第37話:お薬と罠
プチン・プチンの放った技の効力は、単純にして強力だった。
「夜を、ある空間内に生成する。メカニズムは分からねえが、吸血鬼としちゃあ、最高の能力ってわけだ」
「その低位の頭脳じゃ俺の至高の技を理解することすら出来ないだろうな。ただ、この技にも一つ弱点がある」
その言葉に、ガレルは「ほう」と首を捻った。
表情には一切笑顔がないものの、その相手を試すような態度は健在と言えよう。
「この技は非常に効率が悪い。戦闘が長引けば、夜が尽きて終わる。効果範囲も1イデガールしかない」
1イデガール。
キロメートルに直すとおよそ400メートル弱。効果範囲が狭いと言うにはあまりにも大きい。
しかしガレルはそれを気にした様子もなく疑問を放つ。
「何故わざわざ弱点を教える?まさか、教えたところで殺すから全く問題がないなんて事を言うわけじゃあるめぇよな?」
「そのまさか、だ」
プチン・プチンは軽薄な笑みを浮かべて答えた。
口角はいやらしく釣り上がり、目は黒く染まっていた。
「化け物がよォ……」
「恐れろ下賤、楽にしてやる」
初撃が肝心、とプチン・プチンは踏み込み、短剣を横なぎに振った。
短いリーチを感じさせない高速。高次な技術。それは長い年月にかけて培われた経験と、夜の吸血鬼の圧倒的な身体能力のなせる技だった。
しかしガレルはその攻撃を素早い動作でしゃがんで避けると、剣を下から振り上げた。
その攻撃は上から短剣で押さえつけられ、地面に叩きつけられかける。
ガレルは剣を強く握り直すと、横っ飛びでプチン・プチンから距離をとった。
再びお互いに構え直す。お互いに息が上がっている様子もなければ、傷を負った様子もない。
強いて上げるとするならば、プチン・プチンの腹部に出来た軽い切り傷程度のものだ。
しかしその傷はもうすっかり治っており、すっぱりと切れた服だけが、その傷の存在を控えめに証明していた。
今の剣戟で、ガレルは改めて認識させられた。
吸血鬼の異常な回復速度と身体能力。長く培われた熟練の剣技。
それらを考えれば、ガレルが剣のみでプチン・プチンを上回る事は不可能だという、それは事実である。
お互いに深呼吸。その後間もつかずに二人は再び斬り合いを始める。
単純な力ではプチン・プチンに分があると言えるだろう。それは確かに真実である。
太陽光を浴びていたプチン・プチンでさえ、その吸血鬼はガレルに力で拮抗し得ていた。
『
しかしそれは、馬鹿正直に力比べをしたならば、の話である。
その内に秘められた知性と魔力は伊達ではないのだ。
一見理性的に見えて、暴力的。暴力的に見えて、非常に理性的。
真実を見通すことすら難しい。それが、ガレル・ティソーナである。
「手も足も出ていないぞ、グゼル!啖呵を切った割に大したことがないな!僕の
「そう言うのは、自分で言うことじゃねえんだよ!」
楽しそうな笑いをあげるプチン・プチン。しかし、それに対抗するガレルの表情は芳しくない。
ジリジリと不利な体勢に詰められてなお、炎を出す事もせずに剣のみで撃ち合う。
剣のみで戦っている以上気を抜いたら、死ぬ。
ガレルはそう思いながらも、対応策をとる事が出来ない。否、取ろうとしない。何故か?
