Act.8

 昼の仕事は定例会議への出席だった。おおやけには存在しないとはいえ、第九機関が国の機関のひとつであることは事実だから、ときには《調整人コーディネータ》として“上”の人間たちの居所へ足を運ぶこともある。普段の任務の報告は《伝達人メッセンジャ》が担っているけれど、組織の方針や大きな割り振りを決定するための会議となると、僕たち《調整人コーディネータ》が出向くことになる。今日はその日で、僕は惟を連れて新市街の中心部、官庁街までおもむいた。僕たちの仕事は、夜だけとは限らない。この官庁街で、日に何十何百と開催される会議に紛れて集うことも往々にしてある。万一の襲撃に備えて、全員が揃うわけではないが、それでも架空の団体名で押さえられた会場には、毎回、見慣れた顔もあれば、初めて見る顔もある。実力主義の第九機関で、《調整人コーディネータ》を長く務められる人間は多くはない。毎年、何人かは《キャスト》を降り、また何人かは、粛清するべき“敵”に殺されていく。

 会議自体は滞りなく終わり、僕は新たに命じられたいくつかの仕事について、僕が束ねる《キャスト》をどう指揮するか、早くも考えを巡らせていた。

 昼下がりの官庁街は、様々な訪問者で賑わっている。スーツ姿の人間もいれば、ラフな格好の人間もいる。惟も今日はパンツスーツに身を包み、メイクで外見年齢を引き上げている。今の僕と惟はさながら若手の社長とその秘書といういでたちだ。

「早くこの街区を抜けよう、優誠」

 人の多い場所は落ち着かない。

 惟が周囲に最大限の警戒をしながら、僕にささやく。そうだね、と僕も足を速めた。この雑踏の中では狙撃しにくいだろうけれど、用心するに越したことはない。ここを抜ければ、僕たちを送迎する《運搬人ポータ》の車が待っている。

 けれど――


――シュパッ。


 どこか間抜けな、けれど聞き覚えのある音が、すぐ傍で鳴った。

 身構えた刹那、僕と擦れ違った男性が、僅かに体を痙攣させ、その場にくずおれる。


――二時の方向。


「優誠!」

 惟の鋭い声が響く。僕は頷き、惟とともに建物の陰に走った。


――第二撃が、来る。


 今度は十時の方向。“敵”は複数か。

 僕のすぐ傍で血飛沫が上がる。

 建物の陰までは、まだ距離がある。


――第三撃。


「惟! 右だ!」

 僕の声に、惟がとっさに左へ跳ぶ。惟の足もとで石畳が抉れる。

「入って!」

 煉瓦造りの建物の陰に、僕たちは飛び込む。遅れて街路の悲鳴が追いついてきた。僕の手は、既に銃の安全装置を外している。狙撃の次は、きっと接近戦になる。追手は必ず来るだろう。この場所も危ない。

 惟は前を、僕は後ろを警戒しながら、建物の陰を進む。《運搬人ポータ》は既に気づいてくれているだろう。巧く僕たちの進路に来てくれれば良いが。

「……優誠」

「うん、分かってる」

 足を止め、前を見据える。

「合図したら、走って」

 息を吸って、止める。

 一秒後、僕たちは石畳を蹴った。

 進行方向の建物の陰から現れたスーツ姿の人間が六人。

 いや、きっと、まだ後ろにいる。

 僕たちは別の建物の陰に身を隠す。

 相手がトリガを引く前に、僕と惟の銃が、彼らを屠っていく。

 けれど彼らも無能じゃない。

 銃弾が飛び交う。

 今日の会議の情報、どこで漏れた?

 いや、考えるのは後でいい。

 惟と交代で応戦しながら新しい弾倉を装填する。

 こんな白昼で狙うなんて。

 警察が来たら厄介だ。

 それまでに片付けて、ここを去らなければ。

「っ、あ……!」

 僕の隣で、惟が弾かれたように後ろに倒れた。

 左肩から出血。負うはずのない位置。

 これは別の方向から――

「惟!」

 とっさに惟の体を抱きかかえ、僕は後方へ退いた。

 瞬間、僕たちがいた場所に、複数の銃弾が注がれる。

「惟! 怪我は……っ」

「掠っただけ!」

 血に塗れた手で惟は、取り落としかけた銃を構え直す。

 僕を背に庇って。

「……防げない」

 前方を睨みながら、僕は舌打ちする。

 三方向から、僕たちを狙う視線が複数。

 圧倒的に、不利だった。

 でも――

 勝ち目がない、わけじゃない。

「頼りにしてるよ……《護衛人ボディガード》」

「光栄です……《調整人コーディネータ》」

 顔を見合わせ、頷き合う。

 《運搬人ポータ》のエンジン音が、逆の街路から聞こえた。

 僕たちは駆け出す。

 一拍遅れて、銃声と足音が、僕たちを追う。

 姿を認める度に“敵”を撃ち、さらに近づかないよう牽制に撃つ。

 撃って。

 走って。

 撃って。

 撃って。

 撃って。

 《運搬人ポータ》の車が見えた。

 あと少しだ。

 あと――

「っ、惟……!」

 惟の向こうに、閃く光が見えた。別の方角からの銃口だった。

 けれど惟は撃てない。後ろの“敵”を撃たなければならないから。

 僕の銃も間に合わない。《運搬人ポータ》までの進路を確保しなければならないから。

 ならば――

「優誠……ッ!」

 とっさに、僕は惟を後ろに庇っていた。

 右胸に、焼けつくような痛みが走る。

 足を止めずに、前へ。

 車へ。

 飛び込む。

 急加速。

 追い縋る銃声。

 アクセルの音。

 倒れ込んだ後部座席。

 惟が僕の体に被さり、護って、伏せる。

 何度も僕の名前を呼びながら。

 滴る赤。

 惟の肩と、僕の胸から。

 混じり合う、ふたつのあかいいろ。


 そこで、僕の意識は途切れた。



+ + +



 雨の雫が、世界を叩いている。銃弾のように。喝采のように。

「久しぶりね……優誠」

 かつん、と硬い靴音を響かせて、《調整人コーディネータ》――千都世が惟の後ろに立つ。

「再会を喜ぶべきかしら」

 千都世が、スーツの胸もとに手を入れる。察した惟が、さっと千都世を振り返り、片手を腰の銃に伸ばした。

「いいよ、惟。大丈夫だから」

 僕は静かに惟をなだめる。

 千都世が取り出したのは、ローズピンクのシーグラスだった。千都世はそれを僕に、徐に差し出す。

「貴方から預かっていた、約束のものよ。貴方に返すわ」

「ありがとう」

 僕は微笑み、受け取った。

「シオノ医師の催眠療法を破った被験者は、貴方が初めてよ、優誠」

「それは光栄だと、言うべきなのかな」

 僕は肩を竦めた。浮かべた笑みを崩さずに。

 数秒の沈黙。僕と千都世のあいだで、視線がぶつかる。

 口火を切ったのは僕だった。

「訊いても良いかな。僕がこの邸に囚われることになった文書の翻訳、その仕事が僕のもとへ来るよう、裏で“調整"したのは、貴女だね、千都世」


「貴女が“復元”しようとしてくれたのは、どっちの僕の日常?」


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