第十一章
『桃源郷(一)』
焔星の背に乗って山脈の斜面を駆け登ると、次第に雪の勢いが強くなってきた。やがて雪は吹雪になり、氷のつぶてが容赦なく凰華と焔星の身体に襲い掛かる。凰華は眼も開けていられなくなった。
「ごめんね、焔星。もうちょっと頑張ってね」
凰華が焔星の
四半刻は空を駆けた頃、肌を刺す氷のつぶてが弱まったように感じられた凰華がなんとか眼を開くと、前方に吹雪が竜巻のように渦を巻いているのが見えた。
『それじゃ。その渦に飛び込むが良い』
西王母の声は大吹雪の中でも、はっきりと耳に響いて来る。しかし、凰華の脳裏にこのまま突入しても大丈夫だろうかと疑念が生まれた。吹雪の渦は遠目からでも凄まじい速さで渦巻いているのが見て取れる。
それに、声の主——西王母——は話し振りからどうやら白虎派の掌門のようだが、顔も見えない相手では、それもどこまで信用していいのか分からない。
自分一人だけならば騙されたとしても構わないが、今は焔星の背に乗っているし、何より拓飛がいる。この状況下でも眠り続けている拓飛に考えが及ぶと、凰華に迷いは無くなった。
「焔星、お願い。拓飛のために、あの渦に飛び込んでちょうだい……!」
凰華は自分に言い聞かせるように手綱を握る手に力を込めた————。
————長い吹雪の渦を抜けると、そこは仙境であった。
凰華がまず感じたのは鼻腔を刺激する桃の花の香りだった。しかし、先ほどのように吸い込んでも意識が遠くなる事はなかった。
恐る恐る眼を開けると飛び込んで来たのは、先ほどまでの白と黒だけの世界ではなく、一面の青であった。
空は雲一つ無い晴天で、周囲には桃の木が生い茂り
「ここは……」
この雰囲気に凰華は覚えがあった。拓飛と二人で迷い込んだ霧の樹海の中にあった龍穴とそっくりだったのだ。
『よくぞ参られた。白虎派の総本山『桃源郷』へ。歓迎致すぞ、
再び西王母の声が響いてきた。
「西王母さま! 拓飛を、どうか拓飛を目覚めさせてください!」
『よろしい。そのまま真っ直ぐに進むがよい』
凰華が声の通りにしばらく進んで行くと、崖に行き着き、その先から階段が天空へと果てしなく伸びているのが見えた。眼を凝らしても階段の先がどこに繋がっているかは分からない。
『残念じゃが、その先はその白馬では入れぬ。自らの足で登って参れ』
凰華は焔星から降りると、労うようにその首を撫でた。
「ここまでありがとね、焔星。ゆっくり休んでいて」
凰華は拓飛を背負うと、階段に足を掛けた。
背が高く、鍛え上げられた拓飛の肉体は大きく重い。さらには死んだように眠っているため、その重さは全て凰華の身体にのしかかって来る。
いくらか内功の基礎が出来ている凰華だったが、人ひとりを背負いながら、何段あるかも分からない階段を登っていくのは困難であった。しかし、その足は止まる事なく一段一段と着実に歩を進める。
無心で階段を登っていく内、凰華の脳裏に拓飛と出会ってから今までの出来事が蘇ってきた。
故郷の賭場で拓飛と初めて出会った事、父が人虎に命を奪われた事、森で猪の妖怪と闘った事、鏢師の真似事をした事、
拓飛と出会わなければ、きっと自分は故郷で平凡に一生を終えていただろう。頑固な父はきっと死ぬまで自分に内功を教えてくれなかっただろうし、父が病で無くなった後、身寄りの無い自分は寂しさから
それが今やどうだ、西の果ての仙境に迷い込み、終わりの見えない階段を登っているのだ。思わず凰華は笑みをこぼした。
「ふふ。ねえ拓飛、覚えてる? 初めて会った時、あたし拓飛の事を人虎だと思ったんだよ? だって拓飛、あの時すっごい怖い顔してたんだから」
凰華は拓飛に話しかけるが、昏睡状態の拓飛から返事は無い。
「その後、駆けつけた父さんと格闘になって、あたしが止めに入ったら飛んで逃げちゃったけど、あれは蕁麻疹が出たからだったんだよね? あの時はホントびっくりしちゃったわよ」
笑顔を見せながら話していた凰華だったが、次第にむくれた表情に変わっていく。
「二度目に会ったのは廃廟だったよね。あたしあの時はホントに怒ってたんだよ。だって、あの時の拓飛ってすっごく意地悪だったんだもん」
口を尖らせていた凰華の表情が、穏やかなものになっていく。
「……でも、拓飛が父さんのお墓を作るの手伝うって言ってくれた時は、本当に嬉しかったよ……!」
あの日の出来事に想いを馳せると、自然と涙が溢れて来る。
「……ごめんね。先に謝っておくけど、もし拓飛が危ない目に遭ったら、例え拓飛に嫌われても、やっぱりあたし助けに行っちゃうと思う。だって拓飛は、あたしの……」
ずっと足元を見ながら階段を登っていた凰華の眼に、最後の段が見えた。顔を上げると階段の先は浮島のようになっており、目の前に大きな宮殿が建っている。
『ようこそ、
西王母の声と共に、巨大な門扉が一人でに開き出した。
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