このかっこいいナイフ――骨董風の最近作られたものですがいい趣味です――を手に入れられたので無駄足ではありませんでしたが。つまり“犯人”は残る一人……ゴルドー氏です」

「つまり、ゴルドー氏が、ダンシャン氏とダンシャン氏が引っ越して出て行ったあの部屋で酒盛りをして、あげくに酔いつぶれてテーブルに突っ伏して寝てしまったダンシャン氏を放っておいて帰ってしまった謎の人物だと言いたいわけですか」

 まったくもって意外な人物でない。

 私はゴルドー氏に後で注意するとともに、空室の鍵は閉めておくよう気を付けなければと心に誓った。防犯対策の不備を怒られて防犯カメラを付けたばかりなのだから。


《制限時間2時間、お題:誰かと公認会計士、必須要素:文を動詞の現在形で終わらせない》

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