第8話 穏やかな時

燃えるような激しい恋ではなかった。

けれど穏やかに、確かな絆で繋がれていた。


彼との出会いは大学に入学したばかりのころ。

サークルに入り、直ぐに行われた歓迎会。

たまたま隣の席になった……よくある出会い。

穏やかに話し、話を聞き出してくれる彼。

低く柔らかな笑い声が印象的だった。

私と同様、親戚の子どもとたくさんふれあう経験をした彼も子どもと触れあうのが好きな人で、小学校の教諭になりたくて大学進学したそう。

私は幼稚園の教諭を目指していた。


ふたりで一緒に過ごすようになるまで時間はかからなかった。

むしろ離れているのが不自然なほどになった。

ゆるやかに、おだやかに。

心地いい時間の流れに身を任せていた。


卒業後、ふたりとも希望通りの進路へ進むことができた。

卒業を機に結婚もした。

ヘトヘトになりながらも、ふたりでいられる幸せで溢れていた。

仕事になれてきた3年目をすぎ、ようやく子どもをもつ機会に恵まれた。

まさかの双子。

予想外でびっくりしたが、いっぺんに増える家族に期待も大きく膨れていった。


無事に誕生してくれた子どもたち。

来渡らいと未来みくと名付けた。

ふたりの世話におわれあっという間に時間がすぎていき、すくすくと育ってすぐに大きくなっていった。

お父さんになった彼も、子どもをとても可愛がって時間が許す限り相手をしてくれていた。

こどもたちもそんなお父さんが大好きで、ふたりで腕を取り合う姿はとても微笑ましい光景だった。

いつまでもこの穏やかな時が続くことを疑うことはなかった。



子どもたちが10歳を過ぎた頃、それは突然に訪れた。

突然なりだした電話に嫌な予感がした。

取らなければいけないのに、取ってはいけない気がした。

矛盾した思いに身動きがとれず、鳴り続く電話を見つめて立ちすくむ。

いつまでも鳴り続くはずもなく、留守番電話に切り替わる。

ざわつく胸をなだめ、ようやく手を伸ばして受話器をとる。


――――あぁ。やっぱり。

取るんじゃなかった。



混乱する頭で、どうやってかたどり着いた病院。

どんよりと黒い雲が広がり、いまにも雪が降りそうな空模様。

冷たくなった彼が横たわっていた。

私の冷えた手を重ねても、温め返してはくれないその手を呆然といつまでも見つめ続けた。



急すぎる死別は、遺された者たちに大きく陰を落としていく。

綺麗なかんばせは、顔色が悪く疲れて寝ているだけなのだと思うほど。

彼に似ている人形が横たえられているだけでは?

ただ会えなくなってしまっただけなんじゃないのか?

そんな考えだけが頭を占める。

ここに、隣に、いないだけ。

ねぇ。はやく帰ってきて笑って。


長い間、呆然とぼんやりとした日々を過ごした。

ふとした瞬間に訪れる空虚な感覚は、なんとも言い難く、じりじりと身を焦がすようだった。

少しずつ薄らぐ記憶に焦りや悲しみを覚えても、否応なしに訪れる生活。

やるせなさや、不安、様々な感情がないまぜになって、生きていくことに精一杯だった。

それでも子どもたちや家族に支えられ、子ども達を遺して彼を追わなかったのが、せめてもの救いだ。

子どもたちも大変な思いをしていたにちがいないのに、母親を支えようと、一緒に支え合おうとしてくれている姿は、本当に頼もしくありがたかった。


いつまでも同じことなど無いのかもしれない。

不変なもの……確かだと思っていた彼への想いでさえも変化してしまった。

いつもいつでも後悔しないように生きていく。

理想はこれだが、でも人は後から悔やむことだらけだ。

たまに振り返り反省しながら、幸せと思える時間を重ねて生きていくことが出来たら……。

いつでもこの生が終わってもいいと思えるように、日々を過ごしていくことを私の課題にした。


子どもたちともたくさん話した。

生のこと、これからの生活のこと。

たくさん泣いて、笑って。

彼への思いは募るけど、それさえもさらけ出して癒しあい、支えあって過ごした。

来渡は彼と同じ小学校の教諭に、未来は私と同じ幼稚園の教諭になった。


ふたりの卒業式、成人式、どれも思い出深いが、初任給で連れていってくれた食事がなによりもの思い出だ。

彼がいない重圧はあまりに大きかったのだろう。

無事に子育ての節目を迎えられた気がして、嬉しさに涙が込み上げた。

これからは自分の余生を楽しむ時間を過ごせるようになるんだなぁ。



――――そう、思ってたんだけど。

こんなにあっさり終えてしまうなんて思いもしなかった。

あぁ。子どもたちが気の毒だなぁ。

成人して、一人立ちしてくれていたのがせめてもの救いか。

いつか大切な人と幸せを重ねていってくれていたらいいな。

たくさん苦労をかけてしまったけど、二人に出会えてたくさん幸せだった。

彼との時間も予想外に短いものになったけれど、かけがえのない幸せがたくさん詰まったものだった。

私は課題を達成できたのかな――――。

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