第二十四章
『恋情(一)』
夜を徹して、街道を東へと駆ける駿馬の姿があった。
馬上には、雪のように真っ白な外套を纏った少女が乗っている。少女も馬も憔悴しきっている様子が窺えたが、少女は手綱を緩めるどころか、ますますその手に力を込めた。
少女の名は、
あの夜、宿で
————容貌でも武芸でも、あたしは燕児さんに遠く及ばない……。
思えば自分は無理矢理に拓飛にくっついていき、何度も拓飛を危険な目に遭わせている。きっと燕児ならば、如才なく拓飛を支えてくれるだろう。
————拓飛が幸せになるのなら、隣にいるのは、あたしじゃなくたっていい……。
自分は天涯孤独の身で、拓飛に何も与えるものを持っていない。自分に出来る事は、愛する男にこれ以上、危害が及ばないように芽を摘む事だけである。
青龍派の掌門に直談判して、もう拓飛を襲わせないように取り付ける————。
それがどんなに困難な事かを思考する頭脳など、どこにも存在しない。
思い立った凰華は夜が明けると、白虎派の任務と偽った書き置きを残した。正直に書くと、きっと拓飛は自分を追いかけて来ると考えたからである。
白虎派の任務を放り出して、私情を優先させるとなると、
『……ごめんね。お別れよ、桃花。今まで、ありがとう。
凰華は桃花と焔星を抱きしめると
夜の街道に、まるで天が泣き出したように大粒の雨が降り出した。
昼夜問わず走り詰めで、ろくに水分も摂っていない人馬にとって正に恵みの雨とも言えるものだったが、凰華にとっては別の意味があった。
(……ありがたい。雨が、この涙を流してくれる……)
宿を飛び出してからというもの、凰華の眼には常に涙が溢れていた。どんなに拭っても、拭ったそばから新しく溢れ出て来るのである。
(————何を泣く事があるの? きっと拓飛は
自分に言い聞かせるように念じると、凰華は強いて笑みを浮かべるが、脳裏に拓飛と過ごした日々の情景が走馬灯のように蘇った。
(————何を考えているの? もう、あの人の事は忘れるのよ)
しかし、どんなに振り払おうとしても、次から次へと思い出が泉のように湧き出てきてしまう。長時間、夜の雨に打たれ身体は冷え切っていたが、胸の奥がポカポカと温かみを帯びてきて、寒さなど何も気にならなくなった。
だが、次の瞬間には、拓飛と燕児が睦まじく微笑み合う姿が浮かんできた。
突然、耐え難い痛みが胸を襲い、凰華は馬の制御を失った————。
朦朧とする意識の中、誰かが自分を抱きかかえるのが感じられた。
鉛のように重いまぶたをこじ開けると、どうやら男のようだが視界が暗く、それが誰なのかまでは判別ができない。
「……拓飛、なの……?」
「…………」
男は何も答えず、再び凰華のまぶたは閉じられた。
どのくらい眠っていたのだろうか、パチパチという木の爆ぜる音が聞こえ、凰華は眼を覚ました。
痛む身体をなんとか起こすと、眼の前に焚火があり、ずぶ濡れになっていた服は大方乾いている。
辺りを見回すと、どこかの建物の中のようである。しばらく惚けたようにボーっとしていたが、次第に記憶が蘇ってきた。
確か馬の制御を失い落馬して、気を失っていた所を誰かに助けられたはずである。
————まさか、拓飛が自分を追いかけて来て、助けてくれたのだろうか?
そう思うと、急に身体の力が戻ったような気がして、凰華はゆっくりと立ち上がった。
改めて周りに眼を配ると、ボロボロに朽ち果てた家具や、今にも崩れ落ちそうな梁などが見える。人の生活している様子は無く、どうやらどこかの廃屋の中のようである。
荒れた窓に眼をやると、すでに夜が明けているが、依然として雨が降っていた。
その時、戸口からパシャパシャと水たまりを踏む音が聞こえてきた。
凰華の心臓が痛いくらいに高鳴り、淡い期待と共に戸口に視線を送る。
数秒後、男の影が戸口に現れた。室内は薄暗く、逆光も相まって、にわかには男の顔が判別できない。
「————良かった。眼を覚ましたんだね……!」
意中の男とは違う柔らかい声質————男は青龍派の門人、
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