『変貌(二)』

 饕餮トウテツが口にした名は、広間にいる誰にとっても初めて耳にするものであった。

 

「トウコツ……? 俺が邪仙だと⁉︎ てめえ、何ふざけた事ぬかしてやがる⁉︎」

「お前のその左腕がなによりの証ではないか?」

「…………!」

 

 拓飛タクヒは痛いところを突かれたように、自らの左腕を見つめた。

 

西王母セイオウボのバアさんはそんな事は何も言って…………」

「おやおや……おのれに都合の良い話は飲み込んで、それ以外は嘘と吐き捨てる。随分と自分本位な事だ」

「…………っ!」

 

 何も言い返せない拓飛だったが、しばらく沈黙した後、

 

「……てめえの……」

「んん? 何か言ったか?」

「————てめえの目的はなんなんだッ‼︎」

 

 苛立ちまじりに怒号を上げた。

 

「目的か、お前はそんな事すら忘れてしまったのか、檮杌トウコツ

「俺は、リョウ拓飛だ! んなワケの分からねえ名で呼ぶんじゃねえ‼︎」

 

 再び拓飛が怒鳴り声を上げたが、饕餮は思案するようにあごに手をやった。

 

「ふうむ、話している内に奴が出てくるものだと思っていたが、どうやら思念の奥深くに眠っているようだな……」

 

 拓飛の風貌をしげしげと見回した饕餮は、不意に笑みを浮かべた。

 

「成程……、そういう事か」

「何がだ、この野郎!」

 

 いつもの拓飛であれば、とうの昔に殴りかかっていたところだったが、今はどうしても眼前の邪仙を名乗る存在から情報を聞き出したかった。

 

「お前、歳はいくつだ?」

 

 予想だにしない質問だったが、拓飛は素直に答える。

 

「……十九だ。それがどうした」

「ふふふ、やはりそうか」

「勿体ぶらねえで早く言いやがれ!」

「言っただろう、十九年前に肉体うつわを変える必要があったと。あの時、俺と檮杌は月娥ゲツガ肉体うつわを破壊され魂のみになっていた。そこで俺たちは二手に分かれて奴の追撃から逃れたのさ」

「ま、まさか……!」

 

 何かに気付いた様子の拓飛の眼が見開かれた。

 

「……そうだ。俺はこの男の身体に入り込み、お前は一人の女のはらの中へ逃げ込んだ」

「…………‼︎」

「そこで産まれつつあった胎児の魂と混ざり合った為、お前の魂の記憶は薄れてしまったのだ、檮杌よ」

 

 拓飛は眼の前が真っ白になった。

 

 

 ————この年齢にそぐわぬ白髪も、血のように赤い眼も、檮杌という邪仙の魂によるものだと言うのか?

 ————母は、そのせいで命を落としたのではないのか?

 

 

 拓飛は思わず腕の中の凰華オウカに眼を向けた。

 

 自分を見つめる凰華と眼が合ったが、様々な思いが渦巻いているようで、その感情は読み取れない。

 

「気を付けろよ? 力を込めると、女を斬り裂いてしまうかも知れんぞ?」

 

 饕餮の言葉に拓飛はビクリとして、凰華を支えていた左腕を離した。凰華は必死に『大丈夫』と眼で訴えたが、拓飛は凰華に怯えた眼を向けられる事が恐ろしくなり、顔を背けてしまった。

 

「……さて、言葉で揺さぶってもらちが明かないようだ。ならば、別の手を考えなければな」

 

 饕餮が言うと、拓飛はゆっくりと口を開いた。

 

「……だったら、どうするってんだ? 俺の身体にでも訊くか……⁉︎」

「そうだな、それもいいが————」

 

 饕餮の視線が拓飛の胸元へと向けられた。

 

「————ッ‼︎」

 

 拓飛は凰華と共に再び跳躍した。一拍遅れて背後の壁に、龍の爪が立てられたような五本の傷が刻まれた。

 

