第弍話 やまない雨
雨。
冷たい雨だ。髪を濡らし、頬をうつ。少しだけ優しく、何処までも残酷で。
雨が降っていた。
——ああ、これは夢だ。
雨の中、傘もささずに煙突から昇る煙を見ていた。
父と母が燃える煙を。
俺と
ギュッと俺の手を掴む、妹の小さくて暖かい手。
即死だった、と……、警官が教えてくれた。
スピードを出しすぎた車が対向車線をはみ出してきて、父の運転する車に正面衝突したと。
まだ、……頭が現実を受け止められていない。
二人でいい子にしてるのよと、玄関で笑った母の顔がさっきの事のように思い出せる。
あの日は二人の結婚記念日だったんだ。俺はいつも忙しい両親に楽しんで欲しくて、旅行券をプレゼントした。
子供が作ったおもちゃだったけど、母は喜んでくれた。
だけど……
「おにーちゃん」
「どうした?」
「お父さんと、お母さんはかえってくるよね?」
泣きながら俺の足にしがみつく妹。
俺は、優しく髪を撫でる事しか出来なかった。
「ああ、大丈夫。帰って来るまで二人で暮らそう」
雨に少しだけ濡れた髪をハンカチを出して拭いてやる。
「おにーちゃんは、私と一緒に……ずっと……ずっと居てくれる?」
——ああ、これは夢だ。
「ずっと一緒いるよ」
妹を、明を守ると決めた日。
家族が二人だけになった日。
ああ、これは夢。
早く、か……え……らないと。
妹のところに……
ところに。
とこ、ろに。
雨だ。
雨が降っていた。
冷たい雨だ。
髪を濡らし、頬をうつ。
少しだけ優しく、何処までも残酷で。
いつまでも、いつまでも。
やまない雨。
……
…………
……………………
……どこだ? ここは?
最初に目に入ってきたのは、木目調の天井。
なんだ? 音?
気配がする方に視線を動かすと……看護師? だろうか、にしては服装が違う。迷彩柄の服を着ている……軍人、自衛隊?
そこにいたのは、迷彩の軍服を来た女の子だった。
小さな女性……女の子……が、点滴? だろうか、それを交換しているとこだった。
「あの……ここはどこですか?」
俺が彼女に声をかけると、驚いた表情をこっちに向けて「大丈夫ですか!? 一応、検査はしたんですが体に異常は感じませんか?」と逆に聞いてきた。
「はい。頭が少しフラフラしますが体に痛いところもないです」
ホッとした顔をして俺を見てくる。
目がクリクリしていて可愛い。
どうやら、感情表現が豊かな人みたいだ。
迷彩柄の服が凄まじく似合っていない……嫌、これはいわゆる萌えギャップというものか?
