第35話:完璧

 フーブの最期の攻撃、身体中の全てを犠牲にラードを殺さんとした遺志。

 それに真っ先に気がついたのは他でもないフェルだった。


 ほとんどあらゆる魔法を修め、魔法使いとして熟達していたベテラン魔狩。その研ぎ澄まされた感覚がそうさせたのか、フーブが惚れ込んだ魔法使いとしての矜恃か。

 フェルの感覚は未だ戦闘中のそれであり、戦闘と呼べる戦闘をしていないラードとマヤに比べて殺気や攻撃に敏感だったとも考えられるだろう。

 本当のところはわからない。しかし事実としてフェルは、完全に熟睡している状況から、この攻撃の兆候を感じり、一時的とはいえ目を覚ますことに事に成功した。


 が、それが幸福だったのかは分からない。

 防御魔法の展開も間に合わない、魔力もすっからかんで足りていない。

 そう、フェルの最大の攻撃手段であり防御手段である魔法は、完全に封じられてしまっているのだ。

 寝起き……というより気絶明けと言った方がいいだろうか。


 ともかく、そのような意識が定かでは無い状況にあっても、フェルは自身の状況を正確に把握することが出来た。

 自分の命、マヤとラードの身の安全。何もかもを勘定した上で、フェルは動いた。


 判断は一瞬。そして単純だった。


 フェルは、応急処置を終えてラードの戦いの様子を観察していたマヤに後ろから覆い被さる。

 体格的にはフェルの方が一回り大きく、抵抗する間もなくマヤを庇ったフェルは、あるかないかも分からない魔力で防御魔法の展開を試みる。


 仲間を助けようとする、否。人を助けようとするフェルの"お人好し"はもはや本能に近い。

 そこに思考が存在したのかも、そもそも意識があったのかすら定かでは無いような状況下ですら、彼女は人を助ける方を選びとった。

 そして本能に従った結果が、一番死ぬ可能性が高いマヤに覆いかぶさるという大胆な行動を生んだのだ


「フェル……!?何をぉ……」

「ラード!」


 マヤが驚いてフェルに尋ねるの。

 しかしそれをあえて無視すると、彼女はラードの名を呼んだ。


 目を覚まし、覆いかぶさり、ラードの名を呼ぶまでは時間にして3秒もないだろう。

 対応としては満点ではないが、ほとんど完璧だと言えた。



 対してラードとマヤにあったのは敵を倒したことから来る油断。

 フェルが目覚めたことに対する歓喜。

 フェルの叫びを理解するのに、ラードは数瞬を要する。

 が、流石は二つ名持ちの魔狩、一級で活躍する人間である。

 ラードはその焦燥と緊迫が入り混じった叫びの意図を、1秒足らずで理解した。

 遅いと言うには早すぎる理解。

 並の人間には叫に含まれた感情を理解すること自体、不可能なのかもしれない。


 しかしことこの状況においては、遅かったと。


 そう言わざるを得なかった。


「フェル、マヤ!」


 ラードが二人に覆いかぶさり、慌てて転移魔法の詠唱を始める。

 無距離転移による攻撃の回避。

 それが最適解だと一瞬のうちに判断し、焦りながらも高速で正確に詠唱するその姿は、その実力を証明するには十分すぎるほどだった。

 そう、何もかもが正確で、ほとんど完璧だったはずなのだ。

 しかしどんなに頑張っても、どんなに正確であろうとも、避けがたい現実は存在する。


 結果が非情にも訪れる。

 フェルが起きてから合計で5秒にも満たない短時間で成した、奇跡的なまでの彼らの努力を嘲笑うかのように。

 一級魔狩のラードにすらどうしようもない圧倒的な熱量が、フーブを中心に放たれた。



「間に合わな……ッッ!」


 耳をつんざくような爆音と、太陽を落としたような閃光が森の木々を、生物を、空を、地面を蹂躙する。

 同時に熱波が辺りに巻き散らかされ、無造作に、無秩序に振るわれた殺意を含んだ暴力は、あたりを更地に戻すのに十分な威力を持っていた。

