石の命
増田朋美
石の命
石の命
その日は冬というのに、やや暖かい日で、穏やかに晴れていた。昨日は、あんなに寒くて、耳がちぎれそうなほどだったのに、今日はなんでこんなに穏やかな日なんだろうって、みんなそんなことを言っていた。中には、寒さに耐えたご褒美だからとか、何かわけがあるのかもしれないとか、いろんな意見が飛び交って、どれを信用したらいいのかわからなくなってしまうのかもしれない。
杉ちゃんは、その日、たまたま用事があって、富士駅を利用していた。富士駅は、いつもと変わらずごった返していた。杉ちゃんが、切符を駅員に渡して、手伝ってもらったお礼を言って、改札口を出ようとしたとき。改札口の近くで、ひとりの女性が、スマートフォンを片手に、何か険しい顔をして、立っているのがみえた。
「おい、お前さん何をしているんだ?」
と、杉ちゃんは、変な顔をしているその女性に、そう尋ねてみた。ところが女性は答えない。
「お前さんだよ。そこの茶色い毛皮のコートを着ているお前さんだ。一体お前さん、そんなところで、何をしているんだ?」
もう一度でかい声で聞いてみるが、やっぱり彼女が答えなかった。
「お前さん、耳が遠いのか?それとも、ぼくの質問に答えを出さないで、無視を貫き続けるつもりですか?僕はいい加減な回答は、いらないよ。其れよりも、ちゃんと、答えを出してくれないかな。」
杉ちゃんがそういうと、女性は、ぎょっとした様子で、杉ちゃんを見た。
「はあ、反応するということは、耳は遠くないようだなあ。僕が言っていること聞こえるか。其れなら、ちゃんと答えを出してもらえないだろうか。お前さん、そんな風に必死でスマートフォン見て、何をやっているんだよ。」
「いえ、ただ、人を待っているだけなんです。それだけの事で。」
と、彼女は、そう答えるのであるが、
「人って誰だ?家族か?それとも、誰か親戚とかそういうひとか?其れともお前さんのお友達?」
と、杉ちゃんはまた聞いた。
「ええ、友達です。」
と、彼女が答えると、
「はあ、じゃあ、そいつの名は何だ?お前さんをそんな顔するまで待たせるなんて、ひどい奴というか、だらしない奴だな。そんなに時間にだらしない奴で、人間関係結べるのかな。」
と、杉ちゃんはそういうのだった。女性は、これはえらいことになったという顔をしている。杉ちゃんは、それを見逃さなかった。
「おいおいお前さん、お前さん、本当は友達を待っているわけじゃないな。お前さんは、本当は友達じゃなくて、別のやつを待っていたんだろう。其れって誰なんだ?」
杉ちゃんは、すぐに彼女に聞いた。
「いいえそんなことありません。私は、本当に友人を待っているだけです。」
「いや、そんなことはないね。お前さんは、本当は友人を待っているわけじゃない。そうじゃなくて、だれを待っていたんだ?なあ、教えてくれよ。お前さんが、一般的な奴じゃ無いことくらい、知っているよ。お前さんの顔を見れば、一目瞭然だ。お前さんは、何か重大なことがあって、それを、何とかしてほしくて、この駅に来た。違うか?」
彼女がそういうと、杉ちゃんは、直ぐに彼女に突っ込んでいく。
「なんで、そういうことを、私に聞くんですか。他人と私は、何も関係ないでしょう。」
「そうだけどねえ。僕は困っているやつを放っておけない性分なのよ。その癖はいくら直そうとしても直せないので、そのままにしているのよね。だから僕に、関係なくても、何か答えを出してくれ。」
杉ちゃんにそういわれて、女性は、嫌そうな顔をして、杉ちゃんを見た。パッと逃げようと思っても、駅にはたくさんの人が居る。その間をかき分けて逃げようとするのであれば、ますます怪しまれるに違いない。
「なあ。答えを出してくれ。お前さんは、なんで、この駅にきた?なにかわけがあってきたんだろう?」
と、杉ちゃんが、でかい声でまた聞くので、彼女は、とうとう折れたような顔をして、
「ええ、私は、ある人を待っていたのです。別に友人とかそういうことではありません。一寸困っていることが在って、其れで相談したくて。」
と答えた。
「相談ねえ。それは医者とか、そういうひとかな?そういう風に、誰か肩書のある人だったら、安心して会えるかもしれないけどさ。」
と、杉ちゃんが言うと、
「いえ、そういうことではないですけど。」
と、彼女は答える。杉ちゃんはすぐに、
「じゃあ誰か親族とか、そういうやつか?」
と聞いた。