小さな女の子が軍服を着ているという……、うん。ダメなやつだ。
そんな、どうでもいいことを考えていると——
「よかったです! 詳しい話ができる人を呼んできますので、少しお待ちください」と部屋を出て行こうとして「あっ、いけない!」と大声を出して戻ってくる。
「ごめんなさいです! これの交換が途中だった!」
点滴のパックを交換して「じゃあ、お待ちくださいです!」とどこか、恥ずかしそうにバタバタ音をさせて部屋を出て行った。
パタリと閉まるドア。
途端に静かなる。
当たり前だが知らない部屋だ。どこかの病院だろうか? にしてはおかしい……、壁も天井も木でできているみたいだ。
病院というよりは、古い木造の学校を連想させた。
小さな彼女に交換されたパックは自立した木の棒に引っ掛けられており、先から伸びた管が俺の腕に刺さっていた。
「これ点滴……? だよな」
パックの中の液体の色は黒色だったのだ。
「俺の記憶が正しいなら、点滴の液って透明だったと思うんだけど……」
これ大丈夫なのだろうか? 仕方ない、信じよう。考えても……どうしようもないから目を閉じてベットに深く沈む。
少しづつ思い出してくる。
あの地震と……大地の光り。
もう終わったと、思った。でも、俺は生きている。帰らないと、家に。明が心配だ。
そういえば、財布とスマホは? 服は入院着だろうか? 白い清潔そうな服に上下、着替えてさせられていた。
六畳程の小さな部屋を見渡たす。
あるのは、あの子が出て行ったドアと窓がひとつ。後は、ベットの脇に背がない椅子。
「スマホないな……落としたか」
最悪だ。すぐにでも明に連絡をしたいところだがどうしようもない。
まず、ここがどこなのかすらも俺は知らないのだ。
——コンコンとドアがノックされ、ガチャリと開く。
さっきの女性とは違う人が入り口に立っていた。
一人だ。
同じ迷彩服を着ており、百七十以上はあるだろうか、背も高い。
「失礼。
腰まで届く長い黒髪が揺れる。俺の横まで来て、背のない椅子に座る。
気の強そうな黒い目をした瞳。
綺麗な人だと思った。
「ごめんなさい。緊急事態だったので、君の身元が分かりそうな物を見させてもらいました」
「え?」
彼女はフリーズした俺に財布とスマホ渡してくる。
スマホの充電は切れているみたいだった。
「私は
すっと黒目が細くなり、口を一度閉じる黒髪の女性。
まるで、これから大事な事を話しますよ……と、いわんばかりだ。
「時折君。君はシンジュク
「異界? だいさん、迷宮?」
なんだ? どこかの遊園地のアトラクションか?
「
えっと……過去人? 誰の事だ? 三日? そんなに?
「はー、あ、あの……。それはありがとうございます。あの、すみません。お願いがあるのですが……家族と連絡をとらせてもらえませんか……えっと、スマホの充電が切れているみたいなので」
「……ごめんなさい。それはできないの」
「え……、ど、どうしてですか!?」
物凄く嫌な予感がした。
「時折君……これから伝えることは全部、本当のことです。嘘に聞こえるかも知れませんが、真実です。君の生きていた時代から西暦で言えば……二千三百四十二年……」
「はい?」
「あの日から三百二十二年経っているの。今は、『異界歴三百二十二年』。時折君、君は異界誕生の光にのまれて——飛んできた、この時代に、私たち人類はその存在を過去人と呼んでいるの」
黒い瞳が俺を見ている。
それは、同情でも憐れみでも、悲しみでもない光。
「時折志郎君。君は選ばなければいけない」
彼女は言い放った。
「前に進むか……止まるかを」
とても、嘘をついているとは思えない目の光が俺を見つめてくる。
ゴクリと飲み込む唾の音が、自分のものだと分かっても、俺は混乱した思考から抜け出すことができなかった。
異界歴三百二十二年。
現在まで確認された過去人は、時折志郎を含め二百三十八人目だ。
発見が遅れ、魔物に殺害された過去人は多数存在すると思われる。
過去人の出現する時代は決まっていない。
唐突に迷宮から湧き出るのだ。
過去人には強い望郷により特殊で強力な能力が発動する確率が高いことが、これまでに分かっている。
ゆえに貴重な戦力になり得る可能性があった。
しかし、中には人類の敵にまわった過去人がいた。
能力が発動しなかった過去人が一名。
未能力者。
その過去人は、
——現在、日本国の最高レベルの抹殺対象になっている。
これは、日本国最高の機密事項。
知っている者はごく僅かだった。
——俺はなんとか彼女に言葉を返す。
「過去には帰れますか?」
と。
黒い瞳の女は答えた。
「戦いの先に可能性は……あります」
「そう、で……すか」
俺の腹は決まった。絶対に帰ってやる。
ごめんな少しだけ、待っていてくれ、明。
やまない雨はねーんだよ。
ここに一人の異界探索者が生まれた。
時折志郎。
未能力の探索者が。
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