Act.1
空気を切り裂く金属音に、唐突に意識を引き戻された。
重い瞼をひらく。夜空に滲む常夜灯の光が、闇に慣れた瞳に眩しい。首の後ろに微かな疼痛。両腕には手錠。さらに巻きつけられた鎖が、背後のコンテナと僕とを繋いでいる。
(なん、だ……?)
どこかの埠頭の倉庫群の一角。僕の周りには、倒れた知らない何人もの人。人。人。シュールすぎて思考が飛ぶ。何が起きている? 眩暈がした。頭の中で記憶を巻き戻す。いつものように仕事を終えて、夕食を調達しようと外へ出て……。
脳裏をよぎる断片的な映像。突然取り囲んできた見知らぬスーツ姿の男たち。口を塞がれ、抵抗する間もなく連れ込まれた車内、後頭部から首にかけて走った鈍い衝撃。暗転する視界――。
(攫われた、というべきなんだろう、これは)
再び空気を裂く鋭い音。頭上の常夜灯がひとつ、けたたましい音を立てて砕け、破片が辺りをきらきらと舞う。サイレンサに潜められた銃声。コンテナの縁を銃弾が叩く。鼻をつく火薬の臭い。遠く、近く、誰かの怒声がこだましては消える。自分の心臓の音が、煩く、耳の内側を叩くように響いてくる。
(これは、現実、なのか――?)
「お目覚めになりましたか」
混乱する頭の中に、凛と静かな声が響いた。反射的に肩を跳ねさせた僕は、声のほうを振り仰ぐ。
「あと二分で終わらせます」
ひらり。僕の視界に、華奢な背中が
高く積まれたコンテナの上から、小さな影が飛び降りてきた。女の子だった。僕を庇うように前に立ち、右手の銃はコンテナの影の向こうに狙いを定めながら、左手の銃口を徐に、僕の手首へと向けた。
「三秒、動かないで」
言葉とともに聞こえた三発の銃声。二発は少女の右手から、そしてもう一発は左手から。軽い衝撃とともに、僕の腕にかけられていた負荷が消える。解かれた両腕。粉々に砕けた鎖が、
「これで動けるでしょう」
次の弾丸を装填しながら少女は言う。どこまでも無表情に。一切の温度を感じさせない声で。
「このコンテナの後ろに回って、伏せていてください。私が戻るまで出てこないで」
言い終えると同時に地面を蹴った。呼吸をひとつ数える前に、少女の背中は向かいのコンテナの奥へと消えていた。続いて銃声。そして怒声。銃声。銃声。怒声。銃声。いくつものメトロノームが共鳴によって揃っていくように、不連続だった音と声がひとつ減り、ふたつ減り、一種類の音とリズムだけを刻むようになって、止んだ。一切のノイズが消える。水の粒子を抱えた空気。強張った体が、ひととき忘れていた都会の夏の夜の暑さを知覚する。
「危ないところでしたね」
ふわり。すぐ後ろから声がかかった。声を飲み込み、僕は振り向く。近づく気配を全く感じさせない子だった。
「君は……? この人たちは、何……?」
僕は尋ねた。声を震わせなかっただけ上出来だと思う。そうですね、と彼女は少し考えるように瞳をめぐらす。黒曜石に似た、まじりもののない深黒の瞳だった。
「私は
ふう、と息をついた少女――惟は、腰のホルダから徐に別の銃を取り出し、視線を僕へと戻す。銃口を、まっすぐに僕へと向けて。
「っ……何で僕を撃つわけ……?」
思わず後ずさる僕の背中をコンテナが阻む。何故。なぜ。警鐘と途惑いを鳴らす脳が煩い。虚勢を集め、せめてもの抵抗に少女を睨む。そんな僕を、少女は静かに見下ろして、落ち着き払った声で言った。
「これから貴方を《
どこまでも機械的に、淡々と、無表情に、少女は答えた。深黒の瞳に映る僕の瞳の色が鋭さを増す。少女は小首を傾げた。まっすぐな髪がさらりと白い頬を縁取る。
「今、脳と体を休めるのは、吉だと思いますよ」
「そういう問題じゃないし……訳が解らない」
「目が覚めたら説明があります。それまで、おやすみなさい、
少女が引き金に指をかける。何の躊躇も容赦もなく。ただ、少しだけ……僕の名前を呼んだ瞬間、少女は微かに、ほんの少しだけ、無表情の中に溶かしこむように、儚く、幼く、微笑んだ気がした。
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