Act.8
昼の仕事は定例会議への出席だった。
会議自体は滞りなく終わり、僕は新たに命じられたいくつかの仕事について、僕が束ねる《
昼下がりの官庁街は、様々な訪問者で賑わっている。スーツ姿の人間もいれば、ラフな格好の人間もいる。惟も今日はパンツスーツに身を包み、メイクで外見年齢を引き上げている。今の僕と惟はさながら若手の社長とその秘書といういでたちだ。
「早くこの街区を抜けよう、優誠」
人の多い場所は落ち着かない。
惟が周囲に最大限の警戒をしながら、僕に
けれど――
――シュパッ。
どこか間抜けな、けれど聞き覚えのある音が、すぐ傍で鳴った。
身構えた刹那、僕と擦れ違った男性が、僅かに体を痙攣させ、その場に
――二時の方向。
「優誠!」
惟の鋭い声が響く。僕は頷き、惟とともに建物の陰に走った。
――第二撃が、来る。
今度は十時の方向。“敵”は複数か。
僕のすぐ傍で血飛沫が上がる。
建物の陰までは、まだ距離がある。
――第三撃。
「惟! 右だ!」
僕の声に、惟がとっさに左へ跳ぶ。惟の足もとで石畳が抉れる。
「入って!」
煉瓦造りの建物の陰に、僕たちは飛び込む。遅れて街路の悲鳴が追いついてきた。僕の手は、既に銃の安全装置を外している。狙撃の次は、きっと接近戦になる。追手は必ず来るだろう。この場所も危ない。
惟は前を、僕は後ろを警戒しながら、建物の陰を進む。《
「……優誠」
「うん、分かってる」
足を止め、前を見据える。
「合図したら、走って」
息を吸って、止める。
一秒後、僕たちは石畳を蹴った。
進行方向の建物の陰から現れたスーツ姿の人間が六人。
いや、きっと、まだ後ろにいる。
僕たちは別の建物の陰に身を隠す。
相手がトリガを引く前に、僕と惟の銃が、彼らを屠っていく。
けれど彼らも無能じゃない。
銃弾が飛び交う。
今日の会議の情報、どこで漏れた?
いや、考えるのは後でいい。
惟と交代で応戦しながら新しい弾倉を装填する。
こんな白昼で狙うなんて。
警察が来たら厄介だ。
それまでに片付けて、ここを去らなければ。
「っ、あ……!」
僕の隣で、惟が弾かれたように後ろに倒れた。
左肩から出血。負うはずのない位置。
これは別の方向から――
「惟!」
とっさに惟の体を抱きかかえ、僕は後方へ退いた。
瞬間、僕たちがいた場所に、複数の銃弾が注がれる。
「惟! 怪我は……っ」
「掠っただけ!」
血に塗れた手で惟は、取り落としかけた銃を構え直す。
僕を背に庇って。
「……防げない」
前方を睨みながら、僕は舌打ちする。
三方向から、僕たちを狙う視線が複数。
圧倒的に、不利だった。
でも――
勝ち目がない、わけじゃない。
「頼りにしてるよ……《
「光栄です……《
顔を見合わせ、頷き合う。
《
僕たちは駆け出す。
一拍遅れて、銃声と足音が、僕たちを追う。
姿を認める度に“敵”を撃ち、さらに近づかないよう牽制に撃つ。
撃って。
走って。
撃って。
撃って。
撃って。
《
あと少しだ。
あと――
「っ、惟……!」
惟の向こうに、閃く光が見えた。別の方角からの銃口だった。
けれど惟は撃てない。後ろの“敵”を撃たなければならないから。
僕の銃も間に合わない。《
ならば――
「優誠……ッ!」
とっさに、僕は惟を後ろに庇っていた。
右胸に、焼けつくような痛みが走る。
足を止めずに、前へ。
車へ。
飛び込む。
急加速。
追い縋る銃声。
アクセルの音。
倒れ込んだ後部座席。
惟が僕の体に被さり、護って、伏せる。
何度も僕の名前を呼びながら。
滴る赤。
惟の肩と、僕の胸から。
混じり合う、ふたつのあかいいろ。
そこで、僕の意識は途切れた。
+ + +
雨の雫が、世界を叩いている。銃弾のように。喝采のように。
「久しぶりね……優誠」
かつん、と硬い靴音を響かせて、《
「再会を喜ぶべきかしら」
千都世が、スーツの胸もとに手を入れる。察した惟が、さっと千都世を振り返り、片手を腰の銃に伸ばした。
「いいよ、惟。大丈夫だから」
僕は静かに惟を
千都世が取り出したのは、ローズピンクのシーグラスだった。千都世はそれを僕に、徐に差し出す。
「貴方から預かっていた、約束のものよ。貴方に返すわ」
「ありがとう」
僕は微笑み、受け取った。
「シオノ医師の催眠療法を破った被験者は、貴方が初めてよ、優誠」
「それは光栄だと、言うべきなのかな」
僕は肩を竦めた。浮かべた笑みを崩さずに。
数秒の沈黙。僕と千都世のあいだで、視線がぶつかる。
口火を切ったのは僕だった。
「訊いても良いかな。僕がこの邸に囚われることになった文書の翻訳、その仕事が僕のもとへ来るよう、裏で“調整"したのは、貴女だね、千都世」
「貴女が“復元”しようとしてくれたのは、どっちの僕の日常?」
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