「そういうわけではないですけれど、ただ、私の困っていることを聞いてほしいだけなんです。」
彼女がそう答えると、
「じゃあ、カウンセリングの先生とかそういことか?それも、なんか怪しいよな。其れだって、一種の資格商法でもあるんだし。カウンセリングの先生もピンキリだよ。ちゃんとお前さんのいうことを、しっかり聞いてくれる奴じゃなきゃだめだよな。其れは、どこで予約をとった?電話でちゃんと声を聞いたんだろうな?」
と、杉ちゃんは、すぐに質問を続けてしまう。先ほど述べたように、駅は人がごった返していて、逃げるわけにいかないのだった。其れに杉ちゃんの声がとてもでかいせいで、駅員や清掃の人たちが、チラリチラリと二人のやり取りを見ているのである。
「いいえ、電話したわけじゃないけど、ちゃんとメールでやり取りしたし、しっかり時間を決めたから心配はありません。」
「それなのに、時間を守らないで、深刻な顔をしてるわけ。おかしいな。電車だって、遅れたりしているわけじゃないもんな。そんな人信用するもんじゃないよ。人の時間を何だと思っているやつがいるもんだよな。そういうやつよりも、ちゃんとした、肩書きがあって、しっかり相談に乗れる奴に相談する方がよっぽど安全だよ。お前さんは何について悩んでるの?」
「そうね、私の生活の事かしら。」
あまりにもしつこく言われたせいで、彼女は思わず本音を漏らしてしまった。人間はしつこく聞かれると、思わず本当の気持ちを言ってしまうのである。
「そうか、じゃあ、強い味方を貸すよ。どうせ、時間通りに来ない奴なんて、碌な奴じゃないよ。そんな奴は、こっちからお断りで、もっと、専門的に知識を持っているやつに聞いてみよ。スマートフォンのメールでしか連絡先をよこさない奴なんて、きっとろくな奴じゃないさ。もう、こっちから払い下げて、ちゃんと、人間の声を聞いてくれる人に会いに行こうや。」
と言って、杉ちゃんは切符売り場に車いすを移動させ始めてしまった。もう、周りのひとが、なにが起きたのかと、二人の顔を見ているので、彼女は杉ちゃんの言う通りにするしかなかった。杉ちゃんは、駅員に御殿場駅まで行きたいんだがという。駅員はわかりましたと言って、杉ちゃんを東海道線の上りホームに案内した。彼女も仕方なく、切符を買って改札をして、東海道線のホームに行った。
「ところで、お前さんの名前なんで言うんだ?ちなみに僕の名前は影山杉三だ。ほとんどの人には杉ちゃんと呼ばれているから、お前さんもそういってくれよ。」
と、杉ちゃんは、駅員さんに乗せてもらった電車の中で、彼女にそう聞いた。彼女ももうこうなったら杉ちゃんに従うしかないと思ったのか、
「私の名前は、徳松ありさです。」
と、小さな声で言った。
「はあ、なるほど。きれいな名前じゃないか。ということは、お前さんは、よほど愛されている人間だったんだな。」
と杉ちゃんが言うと、彼女はさらに小さくなった。
「そうじゃないのかい?変なキラキラネームを付けられるより、よっぽど響きが良くてきれいな名前だと思うけどね。そういうもんじゃないの?」
杉ちゃんが言うと、
「ええ、まあ、そうなのかもしれないけど、すくなくとも今は、そんなことないわ。」
と、彼女つまり徳松ありささんは、そう答えるのであった。その答えが、彼女の悩んでいることを象徴しているような気がした。
「お前さんの家族構成は?」
杉ちゃんが聞くと、
「ええ、父と母が居ますけど、今はいるようでいないんです。あたしを生かしておくために仕事を忙しすぎて。」
と、彼女はそう答えるのだった。
「そうか。まあ、親御さんの気持ちとお前さんの気持ちが違うってことか。まあ、特別なことじゃないよ。其れはよくある事だから。」
と杉ちゃんは、出来るだけ明るく答えるけれど、彼女は、ええとだけ言って小さい声で頷くだけあった。
「影山さんでしたっけ。あの、あたしたちはいったいどこに行くんですか?」
と、ありささんは、怖がるような感じでそういうことを言った。
「僕は、本名で呼ばれるのは嫌いだな。杉ちゃんって呼んでよ。杉ちゃんって。」
と、杉ちゃんが答えると、
「じゃあ、杉ちゃんね。あたしたちはどこへ行くんですか?」
「だから御殿場だよ。小久保法律事務所。」
こういう風に、言葉を選ばないであっけらかんと答えてしまうのが、杉ちゃんである。
「法律事務所?」
「そうだよ。そういうひとであれば、悩んでいることだって、直ぐにわかってくれるよ。」
