第三十章

『変貌(一)』

 左腕に違和感を感じた拓飛タクヒの耳に、セイの絶叫が飛び込んできた。

 

「おわあっ‼︎」

 

 拓飛が振り返ると、なんと先ほど息絶えたと思われた志龍シリュウが、横たわった姿勢のまま宙に浮いている光景が眼に映った。

 

「キョ、僵尸キョンシーや‼︎」

 

 再び斉が絶叫を上げた。成虎セイコも驚愕の表情を浮かべて声を失っている。

 

 志龍の身体は頭から爪先までピンッと突っ張ったまま、ゆっくりと旋回して床に降り立った。

 

 その顔色は青白さを通り越して、眼にした者に寒気を感じさせるほどに青みを帯びていた。

 

「志龍、おめえ……⁉︎」

 

 珍しく動揺した様子で成虎が声を掛けたが、志龍は全く反応を見せず、身体の感覚を確かめるように右手を開いては握る作業を繰り返している。

 

 不意にピタリと動きを止めた志龍が顔を上げた。

 

 その眼は金色に輝き、蛇を彷彿させる縦長の瞳孔が強烈な印象を放っていた。

 志龍は首だけを動かして成虎、斉、凰華オウカ、拓飛と順にめ付けた。人間のものとは思えぬ金色の眼光に見据えられると、成虎や拓飛といった剛の者も思わず背筋が凍った。

 

 次いで志龍は右手で顔を覆うと、

 

「……ふふ、ハハハ、ハハハハ…………」

 

 不気味に笑い出した。

 

 この異様な光景に、広間に佇む者は声も出せない。

 

 ひとしきり笑った志龍はおもむろに顔から手を離した。

 

「ひゃあッ! なんや、あの顔‼︎」

 

 怯えた声で斉が指差した先には、右半分が暗緑色の蛇鱗うろこに覆われた志龍の顔があった。

 

「……ようやく、出られたぞ……!」

 

 低くしわがれたその声は、先ほどまでの志龍のものとは明らかに違っていた。

 

「おめえはいってえ……⁉︎」

 

 成虎が再び声を掛けるが、志龍らしきモノはやはり何も聞こえていないかのように黙殺すると、金色の眼を拓飛へと向けた。

 

「……お前は、まだ出て来られないのか……?」

「ああ? なに言ってんだ、てめえ?」

「待て、俺の話————」

 

 拓飛が口を開くと同時に、成虎が詰め寄った。

 

「うるさいぞ……」

 

 志龍らしきモノは面倒臭そうにつぶやくと、蝿でも払うかのように右腕を成虎へ向けて振るった。

 

「————ッ⁉︎」

 

 成虎はそよ風が身体の左側を通り過ぎたのを感じた。ほどなくして遠く離れた背後の柱が鋭利な刃物で切断されたように輪切りになった。

 

「せ、成虎のオッチャン……‼︎」

 

 震える声で斉が指差すと、成虎の身体が左側へかしいでいく。

 

「————オッサン!」

 

 続いて拓飛が叫び声を上げた。

 

「ぐ…………っ!」

 

 呻き声を上げて倒れた成虎の左腕と左脚が床に転がり、滑らかな断面からはドクドクと鮮血が溢れ出した。

 

「そこで転がっていろ」

 

 虫ケラでも見るかのように冷たく言うと、志龍らしきモノは拓飛に向き直った。しばらくその顔を凝視した後、不意に右腕を払う。

 

 見えない何かを察知した拓飛は、瞬時に凰華を抱きかかえて跳躍した。直後、黒檀こくたんで造られた玉座が幾重にも切り刻まれ、バラバラになってしまった。

 

 数丈先に着地した拓飛は志龍らしきモノをキッと睨みつけた。見ればその右腕も暗緑色の蛇鱗うろこに覆われており、指先には鋭く長い爪が伸びている。それはまるで龍の腕が繋ぎ合わされているかのようであった。

 

「てめえ……、妖怪に……‼︎」

 

 志龍だったモノは何も答えず口の端を歪めると、金色の眼を見開いた。

 

