第44話 すれ違う思い

例の舞踏会が終わってからも、伯爵邸で変わらず働いている。

ただ、以前よりもリュシアスとの距離は置くようになった。

しかしそれも当然なのだ。

私は男爵家出身の侍女という立場でしかない。

もとより弁えるべきだったところを、ずるずると正せないでいただけなのだ。

お子様方もやや心配そうにされているが、致し方ない。


食卓を共にすることも辞退させてもらった。

その旨をリュシアスに伝えたときは、やや寂しそうな顔をしていたが、特に追及されることもなく承諾の返事をもらえた。

ダンス直後からの私の変化に気づいている様子だった。

明らかに拒絶の意思を示しても、こうしてすんなりと受け入れられてしまうとは。

さすがに、少しは止められると思っていたのだけど……。

すんなり承諾されてほっとしたのとともに、そんな未練がましい思いが浮かんで、思わず頭を振る。


これ以上一緒にいれば、もうその先はわかっている。

自分の気持ちに歯止めをかけられる今ならば、前世のように最愛を失くす悲しさから逃れられる。

私は、幸せになりたい。

このまま子どもたちの侍女として、仕事に専念するのが私の幸せ。

そう言い聞かせて、リュシアスから離れる。

それでいいんだ。



*****


数日後、リュシアスから呼び出されたため書斎に伺う。

あの後からも必要以上に接触することはなく、雇い主と侍女という立場をわきまえて、一線を引いて対応している。

リュシアスも私の行動の意図を分かっているのか、それにならって対応してくれている。

平穏な日々を迎えたのに、前よりも余計に虚しさが胸を埋め尽くしている。

そんな中での呼び出しに、緊張で息苦しくなる。

無視したいのにさせてくれない自分の心に、苛立ちが募る。


震える手をきつく握りしめ、重厚な扉の前で深呼吸を繰り返す。

何度繰り返しても落ち着かない心臓にあきらめを覚え、意を決してノックする。

コンコン。


「ティアーナでございます。」


「あぁ。どうぞ。」


すぐに返事がくる。

いつも通りの落ち着いて通る声。

また一層鼓動が高鳴るが、どうにか足を踏み出す。


「失礼いたします。お呼びでしょうか。」


「うん。そこにかけてくれる? 少し相談があるんだ。

すぐにこの書類が終わるから、椅子に掛けて待ってくれるかな。」


書斎で書類に目を通していた顔を、少し上げてこちらを見る。

いつも通り麗しい顔に、綺麗な笑顔を浮かべて。

はい。今日もイケメーン!

そんなサービスいりませーん!


「では、こちらに失礼いたします。」


促されたソファに腰掛ける。

横目でさらさらとペンを動かすリュシアスを見る。

はぁ。見なければいいのに、吸い寄せられるように見てしまうのはどうしてだろう。

リュシアスの存在自体が花のようなものなのだろうか。

吸い寄せられて、そのままぱくっと食べられてしまうのではないのだろうか。

え。食虫植物だった?

それはちょっとビジュアル的に違うのでは……?

やっぱり例え下手だわ。

リュシアスは魔法使いなのだから、何か魔法を使っているとか言った方が正しいのでは?

生まれたその時から、存在自体が魅了魔法!

自分の意志さえも無視して、魅了をかけまくる体。

うむ。こっちのがしっくりくるかも!

しかし、そんなの厄介なことこの上ない。イケメンも大変なのだろうなぁ。


「ティアーナ。終わったけど、どうしたんだい? 何を考えているの?」


はっ!

またいつもの脱線思考に陥っていたようだ。ぼんやりしすぎてしまった。

気を引き締めようと思っていたのに、変に気が抜けてしまった。


「いいえ。少し疲れていたので、ぼんやりしていただけです。失礼いたしました。」


気づくとリュシアスがソファのところへ移動してきていた。

目の前にいるのを認識して、また緊張が高まっていく。

心配する目を間近で見て、胸がぎゅっと締め付けられる。

またすぐに瞼を伏せて、視線をかわす。

それを見てリュシアスはまた寂しそうな顔をしたが、ティアーナの目には入らなかった。


「そう。それならいいけど。体調は悪くないのか?」


「えぇ。問題ありません。大丈夫です。」


「無理をしないで、何かあればすぐに言ってくれ。」


「はい。ありがとうございます。」


気を遣ってくれているのに、素っ気なく返す自分の言葉が寒々しい。

言葉を発するたびに、自分のことが嫌になっていくようだ。


「それで、今日君を呼んだのは、先日の舞踏会でフォーリム夫妻と約束した件についてだ。

今度娘のグレースも招待して、室内遊具で遊んでもらおうと思う。

日程が調整できたから、その準備をお願いするよ。」


「かしこまりました。」


「子どもたちが遊ぶ傍らで、軽く接待しようと思う。

君にもそこに同席して欲しいんだ。いいだろうか?」


「……そうですね。舞踏会でご挨拶もほどほどに退席してしまったので、再度ご挨拶させていただきたいですが、逆に、私がご同席させていただいてよろしいのでしょうか。」


「もちろん、構わないよ。これは私の願いで命令ではないし、嫌ならば断わってしまっていい。

ティアーナがしたいことをしてくれればいい。」


リュシアスは優しい目をして、ティアーナに言う。

この人はいつでも私に甘い。

なぜそこまで、盲目的に私を甘やかすのか。

理由がわからない。

私は何も持っていないのに。

リュシアスのように、人を惹き付けて止まない美貌も、富も、名声も。

あるのは、前世の記憶だけ。

それもただの一般人の記憶。

何一つ魅力的なものなんてないじゃないか。

もうこんな私に構うのはやめて欲しい。



「はい。かしこまりした。話も終わりなようなので、失礼いたします。」


「……ああ。よろしく頼むよ。」


何か言いたげに、しかしそれを飲み込んでリュシアスが返事をする。

そう、もう甘い言葉はいらないから。

おもむろに立ち上がり、一礼して振り返らずに部屋を出る。


切ないため息が部屋を満たしているのを、ティアーナは知らない。

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