「ふふ、勘のいい事だ。いや、檮杌の魂が教えてくれるのかな?」

「てめえ、やめろ! 狙うなら俺を狙いやがれ‼︎」

「いやいや、俺はお前を狙ったぞ? 女を巻き添えにしたくないのなら、簡単な事だ。そこに女を置いて離れればいい」

 

 そう話す饕餮の眼に真実など微塵も見られない。

 

「やめろ……! てめえ、ぶっ殺すぞ……‼︎」

「怖い怖い……、いいぞお? 女を置いて向かってくるがいい」

 

 饕餮は挑発するように手招きするが、拓飛はどうしても凰華を手放す事が出来ない。

 

 その様子を見ながらセイが慌てて成虎セイコに声を掛けた。

 

「オッチャン、まだくっつかへんのか⁉︎ はよせえへんとヤバいて!」

「もう少しだ……! だが、次は脚を繋がねえといけねえ……!」

 

 精神を集中させなければ氣は乱れるばかりである。しかし、義子むすこと友の娘が窮地に陥っているというのにおのれは何もしてやる事が出来ない。成虎は悔しげに唇を噛んだ。

 

 その間にも拓飛は右腕で凰華を抱えて、右に左に飛び回っている。

 

 笑みを浮かべた饕餮が右腕を振るうたびに、拓飛の身体に傷が増えていく。どれも紙一重のところで外しており芯は食っていないが、いずれ深い傷を負うのは時間の問題に思われた。

 

「ッ!」

 

 ほどなくして拓飛は顔をしかめて動きを止めた。左腿からドクドクと血が流れ出し、衣服を朱に染めた。

 

「ふふふ、その脚で今までのように躱す事が出来るかな……?」

「くっ……!」

 

 凰華はその身がズタズタに引き裂かれる心境だった。またしても自らが重荷となって愛する男を死地に追い込んでいる。それは凰華にとって、自らが傷つけられるより何倍も辛い事だった。

 

 しかし、その身体は父の手によって穴道を封じられており、指ひとつ動かす事も出来ず、声すら発する事もままならない。

 

 封じられた穴道は外部から同じ箇所を突いて、とどこおっている氣を正常に流してやる事でひらけるのだが、拓飛にその余裕はない。

 

 凰華は無念の涙を流した。

 

 

 ————また、あたしのせいで拓飛が————‼︎

 

 

 その時、凰華の丹田から熱い真氣がほとばしり瞬く間に胸元へ駆け巡った。それは封じられた穴道を内側から強烈に刺激し、見事に押し開いた。

 

 突如、身体に自由を感じた凰華は拓飛の腕を振り払うと、饕餮に向かって怒りの声を発した。

 

「卑怯者! あたしはこっちよ!」

「凰華! よせ‼︎」

 

 凰華は拓飛の制止を聞かずに距離を取った。

 

 饕餮はニタリと口の端を歪めると、凰華へ向けて右腕を振り下ろした。

 

「凰華‼︎」

 

 龍の爪が空間と共に凰華の身体を斬り裂くと思われた時、何かが拓飛を追い越し、勢いのまま凰華を突き飛ばした。

 

「————ッ拓飛! 今やッ‼︎」

 

 凰華の代わりに脇腹をえぐられながら、斉は叫び声を上げた。

 

 斉の声に呼応するように拓飛が氣を左腕に巡らすと、白虎手はかつてないほど大きく長く肥大化していく。

 

「いいぞ、いいぞお! どんどん、その腕を振るうがいい————」

 

 歓喜の表情を浮かべた饕餮だったが、次いでその顔が歪められた。苦痛に下を向けば、胸から巨大な拳が突き出ているのが眼に入った。

 

「悪いが、バケモン相手に礼を尽くす気はねえぜ……!」

「貴様……ッ!」

「————喰らいやがれェッ‼︎」

 

 背後からの成虎の突きに気を取られた饕餮の身に、拓飛の渾身の白虎手が振り下ろされた————。

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