 すると、拓飛は一瞬にして身体の熱が上がった感覚に陥り、気付いた時には左腕が虎と化していた。

 

「くっ……」

 

 狼狽うろたえた様子で拓飛が上着の胸元を破り裂くと、その侵蝕は左腕はおろか、遂に首元にまで及んでいた。

 

「何で急にここまで……っ⁉︎」

「お前の覚醒もあと少しだなあ……!」

 

 志龍だったモノは嬉しそうに口を開いた。

 

「————てめえッ! いってえ何者なにモンだ‼︎」

「……そうだな。どうせが出て来れば何も分からなくなるんだ。今の内に教えてやろう」

 

 志龍だったモノは龍の腕を自らの胸に置いた。

 

「俺は妖怪じゃない。『饕餮トウテツ』だ」

「トウテツだと……⁉︎」

 

 初めて耳にした名前に、拓飛は思わず聞き直した。

 

「お前に分かるように言えば、『原初の仙人』の一人という事だ。『邪仙』と言った方がいいかな?」

「————!」

 

 拓飛の脳裏に西王母セイオウボの言葉が蘇った。

 

 この神州の地を創造した超絶の存在————『原初の仙人』。その中のよこしまな心を持った者たちの因子によって妖怪は生まれたのだという。眼前の異形のモノがその『邪仙』そのものだというのか?

 

「ざけんな! そんなモン、ただの御伽噺おとぎばなしだろうが!」

「いいや、嘘じゃないなあ。俺たちは創世の時から肉体うつわを入れ替えて幾星霜も生き永らえてきたんだ。月娥ゲツガの奴もな……!」

 

 『月娥』という名を聞いた凰華の表情が一変した。

 

「月娥? 誰だ、そりゃ?」

「西王母のバアさんの名だ……」

 

 拓飛が訊き返すと、斉に支えられながら左腕の治療をしていた成虎が口を差し入れた。

 

「ふふ、そうだ。奴は肉体うつわが古くなる度におのれの魂を別の美女に移し替えて、現在いまは白虎派の掌門に収まっているという訳さ」

 

 とっさの作り話で西王母の名が出るものではない。なにより先ほどの人間離れした技とその風貌が、突拍子もない語りに不気味な真実味を帯びさせていた。

 

「……待て、魂を入れ替えるだと……⁉︎ 饕餮とか言ったな、おめえは志龍の身体を乗っ取ってやがったのか⁉︎」

 

 続けて成虎が問い掛けると、饕餮は今度は向き直って答えた。

 

「少し違うなあ。俺はお前たちが言うところの十九年ほど前に肉体うつわを変える必要があった。その時、この男を見つけて入り込んだのさ。並の人間であれば俺の魂が入るだけで意識を乗っ取られるものだが、この男は大した精神力でな。結局、死ぬまで俺に意識を渡さなかった」

 

 饕餮はここで言葉を区切ると、下卑た笑みを浮かべた。

 

「だが、コイツは心に弱いところがあってなあ……、日夜ソコをつついてやると、いい具合に操る事ができたぞお……! ゲヒャヒャヒャヒャ……」

 

 聞くに堪えない耳障りな笑い声が広間に響き渡る。黙って聞いていた成虎の眼に憤怒の炎が宿った。

 

「志龍が聞こえていた声ってのは、てめえの事だったのか……‼︎」

「そうだ。清廉潔白な男が堕ちていく様を間近で観るのは痛快だったぞ……!」

「てめえ……っ‼︎」

 

 成虎は激怒した拍子に氣が乱れ、繋がりかけていた左腕がまた離れてしまい、その様子を見た饕餮は再び高笑いを上げた。

 

「何が面白おもしれえんだ、クソ野郎……!」

 

 拓飛が静かに口を開くと、饕餮はピタリと笑みを止めた。

 

「てめえが妖怪だろうと、妖怪を生み出した野郎だろうと、どうでもいい。ブチ殺してやる……!」

「……おやおや、仲間に向かって随分とツレない事を言うものだな」

「なにい⁉︎」

 

 饕餮は龍の指を拓飛に突きつけた。

 

「————お前は、『檮杌トウコツ』。俺と同じ邪仙の一つよ……!」

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