第33話:『ばか』
「み、見えた!」
馬も俺も息絶え絶え。
しかしついに、懐かしい景色が見え始めていた。
美しい水の都、ラピス。
「明かりが点いてて助かったぜ!」
街の光はほとんど消え失せているが、唯一門の場所にだけあかりが灯っていた。
それを目印に馬を走らせ、ついに門前までたどり着く。
全力疾走を続けて今にも死にそうな馬を宥めて下馬すると、馬が「疲れた」とでも言うようにブルル、と鼻を鳴らした。
「すいません、門兵さん!緊急事態なんです!入れてください!」
「はぁ?ふざけんなよ。お前みたいな怪しいやつ入れるわけにゃいかねーよ。なんのための門兵だと思ってやがんだ」
正論そものである。門兵がいるのは怪しい人物を無闇にラピスに入れないため。夜ともなれば侵入者が多いだろう。
たとえ身分証を持っていたとしても朝まで待つのが得策だ。待てるなら、だが。
今回は待てない場合だ。より早く、街に入らなきゃならない。そのための方法も知ってる。
取り付く島も無い若い門兵に近寄る。
暗闇で顔はほとんど見えないが、おそらく訝しげな顔をしているんだろう。
「おい、そこで止まれよ」
「ええ、止まります。これ見てください」
武器に手をかけた彼に戦闘する意思はないということを両手をあげて伝える。
彼が武器から手を離す。それを確認してからあからさまにポケットの中を探り、魔狩証明書と
俺は堂々と魔狩証明書を彼の顔の目の前にまで持っていき、同時に右手で彼の掌を握った。
「おい」
彼は一瞬たじろいで手を振り解こうとするが、俺が彼の手を握る拳に力を込めると彼は手を握られたままにした。
俺はそのままずいっと一歩前に踏み出し、魔狩証明書の横まで顔を持っていく。
「俺の魔狩証明書です。しっかり見せました。そのうえでもう、一度言います。緊急事態なんで、通してください」
俺は彼の手を離すと、一歩引いて判断を待った。
彼は握られた自分の手を、閉じたままじっと睨みつける。
暫くすると門兵の彼は困ったように頭をぼりぼりと掻くと、溜息をついた。
「通れ。ただし問題は起こすなよ。絶対だ」
「約束します」
彼はのっそりと歩いて門の前に立つと、大門の横にあった小さな門の鍵穴に鍵を差し込んで、回した。
木製の門の鍵がガチャリと音を立てて外れ、彼は鍵を開けた右手でそのまま門を押し、門はほとんど音を立てずにすんなりと開いた。
「さ、誰かに見つかる前に早く入れ。いいか、もう一度いうが絶対に騒ぎは起こすなよ!」
「ありがとうございます!」
俺はひと撫でしてから軽い交渉を終えて馬を彼に預けると、魔狩協会へと駆け出しす。
彼の右手を握った時に渡したのは数枚のお金だった。
所謂チップ。悪く言えば賄賂。
この世界で1ヶ月程過ごして分かった事の一つは、案外お金でどうとでもなるという事だった。あんまり誇れないけど。
あんまり強引な手は使いたくなかったが、こう言う事もしょっちゅうだろうし、何より誰かに告げ口でもすれば、彼も罰則の対象になるだろう。
まあ、そんな感じでうまいことお金を巡らせるのが処世術ってものだ。と、言うのは先輩魔狩のガルチだ。ガルムと名前がよく似ているが、全くの別人である。体格も細めだ。
馬に乗り、操った過程で痛めた足と尻だったが、協会に走って辿り着くまでには治っていた。
俺は協会のドアを開けようと扉に手をかけるが、開かない。
恐らく内側から鍵がかけられている。
「クソ!そりゃそうだよな、真夜中だ!」
俺はその扉を、手が痛いのも構わずにガンガンと叩く。
鉄製の扉だ、これで開くとは思えない。
しかし中にまだ人が残っていれば?気づいてもらえるかもしれない。
そんな淡い期待を持っての行動だったが、どうやら徒労に終わりそうで嘆息する。
しかしそんなことでのんびりしていられるほど余裕はない。
「さすがに居ないか……窓を壊して侵入ってのはやりたく無かったが、仕方がない。異世界に来て鍛えた俺の肉体。アクロバティック侵入のひとつや2つなんのそのだ」
「うるせぇぞ。ノワール」
俺が扉から離れようとすると、先ほど何度も叩いて蹴った扉の内側から声がかかる。
聞き覚えがある、ガルムの声だ。
俺は慌てて扉に駆け寄ると、扉に身を寄せて、内側に立っているであろうガルムに問いかける。
「ガルムさん!どうして……」