と、杉ちゃんはあっさり答えた。ありささんは、一寸待ってと言って、電車を降りようとしたが、切符が御殿場までとしっかりかいてあったし、途中下車はできないということを知っていたから、それはできなかった。
「まあ、気にしないでちょうだいよ。悪い人じゃないからさ。ちゃんと、相談にはのってくださいますから、大丈夫。」
杉ちゃんに言われて、彼女はそうですね、とだけしか答えが出なかった。杉ちゃんは、まあ、大丈夫だよと言って、口笛を吹いている。
「まもなく、沼津、沼津に到着いたします。御殿場線をご利用の方は、お乗り換えください。」
と、車内アナウンスが流れて、電車は沼津駅に到着した。杉ちゃんとありささんは、待機していた駅員に手伝ってもらって、電車を降りた。そして、エレベーターに乗せてもらい、御殿場線のホームへ連れて行ってもらう。電車は一時間に二本程度しかない超ローカル線であったが、御殿場線はすでに電車が待っていて、杉ちゃんたちが乗り込んで数分後に、発車した。御殿場線は、30分ほど走って、御殿場駅に停車した。そこでも駅員に手伝って貰って、電車を降りる。そして、御殿場駅の富士山口というところで出て、しばらく駅前の道路を歩いていく。一寸時間はかかったが、ひらがなで、「こくぼほうりつじむしょ」と書かれている建物の前で止まった。
「ほら、ここだ。小久保さんのいる小久保法律事務所。」
杉ちゃんは、急いでインターフォンを押した。すると、事務員のおばさんがやってきて、あら杉ちゃん、どうしたの?なんて優しく聞く。
「この女性、名前を徳松ありささんというが、きれいな名前なのに、なんだか悩んでいるみたいなの。ちょっと、聞いてやってくれないかな。」
と、杉ちゃんが言うと、おばさんははいどうぞと言って、杉ちゃんたちを中へ入れてくれた。中に入ると、山のような書類を整理せずに置きっぱなしにしている机に向かっていた、小久保哲哉さんが、
「ああ、どうしたんですか。」
と、急いで彼女のほうを見る。
「ほら、なんでも小久保さんに言ってみな。いつまでたっても、来ないやつに相談なんかするよりも、こういう人に頼んだ方が良いよ。餅は餅屋とは、このことだね。」
杉ちゃんがカラカラと笑って、そういった。
「はあ、困りますなあ。約束したのに、集合場所に現れないというのも、最近は多いですからね。インターネットで知り合ったの中には、そういう悪質な人もいますから、結構困りますな。」
と、小久保さんが、彼女の話にそう同調するように言った。
「もし、約束を守らないというのであれば、ちゃんとその相手に確かめることも必要ですよ。」
同時に、彼女のスマートフォンが、音を立ててなった。
「あの、不届きものから来たのかな?」
と、杉ちゃんが言う。
「ちょっと、見せてもらえないでしょうか?」
と小久保さんが言ったので、彼女は仕方なくスマートフォンを、小久保さんに渡した。
「なんて書いてあるんだ?僕、読めないから読んでみてくれ。」
と、杉ちゃんがそういう。彼女はぎょっとした顔をしていたが、小久保さんは容赦なくメールアプリを開いてしまった。
「ええ。こう書いてありますね。今日で人生終わりにすると約束したはずなのに、今どこにいるんだ、可能であれば調べることもできるんだぞ、と書いてあります。ああ、これはもしかしたら、殺人の予告だったかもしれませんね。ほら、この間もどこかで一人で何人も殺害した事件があったじゃないですか。もしかしたら、それを模倣した犯罪があったかもしれません。運がよかったんですね。杉ちゃんにここへ連れてきてもらえなかったら、あなた、もしかしたら犯罪に巻き込まれていたかもしれません。よかったです。杉ちゃんありがとうございます。」
小久保さんがサラサラというが、実はこれ、重大な事件になっているとは疑いなかった。確かに、杉ちゃんに絡まれていなかったら、彼女もどうなっていたかわからない。
「この、メールを送ってきた人物とは、どうして知り合ったんですか?」
と、小久保さんはありささんに聞いた。
「私が、SNSに投稿して知りました。」
とありささんは答える。
「その時に、何か自殺願望のようなことを投稿したんですか?」
小久保さんがまた聞くと、
「はい。そうです。」
と彼女は答える。
「じゃあ、この人物が何と名乗っていたか、教えていただけませんか。そこから、調べてみれば、どんなことをしていた人物か、わかるかもしれません。」
小久保さんが聞くと、
「本当に教えなければならないのでしょうか。」
と彼女は答える。
