第二章 生きたい

第壱話 卵焼きと師匠

 ジュウウウウ……と焼ける音。

 フライパンのを男が左手で握り、右手は箸を持ってカチャカチャと中身を混ぜている。

 どうやら何かの料理を作っているようだ。

 窓から差し込む柔らかい光が、キッチンに立つ姿を照らす……その横顔は真剣だ。


「くっ! 固まるのが早い! 半熟が美味いのに!」


 カッチャーン! と焦げないように素早く手を動かす。


「この魔石コンロ壊れてんじゃねーの? 火力調整むずいわ!」


 エプロンをけて下手くそにフライパンを振る男。

 時折志郎は朝食……卵料理を作っていた。


「やばっ! 焦げる! 皿! 皿!」


 慌てて鍋を火から離し、横に置いていた皿に中身を移す。

 本当は、フワフワのスクランブルエッグを作りたかったのだが、出来たのは半分、焦げたカチカチの卵焼きだった。


 うーん、また……失敗したな、魔素の入れ方にまだ慣れないんだよなー「まあ、腹に入れば同じ……だな! さて、あとはミニトマトを洗って皿に乗せれば完成……あ、パン」


 いそいそと、焦げた卵焼きを誤魔化すように話しながらキッチンを動く男に、かける声が。


「おはよー、シローさん」


 シローが振り返るとそこには、黒髪を肩まで垂らし、切りそろえた前髪。目鼻が綺麗に整った日本人形のような顔立ちをした女の子がいた。


 低血圧なのか、元々白い肌がさらに青白くしたユリカが、小さな眉を八の字にして……「焦がしたなー」と可愛い響きで言葉を口から出した。


 持った箸を振りながら「いや、ユリカ! 毎度言うけど、この魔石コンロ、壊れてるぞ。うまく火加減調節ができない」と言い訳がましいシローをユリカはジロリと睨み……、


「シローさんがコンロに魔素を入れすぎるからだよ」と言い、くるりと背を向けて、白い着心地の良さそうな寝巻きを揺らして「早く魔素に慣れないとね、シローさん。さーて、今日は朝ごはん食べたら昼まで、特訓だよ」


 そう言ってユリカは、洗面台に歩いていった。


 俺は『鬼化』していない師匠を見送り、右腕に付けたリングを見る。

 時刻は『07:13』と出た。

 ミニトマトをザルに移して、流しで洗う。

 ザーッと流れる水道の音を聴きながら、考えていた。


 ユリカとの戦闘訓練で発動した、俺の能力は消えていた。

 とは言っても、あの時の俺は必死だった。だからだと思うけど、自分では何をどうしたか……あまり、覚えていない。

 見えた魔素の流れも、今じゃ分からない。

 未能力者、それが俺だった。

 約束通り、ユリカは俺を弟子にして今は一緒に暮らしている。

 なんだか? ユリカの師匠の師匠の家だったとか、そこに転がり込んで毎日を過ごしていた。

 弟子入りをして、三ヶ月ぐらいが経っていた。

 今は七月……夏になっていた。


 特訓と異界迷宮に潜る日々だ。


 初めて、迷宮に潜りゴブリン緑種ミドリシュを殺した時は盛大に吐いた。ああ、食ったもん全部、地面に撒き散らした。

 刀で切った感触は忘れられない。

 ニワトリもしめた事もないのにいきなりゴブリンよ? 人型だよ? グロいよ……あいつら魔物だけど、人間と同じで赤い血を流すんだ。

 殺すのはしんどい。


 魔物だって死にたくない。生きてるんだ。死に物狂いで反撃してくるし、大体すげー臭いんだよ、アイツらの体臭。できれば……近寄りたくねーよ。

 だろ?


 もちろん、いきなりは一人では無理だ。師匠、ユリカと一緒に狩った。

 俺は魔物から魔石の取り方を学び、魔石を取ると魔物は迷宮に飲み込まれる事も知った。

 俺は、三十二匹のゴブリン緑種を殺した。

 後、六十八匹殺せば探索者の色が黒から青に上がれる。

 先は、まだ長い……


 師匠、ユリカは無茶苦茶いいヤツだった。

 どれぐらいと聞かれれば、なんて答えればいいか……道端に捨てられた子猫を一回見て、素通りするけど心配になって……子猫の様子を見に戻ってしまうくらい、かな?

 あん? わかりずらいわ!