「んなことはどうでもいいんだよ。こんな時間に何しに来やがった。こんだけうるさくするって事は、強盗って訳でもねぇんだろ?」
その通りだ。
俺が一瞬押し黙ると、ガルムは「しょうがねえなあ」と呆れながら溢し、扉から離れるようにと指示をした。
ガルムは内側から鉄の大扉の閂を外すと、ギイと音を立てるそれを強く押した。
協会の中は意外に明く、正面近くにあるロザンの像も、月明かりで照らされて神聖な雰囲気すらあった。
そんな協会内に大男ガルムが一人、眠そうに目を擦りながら立っていた。
何故此処にいるのか、しかも一人で。
そんな疑問がまたも口から飛び出そうになったが、今はそんな話をしている時間などない。それはもう分かってる。
俺はガルムに一歩近づくと、思い切り頭を下げて懇願した。
「フェルさんが危ないんです!詳しく説明してる時間は無いんですけど、俺と一緒に魔狩に行ったフーブに襲われて、俺は街に戻って助けを呼べって!だからラードさんのいる場所を教えてください!」
「ちょ、ちょっと待て。ど、どういう事だ?」
「説明してる時間も無いんです!状況は1刻1秒を争います!」
俺がそう言うと、ガルムは頭を抱えた。
眠そうな表情は何処へやら、何かぶつぶつと呟いていた。
「なぜフーブがフェルを襲うんだ?フーブってあの新人だよな?」
「知らないです!もともと俺が襲われてたところを庇われて、俺もなんで襲われたのかわからないんです」
「おいおい……。あのな。その話、信じろって方が難しいぜ」
ガルムが眉を顰めて俺を睨む。
想像以上の圧に思わず怯むが、こんなところで折れてられない。
俺は膝をがっくりと折ると、地面に正座する。
そのままの流れで手を前に出し、頭を地につける。
「頼みます……ッ!この通りです!俺がフェルさんのために出来ることは、1秒でも早くあの場所にラードさんやマヤさんを連れて行くことだけなんです!だから、お願いします!信じられないのは承知の上です、俺だってこんなこと言われたら信じられない。でも、お願いします。ただ、お願いします。俺にフェルさんを助けさせてください!」
「おいおいなんだよその奇妙な頼み方。見た事ないぜ」
「俺の生まれた国で一番丁寧な頼み方です」
その瞬間、俺は失言を悟る。
記憶喪失なのに、俺の国?
「俺の国、だと?記憶を失ってたんじゃねえのかよ?」
案の定、俺の失言にツッコミが入る。俺が頭を上げるとガルムは眉間の皺をより一層深くしているのが見て取れた。
どうする?どう答えるのが正解だ!?
記憶が戻ったと言うのは無理がある。確かにそう言えばガルムは納得するしかなくなる。記憶喪失者の扱いをどうしていいのかなんて今も昔も分かりようがないからだ。
しかし最も重要な、信頼は得られない。
フェルを助けることができなくなるかもしれない。
ただでさえ信頼がものを言うこの状況で、これ以上信頼を失うわけにも、嘘をつくわけにもいけない。
相手が嘘を見破れる能力を持っていないと言う確証もない。ガレルは同じ加護持ちが二人以上いることは珍しくないと言っていたし、彼はもともと腕利きの魔狩だったらしいじゃないか。
加護を持っていたり、他のなんらかの手段で嘘を見破れる可能性もある。
なら、いっそのこと……
「信じてもらえないかもしれませんが、俺は此処じゃない遠くから来たんです。日本、と言うところ。もっと広い括りで言うなら地球というところから」
「は?」
「俺はそこで両親と暮らしていましたが、ある時誰かも知らないやつに殺されて、気がついた時にはもう此処にいました。そこで俺はラードさんに拾われた。文字が書けるのも言葉が話せるのもなんでかわかりません。でも、こんな話誰も信じてくれないだろうし、信じたとして吊し上げられるかもしれない。怖かったんです。だから、記憶喪失と嘘をついていました。でも今、話すことで少しでも信頼が得られるなら、それでフェルさんを助けられると思ったから。俺は今、打ち明けました。誰かに言っても構いません。俺にそれを止める権利はない。でも、お願いします。どうか、それなら、ラードさん達がどこにいるか教えてください。お願いします。お願いします……」
気がつけば頬を涙が伝っていた。
誰かに話せた安心感からではないと思う。
何故かはわからない。でも……
「お前……自分が何言ってるのかわかってんのか」