(あいつらが逃げるまではこの
ガレルは自分と通りすがったラード達の傷が悪化する事を恐れていた。
夜の解放のメカニズムがわからない以上、この空間を暴く事での周囲に対する影響は計り知れない。
何も起こらなければそれでいいのだが、何かが起こって後悔しても遅いのだ。
だからこそこの空間に対抗できる手段を持ちながら、この空間内での不利な戦闘を継続するしかない。
「ぐっ!」
「はっ!口ほどにもない!」
そう考えた直後だった。
ガレルの持っていた片手剣が上空高くに投げ飛ばされ、虚しい土の音と共に地面に刺さった。
刺さった位置は運が悪いことに、プチン・プチンの更に後ろ。
ガゼルが武器を取り戻すには、武器がない状態でプチン・プチンの猛攻を掻い潜り、剣を拾い上げねばならない。
圧倒的有利。
それを悟ったプチン・プチンはようやく自分のペースを取り戻せたのか、イヤらしい笑みを浮かべて、長ったらしく高説を垂れた。
「いいか、だから言ったろう。私に勝てるはずがないんだ、と!貴様と私には決定的な差がある、種族だけじゃない。加護を持っているんだよ、冥土の土産だ教えてやろう。僕の加護は飽食の加護。君の君の君の!君のようなカス人間とは違い、神に認められた選ばれし存在なんだ!それを、それをおおおおおお!侮辱しているんだ、君は、君はぁぁぁぁぁぁ!いいか、よく聞くんだグゼル。いや、本名ガレル・ティソーナ。もう一回だけ聞いてやるぞ、僕は優しいからな。僕に
「俺が死にそうになって、あいつらがまだ森にいたら?いや、奴らに諦めてもらうしかないな。元々魔狩だ、覚悟はしてるだろうよ。だが、今はまだその時じゃねぇんだよな」
ガレルはしかし、プチン・プチンの話を完全に無視していた。
まるで興味がないかのように、完全にキッパリとスルーした。状況が分かっていないかのように。
その上独り言まで言い始めたので、プチン・プチンは話すのもやめてガレルに短剣を突きつけた。
「何を言っている!?僕が話している間に!」
思い切り短剣を振り下ろし、追い詰めたはずのガレルの脳天に突き立てた。はずだった。
手応えを見失い、一瞬体勢を崩すプチン・プチン。短剣の先に、いるはずだった男がいない。
プチン・プチンは慌てて振り返ると、
放り出された剣のすぐ右。そこにガレルは立っていた。
「まだ手はあるって話だよクソ野郎」
ガレルは吐き捨てるようにそう言うと、腰から石の様な物を取り出してプチン・プチンに投げつけた。
「悪足掻きか!この僕に汚らしい石を投げつけやがって!」
投げられた
プチン・プチンが腹から生じた違和感に戦いの手を止めて後ろに飛び退く。
当たらなかったはずのそれは、自分の腹部に命中していたと気が付いたのだ。
「これは、なんだ?」
「力が出なくなるお薬だよ、やんちゃする
「お、お前……どこまでも俺をコケにしやがって……」
そう。
ガレルが戦闘中に付けた小さな切り跡。
プチン・プチンにとっては取るに足らないその攻撃は、しかし敵を傷つける為のものでなく、服を傷つける為のものだったのだ。
対魔族特攻の毒薬、『カペルの華』。
過去、人間の間で爆発的に広まった危険極まりない外法の薬。
それは薬と呼ぶにはあまりにも危険で、恐ろしかった。
1度使ったらどんな人間でも抗えない強い依存性、そして昇天するような快楽、高揚感。
数滴吸い込めば本当の意味で極楽にいける、否。地獄に堕ちる事が可能である。
そんな、大量の人間を死に追いやった世紀の毒薬。
今でこそ製造法や原料まで全て隠匿されている為市場に出回らないが、それこそ支部長事件の時に発見された『ラズピリア』など比較にならないほどの代物だったのだ。
その意外な使い方が認められたのはつい3年前ほどの事であった。
曰く、『魔族や神の持つ特殊な精霊の力を一時的に封じ、弱い者ならば一撃で死に、凶悪な魔族でさえ昏倒しうる、神殺しの下薬』。
それを知った研究者たちによって作られた封魔石は、目が飛び出るような高値で秘密裏に取引される事となったのだ。
本来であれば、欲しいと思う人間などそう居ない。
封魔石に含まれている『カペルの華』の量は致死量の数十倍だし、そんなに高いお金を払って自殺する意味もない。
そもそも人ひとりが人生で魔族と出会う確率など、殆ど無いと言っても過言では無いのだ。
だが、ガレルは持っていた。
何故かも、何時手に入れたかも関係が無いのだ。
「人間界では禁制ではなかったのか?」
「さあてね、もうちっとばかし時間がかかりそうだったんで、ここでさっさとてめえを倒せれば御の字と思っただけさ」
憎々しげに、おぼつかない足取りで後ずさるプチン・プチン。
短剣を持つては震え、目は焦点があっていない。まさに即効性の激毒。
魔王軍の幹部。その部下といえども、この薬には耐えきれなかったか。
無様に尻を付き、薄汚れた地面に座り込むプチン・プチン。
そこへ向かってガレルは、一歩一歩と大胆に近付いていく。
もはやプチン・プチンの目は何をも捉えておらず、口からはダラリと涎が垂れていた。
足の震えは依然止まらず、発する声も声になっていなかい。幽鬼の如き死者の形相。
解放された夜はだんだんと縮小を始めている。
もはやプチン・プチンに意識など、あってないようなものだと。そう、思わせた。
それを憐れんでか、ガレルは一撃で命を刈り取る構え。
その、一瞬の隙をついた。
「一撃で楽に殺してやるよ!」
「かかったな、馬鹿が」
プチン・プチンの目がガレルを捉え、震える足がぴたりと止まる。
『
「しまった、演技か!」
夜をまとった拳が、防御のために出した剣諸共ガレルを思い切り吹き飛ばした。
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