第二十三章

『別離(一)』

 凰華オウカの姿が見えないと聞いた拓飛タクヒは、残っていた眠気が一気に覚めた。


「……凰華がいねえだと……?」

かわやとちゃうんか?」

「いや、凰華の荷物が無くなっていて、卓の上にこんな物が置いてあった」


 燕児エンジは懐から一通の文を取り出した。


 

『白虎派の任務のため、ここでお別れします。一日でも早く拓飛の腕が治るよう祈っています』


 

 文面を見たセイが首を捻る。


「なんやコレ? 白虎派の任務て、朱雀派の総本山に行くんが任務とちゃうの?」

「別の任務を言い渡された事も考えられる。白虎派の門人が接触して来た事はなかったか?」

「接触なあ……、そんなんあったかなあ?」


 斉が腕組みしながら唸ると、押し黙っていた拓飛が口を開いた。


「————武海ぶかいのアレか……!」

「武海……? ああ、アレか!」


 武海と聞いた斉はポンと掌を打った。


「武海の街で何かあったのか?」

「城壁にミミズが這ったような落書きが書いてあって、それを見た凰華が一時姿を消した事があった。そん時は特に気にも留めてなかったけどよ……」

「おそらく、その落書きは白虎派の符牒ふちょうだろう」

「『ふちょう』て何?」


 斉が不思議そうに尋ねる。


「符牒とは門人にのみ通じる合言葉だ。朱雀派にもいくつかある」

「なるほど、つまりあの時、凰華ちゃんはお花摘みに行ってたんとちゃうくて、白虎派のモンとうてたんやな」

「そうかも知れな————」


 燕児の言葉が終わらぬ間に突然、拓飛が走り出した。


「おおい! 急にどこ行くねん、拓飛!」


 斉と燕児が急いで後を追う。


 


 拓飛は宿のうまやで足を止めた。追いついた斉が背後から尋ねる。


「急にどないしてん、拓飛」

「……桃花トウカが残ってやがる」

「桃花?」


 見れば桃花はつぶらな瞳をこちらに向け、『主人はどこ?』といった風に軽くいなないた。その隣では焔星エンセイも不思議そうに視線を向けた。


 この様子に、燕児が形の良い顎に手を当て呟く。


「妙だな、桃花は凰華が白虎派に借り受けているのだろう? 任務であれば乗って行くのが普通だが……」

「……律儀なアイツの事だ。任務外の事に桃花を使うのは気が引けたんだろう」

「ちゅう事は、凰華ちゃんは白虎派の任務で出て行ったワケやない言う事かいな!」

「多分な……」


 拓飛が低く答えると、燕児が頭を下げた。


「すまない。凰華が朝方部屋を出て行くのに気が付いてはいたんだが、厠だと思い声を掛けなかった」

「別にお前が謝る事じゃねえよ」


 そう言うと、拓飛は母屋の方へ歩き出した。


「どこ行くねん、拓飛!」

「どこって、戻って朝飯を食うんだよ。食ったらすぐに紅霞島こうかとうに向かうぞ」

「何言うてんねん! きっと凰華ちゃんは別の馬を手に入れたはずや! 売った店を捜せば、行き先の見当くらいは付くかも知れへんやろ! 朝方やったら、まだそう遠くには行ってへん!」

自分てめえの意思で出てった奴を、何で俺が捜す必要があんだ?」


 拓飛が背を向けたまま冷たく答えると、斉が珍しく真顔になった。


「……おい、ホンマに言うてんのか、ソレ……!」

「ああ、おめえも捜しに行きてえなら勝手に行けよ。別に止めねえぜ?」

「————お前が行かへんかったら意味が無いやろ‼︎ この強情っぱりが! 後で後悔せえや‼︎」


 斉は怒鳴り声を上げると、拓飛を追い抜き、大股で母屋に戻って行った。


「斉の言う通りだ、いま追いかければ見つかるかも知れない。いいんだな、拓飛……?」

「……ああ」


 燕児の確認に拓飛は小さく答えて、再び歩き出す。


 その背を見送る燕児の脳裏に、昨夜の出来事が蘇る。


 


『君はどうなんだい、凰華?』

『……あたしは…………好きじゃない……』

『え?』


 思いも寄らぬ答えに、燕児は驚きを隠せない。


『だって、拓飛って目付きも口も態度も悪いし、意地悪でぶっきら棒だし、ガサツで乱暴でしょ? 成り行きで一緒に旅をしてるけど、あたし本当は、ああいう人って苦手なんだよね』


 凰華はあっけらかんとした口調で拓飛の短所をまくし立てる。そこまで言う事はないと思い、燕児はムッとして反論しかけたが、


『————でも、良い所もいっぱいあるし、意外に繊細で傷つきやすい所もあるから、燕児さんが支えてあげてね。燕児さんはあたしよりも強くて……美人だから、きっと……お似合いよ……っ』


 次第に震える声で凰華が言い終えると、それ以降、燕児が話し掛けても眠ってしまったようで何も答えなくなった。


 


「————拓飛っ」

「あ?」


 燕児は昨夜の会話を拓飛に話そうと思ったが、何故か言葉は喉で詰まり、どうしても発する事が出来ない。


「何だよ?」

「い、いや……」

「……? 早く来いよ。おめえがいねえと始まらねえだろ」

「あ、ああ……すぐに行く」


 逡巡している間に拓飛は厩を出て、その姿が見えなくなった。


 一人残された燕児がひとりごちる。


「……私は、こんなにも卑怯者だったのか……」


 どんな強烈な拳打を喰らうよりも強い痛みが燕児の胸を襲い、絞り出すように発せられた声は、蚊の鳴くようなか細いものだった。

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