「お願い、します。こんな俺だけど、守りたいんです、助けになりたいんです」
感情が氾濫して、濁流のように溢れ出す。涙という形になって。
自分でも途中から何を言っているかわからなくなって、でも、したい事はわかってる。
胸の中がぐちゃぐちゃになっている。止まらない涙。それに加えて嗚咽がもれ、呼吸もままならなくなる。
綺麗な土下座の姿勢はとっくに崩れ、溢れていく嗚咽と鼻を啜る音が協会内に反響していった。
「協会を出て、暫く左に行け。それで武器屋が見えたとこで右。そしたら鳥のエンブレムついた宿屋がある。俺が聞いた時と変わってなけりゃ、そこにラード達はいるはずだ」
「え?」
「今日の話は聞いてねえ。お前も此処には来ちゃいねえ。お前は事前に知ってたラード達の宿屋に、訪ねていった。それが今日起こったことの顛末だ」
言葉が出なかった。
涙も、驚いたようにすっと止まった。
嗚咽はまだ少し後を引いているが、あれほどまでに
「ほら、さっさといけ。ったく、俺も鈍ったかな」
「はい!」
*
左腕が、もう使い物にならない。
激痛に耐えながら、私は冷静にそう判断する。
状況は最悪だ。生きているだけ儲け物だが、それでも趣味悪く、最悪だ。
突然現れたふざけた名前の男こと、プチン・プチンが提案した条件付きの戦闘。私とフーブという狂人は、それに従う他になかった。
フーブの場合は部下で、忠誠を誓っているのだろうが、私の場合は従わなければ殺されると分かったからだ。
条件付きの戦闘。それはお互いに、魔法なし。刀で戦うという圧倒的にフーブに有利なルール。
しかし魔法使いの私とはいえ、最低限護身術の心得や技術は持ち合わせてる。
ラードに少し教わった程度だが、ないよりは随分ましだと思うしね。
それに、私の魔力はもう尽きていた。魔法を使って戦闘を続けることはもう不可能だった。
そういう意味でもこの提案は、相対的には状況を有利にしたと言えた。
だが、勝ち目がないという一点においてやはり、状況が変わっていない。
ままならない。イライラする。
「ははは!流石はプチン様だな!こんなに楽しいとは思わなかった!」
「そうじゃろう、これが愛情というものじゃよ!」
「随分迷惑な片思いもあったものね!」
刀という武器をプチンから投げ渡された時の第一印象は、『妙』だ。
剣のようにシンプルなバランスでもなく、魔法のように繊細な扱いを要求される。その上見た目よりも随分と重い。
扱った事もなければ扱いも難しそうな武器。
それを初めて使う人間と、熟練した怪人。
腕力の少ない私と、腕力のあるフーブ。
実際に一合受け損ねただけで左腕に重い衝撃がのしかかり、今や添えるだけのお飾りになっている。
どうしようもなくボロボロな体。明らかな手抜き試合。
精神的にも、屈辱的だ。
全員が黙ったまま数秒が経過する。数分が経過する。
今、まともに打ち合えていることすら奇跡のようなものなのに、それがまだ続くのかと考えると気が遠くなる。
ただ、無心に刀をふるい続ける。
時間感覚や体の痛みなどとっくのとうに麻痺し始めていた。
もともと普通に個人依頼を受けて、寝ようと思っているところで加勢して、数時間もぶっ続けで戦闘を続けた挙句に、勝ち目のないアソビのおもちゃにされ、今だ。
しかもずっと暗闇の中。炎が舞っていた頃にはあたりがよく照らされていたが、今頼りになるのは刀が反射した僅かな月明かり。
剛腕から放たれる高速の刃は一撃一撃が必殺の威力で、対する私の剣筋はふらふらとなんとか受け止めているだけ。
それなのにこれだけ、拮抗していられる。本当に腹立たしいことこの上ない。
どれだけ手加減されているのかもわからない。
充血して赤く血走ったフーブの眼からは、もはや生気というものが感じられなかった。
「あっ……」
「なっ……!」
フーブが自らの振り上げた手を見て瞠目する。
剣が、ない。
私はその隙を逃すまいとフーブの首を狙う。
しかしそれはプチン・プチンの氷によって阻まれた。
私は剣を思い切り弾かれて、それに引きずられるように右へ大きく飛ばされた。
「限界じゃな。いくら血鬼とはいえ、限界があるんじゃよ」
「なっ!まだ俺は終わっていません!まだ戦いたい!」
そのはた迷惑な抗議、いや駄々に、プチン・プチンは笑って応えた。
