先輩から


「そんで?」



 ぼけっとジョッキに口をつけていたら、福山さんが話しかけてきていた。上の空だったわたしは「えっ」と言葉を洩らすことしかできなかった。



「いや、好きとか嫌いとかよくわかんねえ、っていうやつの続き」

「あぁ」



 福山さんは、相変わらずにこにこと笑みを浮かべながら、わたしを見つめてくる。エビス顔というか、人に好かれる顔をしているなあ……といつも思う。別に怒っているわけではないが、気づいたらたいてい口を尖らせているわたしとは、対照的な人だ。



 ビールで喉を潤してから、わたしは口を開いた。



「好きっていう感情っていうのもよくわかんないですけど、嫌いっていうのもよくわかんないです。どこからどこまでが好きなのか、はたまた嫌いなのかっていうのは、表裏一体だと思いませんか」

「ふぅん」



 福山さんは興味深そうな感嘆句を洩らしながら、パイプイスの背にもたれる。ギィ、という軋んだ音が、周囲の歓声に混ざって耳に届いてきた。



「続けて、どうぞ」

「たとえばなかなか連絡が取れなかったり会えなかったりしたら、今何してるのかなあ……とか、もしかして他の女と会ってるんじゃないか……とか、そう思うと止まらなくなって、本当に好きなのに大嫌いになっちゃって、結局別れちゃうみたいなことにもなり得るじゃないですか」

「あぁ、なるほど」

「そう思ったら、本当に付き合ったり結婚したりすることがすべて幸せだなんて、言い切れない気がして。いつか終わりが来るのなら、あまり深い付き合いにならなくても、できるだけ長く、ほどよい距離感で仲良くできた方がいいと思うんです」

「ふうん。まあ、何が幸せかなんて、人それぞれだもんな」



 ごくごく……とビールで喉を鳴らした福山さんは、カラになったジョッキをテーブルに置いた。今度はわたしがサーバーのレバーを握ると、福山さんは「ありがと」と一言いいながら、さっきわたしがやったみたいに、ジョッキの内側をノズルに押し当てた。



 でも、わたしは注ぐのがへたくそで、福山さんのビールは泡まみれになってしまった。そのことを詫びるより前に、福山さんはそれをぐっと呷ったあと、口を開いた。



「まあ、それも考え方としては、一理あるよね」



 福山さんのその言葉に、わたしは意外さを隠せなかった。



「へえ……その回答は考えてませんでした」

「なぜ?」

「福山さんって、普段話してる感じだと、そんなふうに考えてるとは思えなくて」

「ぷははっ」



 福山さんは笑い飛ばしたあと、すっと笑みをひっこめて、目を伏せた。



「でも、それは、最近すこし俺の考え方が変わってきたからかもしれない」

「どんなふうに?」



 わたしが首を傾げると、福山さんは「んー、まあ」と頭をぽりぽりと掻いた。わたしは知っている。福山さんがこれをするときは、たいてい「ストレート」を投げてくるときだ。大学の時のサークルでもそうだったし。



 福山さんは、静かに口を開く。



「結局それは、逃げてるだけなんだと思いはじめた」

「逃げてる?」

「相手のことを好きになったら、もっと一緒にいたい、もっと知りたいと思うのは自然なことだろう。もちろんそれによって分かってくることは、いいところだけじゃなく、ちょっとなあ……と思うところも含めてだけど」

「はい」

「相手のことを嫌いになりたくないから、深くまで知ろうとしない……っていうのは、結局は相手の本質から目を背けてるだけなんだよ。それは、相手のことが好きなんじゃなくて、相手のことが大好きな自分のことを大好きでいたいから、だ」

「……」



 まあ要するに「恋をしている自分」に酔っている、ということだろうか。わたしはそんな夢見がちな女ではないと自分では思っていたけれど、見方によってはそういう風に見られることもある……ということなのかもしれない。



 福山さんは続ける。



「人を変えることはできないけど、変わろうとする人を助けることならできると思うんだ。それができるのって、家族の他には、よっぽどの親友か、恋人くらいしかいないだろうし。それに、相手のことが本当に好きなら、厳しいことだって口にしないといけない日が来るし、時には傷ついたり、ぶつかりあうこともある。でもそれを繰り返すことで、磨かれて揺るぎないものに変わる関係っていうのが、恋だったり、愛なんじゃないかなって思う」

「……」



 相手のことが好きなのではなく、相手のことが好きな自分のことが好きなだけ。そう言われると、もしかすると、わたしもそれと同じような気がしてきた。可愛いことのひとつも言えずに、ただ斜に構えてモノやコトを見ることしかできない自分が、どこかかっこいいと思っているところもあるんだと思う。


 こんなわたしでも、誰かに純粋な恋心を抱くことができたのなら、今の自分からはもう少し違った自分が姿を現すのかもしれなかった。





 まあ、とはいえ、まだまだ青いな福山……と言いたい気持ちも、なくはない。あなた、これまで他の女に何回ポイされてきたのか、自分でわかってるの? 「いい男」と「どうでもいい男」もまた、表裏一体なのに。




 でも、他の人にこんな直球を投げられたら、下手をすればいま手元にあるジョッキの中身をぶっかけてもおかしくないのに、わたしはなぜか、それができない。さっき福山さんが言った台詞は、わたしが一番嫌いなタイプの言葉なはずなのに。



「……気に障ったことがあったら、申し訳ないけど」



 わたしがあまりにも押し黙っていたからか、福山さんは伏し目がちにそう言った。



「あっ……いえ。そうじゃなくってですね」



 あわてて否定をしたわたしは、なぜか胸が、急にかっと熱くなる感覚を味わっていた。





 それなら、わたしはこの感情に、どうやって答えを出せばいいのだろうか。




 ひとつは、この甘ちゃんめ、と説教してやりたい気持ち。


 そして、じゃあそれわたしと磨き合ってみませんか、と言いたい気持ち。







 二の句を継げなくなったわたしは、ジョッキに手を伸ばす。



「めずらしく頬が赤いな。飲み過ぎたか?」



 大嫌いなはずなのに、大好きなその人は、相変わらずやわらかな笑顔でわたしを見つめていた。



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