「ええ。だって犯罪は犯罪だからね。呼び出して、何か悪いことしようと考えていたんだろうし、行われないでいても、考えるだけで立派な犯罪だよ。」
と、杉ちゃんが言った。
「確かに、犯罪とはいえるのかもしれないけど。」
と彼女は、一寸悲しそうに言った。
「なんだよ。犯罪をした人は、こういうひとに、裁いてもらうのさ。だからそのためにも、お前さんは正当にやられたことを話さなきゃいけないの。それはどんな奴でも同じ。」
と、杉ちゃんが言った。
「そうですよ。あなたに接触してきたとき、何か名乗っていた職業が在れば、それも教えてほしいですね。カウンセリングとか、宗教とかそういうものだったのでしょうか?」
小久保さんも急いでそういうと、
「本当に私がそれを言わなければなりませんか。」
と、彼女は言う。
「当たり前だい。だってお前さんの人生を終わりにするってことは、お前さんの命を奪おうとしたってことになるからな。其れは誰が見てもいけないことだろうが。そうじゃないの?」
と杉ちゃんが言うと、彼女は素直にそうしようという顔をしなかった。そんなこと話したくないという顔をしている。
「もしかしたら、弱みを握ったとかそういことですか?誰か他人に漏らしたら、あなたを何かするとか、話していましたか?」
小久保さんがそう聞くと、
「そういうことじゃありません。ただ、」
と彼女は言いかけてまた黙ってしまった。
「ただなんだ。犯罪はいけないことだよ。其れを始末して、何とかしなきゃいけないのが、警察とか、弁護士の仕事でしょ。それが、当たり前じゃないかよ。」
と、杉ちゃんがそういうと、小久保さんは、杉ちゃんに一寸待ってと言った。
「ちょっと待って下さい。何か、相手から、してもらった事でもあるのでしょうかね。何か、あなたにとって、良かったことがありましたでしょうか。」
小久保さんがそういうと、彼女ははいと言った。
「だって、犯罪は犯罪だろうが。其れはいけないことだよ。其れは、ちゃんと、何とかしなければいけないことじゃないか。だから、犯罪者にしてもらったこと何て、大したことないと思ってよ。犯罪者にしてもらったことよりも、普通の人に何かしてもらうことの方が大事なんだよ。」
と、杉ちゃんがそういうと、
「ええ。でも、私の気持ちをかなえてくれたのは、彼でしたから。」
と、彼女はそういうことを言った。
「気持ちをかなえた?なんだそれ?お前さんの命を狙ってたかもしれないんだぜ?」
と杉ちゃんがそういうと、
「ええ、そのほうがよかったんです。だって私、家の中にいてもどうせ居場所がないし、近所の人には、私が親を働かせている親不孝な娘としか見ていない。私は、そんなことをして、家族を困らせるのであれば、もう死んだ方が良いって、そう思ったんです。だから、その望みをかなえてくれて、本当にうれしかったのに。其の気持ちはどこに行ってしまったんでしょうか。」
と、彼女、徳松ありささんは、そういうのだった。
「まあそうかもしれないけどさ。でも、そうだとしてもだよ。お前さんが自ら命を絶ってしまうというのは、やっぱりいけないことなんじゃないのかな。お前さんは、確かに楽になるかもしれないけどさ、でも、周りのやつらは、絶対喜ぶ奴なんかいないんだよ。」
杉ちゃんがそういうと、彼女は、
「じゃあ、私は、この苦しい気持ちをどうしたらいいんですか。私は、働けないから、みんなに、親の事を苦しめている悪い奴という評価しか出されないんですよ。ただ、やりたいことが在ったとしても、其れだって親を苦しめているしか言われないし、もうこういう人間は死ぬしかないと、思うしかないじゃないですか。」
と、泣きながら言うのであった。
「まあねえ。そういう時は、何も飾りをつけないでさ、助けてって正直に言うことだと思う。少なくとも、僕も、小久保さんも、お前さんの事を疫病神とかそういうことは言わないからね。ただ、見栄を張って、大丈夫だと言ってはいけない。苦しいなら苦しいとちゃんという。之じゃないかな。」
杉ちゃんが、そういうことを言って彼女を励ますが、彼女は泣くばかりだった。まったく、簡単なことじゃないか、と杉ちゃんは、ため息をついたが、
「少しだけ泣かせてやってもいいじゃないですか。」
と、小久保さんは、杉ちゃんに言った。
石の命 増田朋美 @masubuchi4996
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