「できるとも、ワシの血を分けてやろう。そうすれば吸血鬼になって、もっと戦っていられる」
「ふざけるな!」
今までのそれよりも数倍大きく、低い声で、フーブが吠えた。
その声にプチン・プチンがきょとんとした顔になる。
「プチン様は吸血鬼になるほど落ちぶれちゃいないぞ!俺はあくまで自分の種族として生きている!プチン様が吸血鬼になったからといって俺は絶対にならないぞ!」
「バカなやつじゃな。自分の目的を見失っておるのか?お前の目的はなんじゃ?そこの女と戦うこと、そして愛によって殺すことだ!」
「違う!」
フーブとプチンの独りよがりな口論が続いていく。
「違う、だと?貴様私に違うと言ったのか!?愛も知らぬ愚か者め、口答えも大概にしろ!」
「理由はわからないが、俺の目的はプチン様の命令から今、外れたんだ!俺の目的はノワールなる者の殺害だ!」
「それも良いだろう、しかし今目の前の目的は違う!そこの女を殺すことそれ以外にない!」
私の気持ちなどどうでもいいのだろう。
いや、考える気がないクソ野郎と、考えることを知らないクソ野郎と言ったところだ。
違いはあんまりないと思うが、可愛げあるのは後者だろう。
私はどっちもごめんだけど。
「君らさ、なんで私があんた達の思惑通りに殺されたり殺されなかったりすると思ってんの」
「何?貴様は黙っていろ」
「プチン様に黙らせる権利はない!」
私はこんな意味のわからない状況で、何を言おうとしているのだろう。
生きていれば儲け物、さっきそう言ったばかりじゃないか。
なのになんでこんな、バカなことをしようとしているのだろう。
「私は自由が大好きなんだよ。束縛は嫌い。だから私をモノみたいに扱って、自分の好き勝手できると思ってる君たちが大嫌い。フーブ、
「なっ……」
私は刀を地面に投げ捨てると、思い切り足で踏みつけにし、叩き折った。
「な、貴様私の刀をぉ!」
「この際だからはっきりいうけどね!君は全然タイプじゃないの!戦闘狂で、愛を暴力でしか示せないような男を好きになるやつがいると思う!?いないよ!」
「な、なんだって……?」
信じられないように目を見開くフーブ。
本気で愛情表現だと思っていたなら驚きだ。
「もういい、焼け。フーブ」
「いや、だが俺は……」
「回復の魔法をかけてやる。だから
命令という言葉が出た瞬間。フーブの体が硬直し、そこに向かって丁寧に詠唱をするプチン。
そして、回復魔法が使われる。
体に刻まれたいくつもの傷は瞬時に癒え、フーブはそれを享受する。
そしてプチンの詠唱が終わり、魔法がかかり、そこにいたのは完全に傷が癒えたフーブ。
もはや勝ちの目は、完全に絶たれたのだと理解した。
最期の最期で馬鹿なことしたなあ、私。
「さあやれ、フーブ」
「やめろ、やめろ!」
走馬灯のように今までの思い出が駆け巡る。
ほとんどが楽しい思い出。ラードと、マヤとの思い出だ。
人生の半分以上をスラムで過ごし、泥を啜った事もある。
だが、まるでいい人生だったかのように私を彩るそれらの思い出。濃く、美しい冒険の思い出。
あぁ、ラード。
一回ぐらいは、好きって言ってみたかったな。
ねえ、マヤ。
多分ラードはモテモテだけど、私が死んだならあんた以外に、あいつとの結婚なんて認めないからね。
ああ、お父さん、お母さん。
こんな娘でごめんね。家を飛び出してごめんね。
「死んで、ごめんね」
燃えるような熱が私を襲うことも、体を裂く激痛が訪れる事もなかった。
「そういうことは、死んでからいうものだ」
「無茶しちゃってさ、フェルぅ……!死んじゃったら、どうするの!」
涙ぐんだマヤの声と、怒りを含んだ震えたラードの声。
ああ、神様。どこかで見てらっしゃいますか。
私の初恋の人はこんなにも、美しくて、かっこよくて。
私の憎たらしい口調の親友は、こんなにも私を想ってくれていて。
私の頼りない後輩は、期待もしていなかった期待を叶えてくれて。
そんなみんなのおかげで私は、もう一度だけ生きるチャンスをもらって。
「遅いよ、ばか」
森の向こうには朝日が登り始め、薄明るくなっている。
何度見たかわからない朝焼けは、しかしいつもよりもっと、滲んで、ぼやけて、明るく見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます