第34話:藍迅

 藍迅らんじん。それが彼に与えられた2つ名だ。

 由来はその神速の剣技と、卓越した転移魔法の技術。

 そして流れる様な短い青髪。


 その疾走と転移魔法を駆使した移動速度は、長距離中距離問わず上位魔獣らのそれに匹敵する。

 一流の魔法使いですら苦心する転移魔法の術式を理解し、高速で、正確に編み上げるその姿はまさに魔法の申し子と言った具合だが、彼の場合は剣の腕も魔法に負けず劣らず凄まじい。

 とある有名な流派の分家筋から教えを受け、1年で本家に弟子入りを認められ、さらに1年で免許皆伝。


 跡継ぎに指名されるもそれを断り、魔狩になる。この時点でまだ17歳。試験も受けずにソロで高難易度の依頼をこなす、大物ルーキーと讃えられた。

 そして19の時、協会から2つ名を付けられる。

 フェルと出会ったのもこの頃である。



 ノワールからの報せを受けて、ラードがフェルを助けに来るまでの時間はおよそ1時間にも満たない。

 それもマヤを連れている状態で、だ。


 それは彼が藍迅と呼ばれる所以であり、一流以上のハンターである証明でもあった。


「……もう良い、男が来て興が削がれた。後はフーブと仲良くやってるんじゃな」

「ま、待て!」

「良い、追うなマヤ。敵は少ない方がいい。依頼なら話は別だが、今はフェルを助けるのが最優先だ」

「……うん、わかったぁ。ラードが、そう言うならぁ」


 マヤは自分の怒りを抑えるため、口調を何時もの間延びした物に戻した。

 これも、彼女なりのルーティーン。

 元来怒りっぽく叙情的なマヤの性格を、あえてゆったりとした口調で話すことによって自ら抑制しているのだ。


「フェルの意識は……もう無いか。マヤ、頼む」

「治るかなぁ……こんなになっちゃってぇ」

「頼んだ」

「……うん」


 ラードはマヤを振り返ることもせず、ただ一言。

 しかしマヤにとってそれは何よりも嬉しい一言だった。

 ラードに人たらし、女たらしの気質があるのは周知の事実だし、自覚もないという事を知っているマヤ。


(それでもやっぱり、惚れている男に頼りにされるとそれだけで嬉しいわね)


 マヤはフェルの服の上からの触診を始め、その様子を背中で感じながらラードはフーブに言い放った。


「どんな事情かも、何があったのかも知らないが、一つだけわかることがある。俺はフェルを信じているということだ。その上でお前に聞く。フェルを痛めつけ、皮膚のあちこちを焼き、切り裂いたのはお前の所業か!?」

「そうだ!」

「よく分かった!」


 ラードが頷くと同時だった。

 フーブが全力でもって斬りかかり、ラードの首を両断する。

 その剣速たるやまさに鬼と言わんばかりだった。

 風圧で木の葉が揺れ、踏み込んだ地面には土埃が立っている。


 それはフーブがフェルに対してどれ程までに手を抜いていたのかを示しているようだった。

 相性が悪かった。だがそれ以上に実力がなかったことを、フェルは気を失う前に自覚している。

 しかしフーブもまた自らの力に溺れていたことは言うまでもなく、その手抜きが無くなった今。容赦のなく襲いかかる無作為な炎と、高速の剣撃をラードを襲う。


 しかしあまりにもあっさりとした手応え。

 刀は確実にラードの首を捉えたはずだった。

 視覚的にも、感覚的にも、しかしどうしてか斬った手応えがなさすぎる。


 違和感がフーブを硬直させ、それは二つ名持ちの上級魔狩にとっては、必殺の隙だった。


「何もかもが、遅すぎる」


 フーブが僅かな殺気に反応して、後ろ方向へ思い切り飛び退く。地面を蹴りざまに刀は前に立てて、なんとか身を守ろうという体勢。

 しかし、避けるには至らない。ギャリギャリと不快な音を立ててラードの剣とフーブの刀が激突する。

 抑えるのみで精一杯、不意に力が緩んだと思えば次の攻撃が到来している。


 2撃目も正面。全て正面。

 しかし、あまりの速さに反応が追いつかない。


 ——カインッ


 澄んだ金属音とともに、地面にが刺さる。


「刀が……」

「お前が俺に勝とうと思うことが既に。刀も炎を吐くだけのなまくらだ。誰か高明な魔術師か何かが市販品に術を仕込んだと言うオチだろう」


 ラードが冷めた目でフーブを見据える。

 殺気すらこもっていない、冷徹な眼差し。しものフーブもあまりの恐怖に腰を抜かして地面にへたり込んだ。

 戦闘の愉悦も、流血の快楽も、殺人の興奮も。その全てを忘れ去り、ただただ勝ち目なく自らを圧倒する存在に、戦闘狂としてもフーブのプライドや強さは砕けかけていた。


 フーブは決して弱くはない。

 剣速で言えば並の剣士の数倍はあるだろうし、体力も桁外れて多い。

 腕力に関しては言うべくもなく、センス、性格。どれをとっても戦闘従事者に向いているといえた。

 実際、その戦闘スタイルには弱点も少ない。


 その持ち前の素早さは魔女・魔人などの魔法使いや、弓使いを初めとする遠距離戦闘を主とする敵には、弾に当たらずに近づくなんて芸当も可能だし、近接先頭においても速さと力と体力さえあれば相当トリッキーな相手でない限り勝ちは揺るがないだろう。

 そして追い詰められれば追い詰められるほど強化される肉体。

 血を流して強化されるフーブは、格上に対しても逆転できる可能性は大いに残っているのだ。

 ならば何故、ラードはフーブを圧倒できたのか?


 より速く、より強かったからだ。

 ラードがしたことは単純明快。

 魔狩きっての高速の斬撃と、残像すら実像に感じさせる超高速の移動。そして、同位置転移による空間回避。

 ラードがフーブにしたのは前者二つのみだが、つまりはそれですらフーブという化け物を上回る化け物だった、それがラードだったというだけの話。

 シンプルイズベスト、しかしそれ故に弱点のないフーブの戦闘スタイルを、地力だけで上回ったのだ。


 ラードは人でありながら、鬼を圧倒できる力を身につけているのだ。


「は、はは……。はははははは!馬鹿げてる!お前何をしてそこまでの力を得たんだ!知りたい!知りたいぞ!」

「哀れだな、そうまでなってもお前には戦いしかないのか。愛する者のため、大切なもののために戦う。それができない奴はいつまで経っても弱いままだ。根っこが、な。お前を絶対に許しはしないが、同情ぐらいはしてやろう」

「どうするつもりだ!」



 フーブはよろよろとした足取りで立ち上がる。

 支えになるものは何もなく、マヤの目にはフーブが、どこまでも孤独で寂しく映った。


「こうするんだ」

「は!?」


 フーブの足は、腿の半分あたりでスッパリと切れていた。

 足という支えを失った体はドサリと地面に倒れ伏し、しばしの静寂ののちフーブの笑い声が響き渡った。

 血が染み込んだ土が赤黒く染まり、血溜まりができていく様は凄惨というほかなかった。


「ははははは!まだ俺は戦えるぞ!」


 フーブはそう叫んで、折れた剣をラードに突き立てんとした。

 手の力のみで飛び上がったフーブの跳躍はラードの身長を超えており、流石のラードもこれには驚いたのか眉を顰めてフーブを見ていた。


「戦え!もっと!ははははは!ブグッ……」


 ラードの剣がフーブの口の奥を無作為に荒らしまわる。

 口に剣を刺されたフーブは発声の手段を失ったが、それでも目はまだ死なない。


「………… ッッッッッッ!」

「呆れた、なんて生命力だ」


 片腕をもがれ、顔を穿たれ、それでも腹筋を使ってでも飛びかかってくるフーブに、マヤとラードは若干の戦慄を覚えた。


(こんな化け物とフェルは退治していたのか)


 ラードは折れた刀の先でフーブの胸のあたりを思い切り刺すと、そのままの勢いで地面に叩きつけた。

 釘のようにフーブが地面に固定される。

 もがけど、体は動かせない。しかし刀を強く噛み、絶対に手放さんとするその姿は不気味で、見るものが見ればトラウマ必至だろう。


 ようやく無力化できたのだとラードは安心して、フェルの元へ駆け寄る。

 戦いは終わった。

 フェルも重傷だが、治らない傷ではない。


 ラードは安堵からか目を瞑り、溜息を吐いた。

 フェルが目を覚ます。


 マヤを押し倒す。

 二人の上からラードが覆い被さる。



 森の奥に爆音が響き渡る。




 明るくなり始めている朝の空、朝の森を、熱波と閃光が蹂躙した。

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