 上がりきった気温が、生きとし生けるもの全ての肌を、呼吸を無残に焼き、その熱波の中心にいた人間たちも例外ではない。


「クソ……!クソッ!」


 ラードが二人を庇う体勢のままゴホゴホと咳き込む。

 マヤとフェルはおそらく気絶し、自分の背中も無事ではなかっただろう。


 ラードは熱気にさらされて乾く眼球を細めながら、熱気の元であるフーブに接近する。

 近づくほどに空気は乾き、熱を帯びてゆく。

 やがて熱湯に浸かるような温度になった時、ラートはやっとフーブの居る所に辿り着いた。

 フーブの体は乾き、すすけており、辺りには大量の血液が凝固していた。

 唇がぬめるような気色の悪い油分が空気中に漂っているようで、どうやら焼けて完全に死んだようだった。

 フーブの残した攻撃は致死的で驚異的だったが、哀れで悲しい男だったな……とラードはふと、思った。


 ラードはフーブの口に咥えられた禍々しい雰囲気の刀を使って、体を上から下まで裂き斬った。

 の体はそれだけでボロボロと崩れていく。

 その後、ラードは未だ絶えない熱気を吸い込まないように思い切り踏ん張ると、刀を思い切り遠くへと投げ捨てた。


 すると、息をするだけで咳き込んでしまうような熱気が少し和らぐ。

 熱気の放出が止まったのだろうか?

 魔剣の影響か、フーブの死がきっかけか。

 どちらにせよ状況が好転したことには変わるまいとラードは考え、フェルとマヤの元に戻る。


 フーブの死、これ以上攻撃してこないであろうことを確認すると、ラードは自分の頭と背中を順に触って体の状況を確認していく。

 背中は、軽く火傷しているだろうか?大した傷でもなさそうだ。痛みも少ない。

 髪の毛は多少焼け焦げているが、無事だ。装備類は甚大な被害を受けているが、許容範囲だ。

 しかし、自分の腕の中にいる二人の状況が悪い。

 

 ラードはそう判断して地面から手を離す。

 フェルはラードが体で庇った部分から少しはみ出てしまっていたらしい。

 顔から胸にかけて大きな火傷を負っていた。

 熱波にさらされ、ラードと違って無意識の防御も不可能だった。

 さらに魔力も使い果たしていたと来ている。

 重症でない訳がないだろう。


 フェルが庇ったマヤは、悲惨なまでの傷を負っているフェルに対して、ほとんど傷を負っていなかった。

 爆音と光で気絶してはいるが、火傷はなく、地面に押し倒された時の擦り傷だけが、その滑らかな肌に目立っていた。 


「さっさと治さないと……この熱い空間に二人を置いてはおけない、しかし……」


 ラードはこめかみを押さえながら考える。


「急いで帰れば傷が痛む可能性が高い……。どうすればいい!?」


 ラードは数秒、思案する。

 時魔法……つまり回復魔法は使えない。

 それを使えるのはパーティで唯一マヤだけだ。


「長距離の転移魔法は危険が大きすぎる……。歩いて帰るにも手遅れになってはまずい。しかし走れば2人への負担が大きい。マヤだけならまだしも、体がボロボロなフェルには耐えられない……!」


 熱と焦りでいつもの数倍汗をかくラード。

 一切好転しない状況に自暴自棄になりかけるも、二人の顔を見て思いとどまる。

 自分は今、仲間二人の命を背負っているのだと


「完璧にやるしかない。に、街に帰るしかない」


 完璧。

 ラードはその言葉を苦しそうに吐き出した。

 自分に出来るか?

 いや、やるしかない。

 自分に言い聞かせて、ラードは立ち上がる。


 そして二人を両腕に、丁寧に抱きかかえると、地面を蹴って駆け出した。

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