 聞くと、生まれてからずっと剣を振っていたらしい……はて? いつ時代の剣豪一家? 江戸時代から続く、赤刀一刀流と名乗る流派の一族らしい。

 言われて意味不明な事もあったけど、俺を鍛えて、強くしてやるという意思は感じた。

 全身が魔素筋肉痛? と言えばいいのか?


 ユリカの特訓は、超スパルタだった……んだ。




 朝食を食べ終えた二人は外に出ていた。

 後ろには暮らす平家が建っており、縁側から先には壁に囲まれた、十五メートル四方程の平地の空間が広がっている。

 そこは、簡単な運動ならできそうな庭があった。


「よーし、いつも通りにまずは刀の素振り。交互に魔素を込めて振る。最初はゆっくりと……慣れてきたら素早く……始め!」


 ユリカの掛け声と共に、俺は正眼に刀を構え素振りを始める。

 一刀目は魔素を刀に込め振り下ろす……、二刀目は魔素を込めずに振る。その繰り返しだ。


「よーし、スムーズに魔素の移動ができてるぞー、シロー」


 無言で刀、いわゆる木刀を上下に振る。これが地味にキツい。

 なんでも、流れるように魔素を肉体と武具に強弱をつけて纏う事ができれば消費量も減り、何よりインパクトの瞬間に魔素を爆発的に纏わせれば、凄まじい威力が出せるらしい……


魔撃マゲキ』と言う、戦闘技術のひとつだそうだ。

 俺はまだまだできそうにない……結構難しいんだよ、これ。


「よし、もっとスピードを上げて……三千本!」


 ああ、ユリカさん。可愛い顔して鬼っすね……しかも、その後は地獄の一対一のしごきが待っている。


「う、——ういっす!」


 俺は、刀を振った。

 振りまくった。腕は痺れて息は切れる。

 魔素! 魔素なし! 魔素! 魔素なし!

 ただ、強くなりたいが為に。

 明日は全身が魔素筋肉痛……決定だな……









 ……










 …………










 ……………………






 ゼーゼーと、俺の口から荒い呼吸音がする。

 汗でびしょびしょになった迷彩の軍服が、体に張り付いて気持ち悪い。

 今日の特訓はこれで終わりだ。

 今は『12:18』。

 太陽が眩しい。ヒートアイランド? ビル郡が東京から消えてから……昔に比べて涼しくなっているらしいが、やっぱり暑い。

 これから一休みして、昼飯だ。


『鬼化』を発動しているユリカが、地面に寝っ転がている俺を見ながら「シローのメインウェポンは短刀……ナイフの二刀流がいいのか?」と聞いてくる。


 俺はこの前、ユリカと行った武器屋兼、雑貨屋を思い出した。

 なんでも知る人ぞ知る、上色探索者には有名な武器屋らしい……店主がなかなか、個性的な人間だが……フラリと迷宮に一人で武具の材料を探しに行くとか。


 一刀流の師匠からしたら二刀流は邪道……最初、話した時すげー怒られたもんな。実戦では使えないって。

 でもその時、濃い店主にお願いして色々と試した結果、ナイフの二刀流が一番しっくり来たんだ。

 俺は、肉弾戦とナイフ二刀流をメインウエポンにしようかと考えていた。

 ……二刀流、カッコいいしな。うんうん。


「ああ、刀の練習も続けるけど、メインはナイフの二刀流にしようと思う」


 俺は、ユリカを見て言った。


「……そうか、なら……昼ごはんを食べたら買いに行くか、シローもそろそろ自分の武器がいるだろう」


 え? 自分専用の武器! やった! あ……でも金が……

 そんな、がっくりした俺の顔を見たユリカが「金なら気にするな。師匠の私が買ってやろう」と言ってくれた。


 まじっすか! ユリカ様! 


「おししょー!」


 汗だくの服で立ち上がり、小躍りしようとする俺を赤鬼が蹴り飛ばす。


「汗臭い! シャワー浴びて来いシロー!」


 どこか、赤さが増した頬の師匠に蹴られ——きりもみしながら吹き飛ぶ俺は考える。


 いや、お前のスパルタ訓練で汗だくになったんじゃーい! と。

 でも、どこか楽しい俺がいた。

 生きているって。

 そう、悪くない。そんな風に感じていたんだ。











 時折志郎はゴブリン種緑を殺し、魔素が魂の器に注がれている。

 特訓はその魔素を使っている。



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