第一章 その力はどこに振るう
第壱話 異界誕生
——二千二十年、夏の夕刻。
時折志郎はいつものコンビニにいた。
ウィーンと鳴る自動ドアの開閉音。女性店員さんの「ありがとうございました」の声を背中で聞きながら、ガサゴソとビニール袋から缶ビールを取り出す。
カシュッ! と、軽快な音を鳴らしフタをあける。小さな気泡が少しだけ缶の外に溢れるのが見えて「おっとっと」と志郎はどこな間抜けなセリフを吐きながら、素早く口をつけた。
——ゴクゴクゴクゴクッ! ゴクッ!
「ぷっはぁー! かーっ! うまい! 生き返る!」
明るい内に飲むビールは何故にどうしてこうも、うまいのだろう?
五時を過ぎても夏の空は、まだ明るかった。
見上げる青い空には夏の風物詩、入道雲がモクモクと遠くに浮かんでいる。
太陽の光が眩しくて目を指で隠す。
指の間から見た、バカでかい雲はちっせーな、お前と……俺を笑っている様な気がした。
仕事帰りの俺は、コンビニから出てすぐに買ったビールをあけてグビグビやっていた。
喉の乾きが一息つき、動かした目線先には、仕事終わりの打ち上げか? 三人のサラリーマンがコンビニ焼き鳥を片手に、缶チューハイを煽っている。
——ミーン、ミーン、ミーン! ミーン!
遠くで蝉の声がした。
缶ビールを煽りつつ耳を澄ます。命短し蝉が全力で鳴いている……そう言えば、子供の頃よりなんか蝉が減った気がするな……うーん、あの鳴き声ってなに蝉だったかな?
グビリ、ゴクリ、ゴクリ、ゴクリ。
残りを一気に飲み干して、ゴミ箱に缶ビールを捨てる。
「あちー」
東京は今日も間違いなく夏だった。
……さて、今日は給料日。
家に帰ろうと歩き出す。
足音、無数の人影。話し声。車の音。排ガスの臭い。新宿駅から聞こえる鉄のレールの甲高い音。夏の青い空。誰かの笑い声。見慣れた景色。いつもと変わらない景色。
いつまでも続くと思っていた日常。
俺は、カバンの中から歩きながらヘッドフォンを取り出す。
いつも通り、いつも通りだった。
はずだった。
——五歩目、それは起こった。
唐突に。
予感もなく、気配もなく。
前触れもなく。
俺は立ち止まり地面を見る。なんだこれは? 光っている。地面が、光っている?
周りを見るとこの不思議な光景にみんな驚いている姿が見えた。
「……なんか、やばい」
視線を上げると、ずっと先まで……辺り一面が光っている。目で見える範囲は全て輝いている。辺りから聴こえて来る悲鳴。
俺は慌ててスマホをポケットから取り出して、今の状況を検索してみるが何もでてこない。
光の強さが増す。
「くっ!」
俺は恐怖に襲われて走り出すが、それを待っていた様に急にさらに光が強くなり……、
——ドンッッッッ!!!!!!
ドン!!
ドーーンッ!!
地面が爆発した。
それしか言葉が見つからない。だだ、しがみつく。
地面に爪を突き立て歯を食いしばる。
体が上下前後左右に激しく揺れている。転がり這いつくばって、何度も転がる。
なす術もなく、飛び跳ねる地面に遊ばれる。
硬いはずの大地が、トランポリンの様に脈動してうねる。
人の声はもう聞こえない。絶叫する大地の声。耳が、鼓膜が地の絶叫に震える。
——死の予感。
どうしようも無い自然の力の前に感じる無力感。右に左に転がりながら俺はそれに抗う
ふ、ざ……け、るな。
頭を地面でしこたま打って立ち上がろうとして転けてまた、頭を打つ。
アスファルトが、波打ちひび割れて裂けていく。
ふざけるな。俺は——明を、妹を……残して、死んでたま、るか。
——出鱈目に揺れた大地がピタリと止まる。
はっはっはっは……
俺の呼吸が、音が静かになった世界に響く。
どうなった、んだ?
陥没した穴や裂けて割れた地面を見ながら立ち上がる。
ゆっくりと周りを見ると、三人いたサラリーマンは崩れたビルに潰れていた。
振り返ると、さっきまであったコンビニは潰れて煙を上げて燃えていた。
「まじ、かよ……」
青い夏の空が赤黒く炎に照らされ時、男の足元を白い光が天を突く。
全てを飲み込み、真っ直ぐ真っ直ぐと昇っていく。
ア、カ……リ……
男は意識を失った。
……
…………
……………………
——同時刻。
アメリカ南部上空。
「メーデー、メーデー! メーデー! 応答! メーデー! メーデー! メーデー!管制塔! USエアー八十八便、応答願う!」
私はオート操縦を手動に切り換える。
怯える様に副操縦士のヘンリーが叫ぶ。
「機長! あ! あ、あれは! あれは! 一体!! なんですか!?」
「わからん。だが、地上は見る限り火の海だ。あの……光の柱は……なんなんだ?」
「ああ、神よ。私を救いたまえ……」
頭を抱えて神に祈るヘンリーに、私は激を飛ばす。
「ヘンリー! この機には二百人以上の人間を乗せて飛んでいる! 目を覚ませ! まだ終わりじゃない! 終わらせない!」
震えながら後ろに待機している二人の勇敢な女性スタッフに伝える。
「……すまない。最悪の事態を考えて。君たち二人は乗客をこの機の後ろに……順番に座らせてくれ」
「それから」……私は彼女達に、笑いかけながら「小さなお子様には飴を配る事も忘れずに」と話す。
「はい!」
客席に走る二人の後ろ姿を見送る。
私はうまく出来ただろうか? うるさい心臓が苦しい。まだ小さい娘を、愛する妻を思い出す。まだだ、まだ、この機を落とす訳にはいかない。
私は前を睨み、操縦桿を握りしめる。
「メーデーメーデー、メーデー! 管制塔! 聴こえるか!? こちらUSエアー第八十八便。着陸の許可を!」
無線に向かってあらん限りの大声を上げる。
白い、真っ白い旅客機が大空をゆっくりと旋回して飛ぶ。
真っ赤な炎が大地を焼き、白い旅客機の腹を照らす。
それは悪夢。悪い夢の様だった。
「この世の終わりだ……ジーザス」
ヘンリーの呟きは操縦室に消えた。
そこから見た光景は——
無数の巨大な光の柱が立つ光景。まるで神話の世界から引っ張ってきた様な神々しさ。
数えきれない光の柱が、大地にそびえ立っていた。空を裂きどこまでも高く。
炎が地を空を焼き、黒煙が太陽を隠す。
地獄。
一言で言えば地獄だ。
それは——今までの世界が終わり、新しい世界が生まれる。
始まりだった。
人類は後にこう呼ぶ。
異界誕生。
世界に無数に立ち昇る柱は、異界の誕生の産声。
異界歴のはじまりだ。
魔素が世界を覆う。
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