世界握り

「こちらの保険に加入していただきます」

「……保険、ですか」

 三山は困惑した。


 「ララ・グルメ」の編集長が幻の寿司を取材してくるように命じてきたのは昨日のことだった。

「なんでもそれは、その店でしか食べられないネタなんだそうだ。メニュー表には載せていない、裏メニューという奴だな」

「はぁ。そして、「ララ・グルメ」がそれを取り上げた最初の雑誌になると」

 新幹線と在来線、ローカルバスを乗り継いで三山がやって来たのは××県山中にある寒村だった。「スシマサ」という店は荒れ果てた畑の中に立っていた。「マサ」の字は三山が初めて見る漢字だった。

「らっしゃい!」

 店内はカウンターにイスが一つ。奥に個室が一つ。本当にこんな所に幻の寿司があるのか疑問に思うほどに寂れた感じの寿司屋だ。

「大将、ここには幻の寿司があるそうですね。それをいただいても?」

 取材であることを明かし、二、三の寿司を食べた後、三山はそう切り出した。

「……“世界握り”ですかい」

「そういう名前なんですね。それを一つ」

「それを頼むんでしたらね、お客さん」

 そう言うと大将はカウンターの下から書類一式を取り出した。

「こちらの保険に加入していただきます」


「そうです、保険。……世界握りはね、生半可な覚悟で食える寿司じゃないんですよ」

「……つまり、毒魚の類いですか?」

 三山は尋ねた。

「そんなんじゃありませんよ。ただ、世界握りはまさしく究極の一品だ、ということです」

 書類は怪しいことこの上ない。セカンダ総合保険という社名に聞き覚えはない。それでも究極の一品と言われて、三山の好奇心は警戒心を下した。

「わかりました。契約をします。サインと捺印と……」

 出来た書類を大将に渡す。

「承りました。世界握り一丁!」

 冷蔵庫から取り出されたのは白身の魚。

「それが世界握りのネタですか」

「へい。バハムタと言います」

 恐ろしく大きな魚のようだ。取り出されたのは縦横三十センチはあるブロックだった。大将はそれを薄く削ぎ落とし、バラの花弁のようにシャリの上に載せる。

「おまち」

 写真を撮ってから三山は世界握りを口に運んだ。

 その瞬間、口の中で宇宙がはじけた。淡泊な白身の花弁はとろけるように溶け、ほぐれたシャリと混ざり合う。刺激を加えるのはワサビ――否、ワサビをベースにいくつかのスパイスがブレンドされている。

 スパイスの刺激が恒星のように口の中で輝き、白身だったものとシャリがその周りを回る。シャリの語源が仏舎利なのだとすれば、まさしく無数の仏が描く曼荼羅が宇宙を形作る。

 三山には今、世界の意味が全て分かった。宇宙とはなんなのか、神とはなんなのか。三山には深宇宙で燃える恒星の爆発が小さな塵を押し出したことが分かる。その塵が渦巻いてやがて地球になる様が、原始の一粒一粒の単位で感じられる。

 生命の誕生、恐竜の滅亡、哺乳類の進化、人間の誕生。時間は三山にとって密度を増したように感じられる。三山はそれに触れてみようと思った。


パキッ


 気が付くと三山は自分のアパートにいた。郵便受けから一枚の封書が投函されていた。

「三山様の損害分の補償をお支払いします。セカンダ総合保険」

 「ララ・グルメ」は出版社ごと無くなっていた。三山の縁者は全員存在しなくなっていた。信号機の色は赤黄青の三色になっていた。エトセトラ、エトセトラ。


 三山は「スシマサ」に行こうとしたが、××県というのがどの地図にも載っていなかった。

 もはやここは自分の知る世界ではない、と三山はカメラに残された世界握りの画像を見ながら嘆いた。世界握りのネタはまさしく自分が知る世界そのものだったのだと。

 損害は補償されている。月極駐車場の上空に、三山のアパートの部屋が浮かんでいる。


《制限時間1時間・お題:不思議な保険 必須要素:寿司》

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