第二十三章
『別離(一)』
「……凰華がいねえだと……?」
「
「いや、凰華の荷物が無くなっていて、卓の上にこんな物が置いてあった」
『白虎派の任務のため、ここでお別れします。一日でも早く拓飛の腕が治るよう祈っています』
文面を見た
「なんやコレ? 白虎派の任務て、朱雀派の総本山に行くんが任務とちゃうの?」
「別の任務を言い渡された事も考えられる。白虎派の門人が接触して来た事はなかったか?」
「接触なあ……、そんなんあったかなあ?」
斉が腕組みしながら唸ると、押し黙っていた拓飛が口を開いた。
「————
「武海……? ああ、アレか!」
武海と聞いた斉はポンと掌を打った。
「武海の街で何かあったのか?」
「城壁にミミズが這ったような落書きが書いてあって、それを見た凰華が一時姿を消した事があった。そん時は特に気にも留めてなかったけどよ……」
「おそらく、その落書きは白虎派の
「『ふちょう』て何?」
斉が不思議そうに尋ねる。
「符牒とは門人にのみ通じる合言葉だ。朱雀派にもいくつかある」
「なるほど、つまりあの時、凰華ちゃんはお花摘みに行ってたんとちゃうくて、白虎派のモンと
「そうかも知れな————」
燕児の言葉が終わらぬ間に突然、拓飛が走り出した。
「おおい! 急にどこ行くねん、拓飛!」
斉と燕児が急いで後を追う。
拓飛は宿の
「急にどないしてん、拓飛」
「……
「桃花?」
見れば桃花はつぶらな瞳をこちらに向け、『主人はどこ?』といった風に軽くいなないた。その隣では
この様子に、燕児が形の良い顎に手を当て呟く。
「妙だな、桃花は凰華が白虎派に借り受けているのだろう? 任務であれば乗って行くのが普通だが……」
「……律儀なアイツの事だ。任務外の事に桃花を使うのは気が引けたんだろう」
「ちゅう事は、凰華ちゃんは白虎派の任務で出て行ったワケやない言う事かいな!」
「多分な……」
拓飛が低く答えると、燕児が頭を下げた。
「すまない。凰華が朝方部屋を出て行くのに気が付いてはいたんだが、厠だと思い声を掛けなかった」
「別にお前が謝る事じゃねえよ」
そう言うと、拓飛は母屋の方へ歩き出した。
「どこ行くねん、拓飛!」
「どこって、戻って朝飯を食うんだよ。食ったらすぐに
「何言うてんねん! きっと凰華ちゃんは別の馬を手に入れたはずや! 売った店を捜せば、行き先の見当くらいは付くかも知れへんやろ! 朝方やったら、まだそう遠くには行ってへん!」
「
拓飛が背を向けたまま冷たく答えると、斉が珍しく真顔になった。
「……おい、ホンマに言うてんのか、ソレ……!」
「ああ、おめえも捜しに行きてえなら勝手に行けよ。別に止めねえぜ?」
「————お前が行かへんかったら意味が無いやろ‼︎ この強情っぱりが! 後で後悔せえや‼︎」
斉は怒鳴り声を上げると、拓飛を追い抜き、大股で母屋に戻って行った。
「斉の言う通りだ、いま追いかければ見つかるかも知れない。いいんだな、拓飛……?」
「……ああ」
燕児の確認に拓飛は小さく答えて、再び歩き出す。
その背を見送る燕児の脳裏に、昨夜の出来事が蘇る。
『君はどうなんだい、凰華?』
『……あたしは…………好きじゃない……』
『え?』
思いも寄らぬ答えに、燕児は驚きを隠せない。
『だって、拓飛って目付きも口も態度も悪いし、意地悪でぶっきら棒だし、ガサツで乱暴でしょ? 成り行きで一緒に旅をしてるけど、あたし本当は、ああいう人って苦手なんだよね』
凰華はあっけらかんとした口調で拓飛の短所をまくし立てる。そこまで言う事はないと思い、燕児はムッとして反論しかけたが、
『————でも、良い所もいっぱいあるし、意外に繊細で傷つきやすい所もあるから、燕児さんが支えてあげてね。燕児さんはあたしよりも強くて……美人だから、きっと……お似合いよ……っ』
次第に震える声で凰華が言い終えると、それ以降、燕児が話し掛けても眠ってしまったようで何も答えなくなった。
「————拓飛っ」
「あ?」
燕児は昨夜の会話を拓飛に話そうと思ったが、何故か言葉は喉で詰まり、どうしても発する事が出来ない。
「何だよ?」
「い、いや……」
「……? 早く来いよ。おめえがいねえと始まらねえだろ」
「あ、ああ……すぐに行く」
逡巡している間に拓飛は厩を出て、その姿が見えなくなった。
一人残された燕児がひとりごちる。
「……私は、こんなにも卑怯者だったのか……」
どんな強烈な拳打を喰らうよりも強い痛みが燕児の胸を襲い、絞り出すように発せられた声は、蚊の鳴くようなか細いものだった。
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