『帰郷(七)』
あの違和感の正体に気付いた
見れば
拓飛は懐から銭を取り出すと、指で弾いて飛ばした。氣を込められた銭は真っ直ぐに飛んで行き、薬湯の入った碗を粉々に砕いてしまった。
「何をする!」
「な、何をなさるのです! 拓飛様!」
堅宗と孝舟が異口同音に叫んだ。
拓飛は無言で二人に近づくと、スンスンと鼻を鳴らした。
「……やっぱりな。孝舟、その薬湯には何が入ってた?」
孝舟は薬湯と聞いて一瞬、眉が釣り上がったが、すぐにぎこちない笑顔に戻った。
「……突然何をおっしゃいます。これは私が調合した薬湯で
孝舟が挙げた薬剤は全て身体に良い物で間違いなかったが、拓飛の眼光がギラリと光った。
「確かにな。ただ、一番大事なモンが抜けてんじゃねえか? ————『
融雪香と聞いて、孝舟の眼が大きく見開かれた。
「融雪香? 何じゃそれは?」
「——馬鹿な! 融雪香は無味無臭のはずだ!」
今度は二人の返事はバラバラだったが、次いで孝舟はマズいといった表情で口元を覆った。
「馬脚を現したな、孝舟。融雪香は一般人が知ってるような代物じゃねえ。何でそんなモンをお前が知ってる?」
「そ、それは……」
孝舟は脂汗をかいて口ごもった。
「融雪香は味も臭いもしねえと言われてるがな、実際はほんの少しだけ甘い匂いがすんだよ。一般人は騙せても、内功で鍛えられた俺の鼻はごまかせねえ」
「……! ど、どうしてお前がそんな事を知っている!」
「
堅宗が関心したように口を開いた。
「ほう、岳殿は薬物にも精通しておられるのか。して、その融雪香とはどのような効能があるのじゃ?」
「効き目は大して強くねえが、一年も続けて飲めば、手足に痺れが出て、最後には心臓が麻痺するらしいぜ」
「何じゃと⁉︎」
堅宗は驚きで目を剥いた。それは自分の症状と全く同じだったのである。
「要するに一年後には飲ませた奴を、怪しまれずに病死させる事が出来るってワケだ。なあ、孝舟」
孝舟は俯いて何も答えない。
「孝舟、何故じゃ! ワシはお前に商いの一切を任せておったじゃろう……!」
「……そうですな。ですが、旦那様。拓飛様が戻られたら、家督は拓飛様に譲られるのではないですか?」
「それは……」
堅宗が言い淀むと、孝舟は本性を現した。
「それ見た事か! 俺は十の頃からお前に仕えて来たんだ! こんな妖怪に全て奪われてなるものか! だからお前に毒を盛ってやったんだ!」
「妖怪だと……⁉︎」
拓飛が睨むと、孝舟は拓飛に指を突きつけた。
「そうだ!
小蛍の名前を聞くと、拓飛の心は沈んだ。
「……そうだな。あの時俺が山に行かなかったら、あの時俺がもっと強かったら小蛍は……!」
「それは違うぞ! 小蛍はあの虎の妖怪に殺されたのだ! お前もあの傷を見たじゃろう、孝舟!」
「ああ、見たさ! 小蛍の背には虎の爪跡が残っていた! どちらの虎に殺されたのか分かるものか!」
「こやつが……こやつが小蛍を殺すものか! ワシは孫を、拓飛を信じる! ……ううっ……!」
堅宗は興奮の余り、再び胸を押さえてうずくまってしまった。
「ジジイ! しっかりしろ!」
拓飛が堅宗に近寄った隙に、孝舟は逃げ出した。
「待ちやがれ、てめえ! ジジイ、今医者を呼んで来てやる! くたばるんじゃねえぞ!」
拓飛が追いかけて部屋を出た時には、孝舟は大広間の階段に足を掛けていた所だった。孝舟は振り返り、拓飛に指を突き付けた。
「妖怪め! 教えてやろう! お前の父親はな————うわああぁぁぁぁっ」
「孝舟!」
孝舟は焦りからか足を踏み外してしまい、階段の一番下まで転げ落ちた。
拓飛は一足飛びに駆け寄り脈を取ったが、打ち所が悪く、すでに孝舟は事切れていた。
————翌朝、孝舟は小蛍の隣に葬られた。
墓の前には拓飛と堅宗が並んで立っていた。昨夜、堅宗は医者の調合した薬を服用して大事には至らなかったのである。
「拓飛、孝舟を許してやってくれんか……。あやつは小蛍を失って心の平衡が崩れてしまったんじゃ」
「……ああ」
堅宗は溜め息をついた。
「ワシは小蛍の事も娘のように思うておった。十年前、小蛍に縁談を用意したのも小蛍の事を思うての事じゃったが、結果的にお前には辛い思いをさせてしまったな」
「……いや、今なら分かるぜ。この屋敷でずっと俺の世話をしてても、それは小蛍にとっての幸せじゃねえ」
堅宗は拓飛の横顔を眺めて目を細める。
「昨日ワシは、お前の性根が変わっておらんと言ったが、訂正させてくれ。大きゅうなったな」
「はあ? 急に何言ってんだジジイ。ついにボケも来たのか?」
「うるさいわい!」
堅宗は顔を背けると、寂しそうに口を開いた。
「……行くんじゃな?」
「ああ、西にこの左腕を治す手がかりがあるかも知れねえ。ま、ジジイの葬式には顔くれえ出してやるよ」
「抜かせ、クソガキめが」
後ろから二人のやりとりを見ていた
何故か自分の事のように嬉しく微笑んでいると、堅宗が手招きをしている。
「どうしました? お爺さん」
「凰華や。成長したとは言え、あやつは危なっかしい。お前が歯止めを掛けてやってくれんか?」
「はい。そのつもりです」
「うむ、ではこれを持って行け」
そう言うと堅宗は巾着袋を差し出した。凰華が開けて見ると、中には金錠が何本も入っていた。
「こんな物、受け取れません!」
「いいから持って行け。旅に路銀は必要じゃ」
凰華は再三固辞したが、結局堅宗に押し切られてしまった。
拓飛は出発前にもう一度小蛍に挨拶をしようと眼を閉じた。すると、どこからかあの軽やかな声が聞こえた気がした。
————拓飛ぼっちゃま、ご立派になられましたね。お気をつけて行ってらっしゃいませ。
拓飛は周囲を見回すが、どこにもあの憧れの女性の姿は見えない。不思議そうに凰華が声を掛けた。
「拓飛、どうしたの?」
「……いや、なんでもねえ。行くぞ、凰華」
「うん!」
拓飛は心の中で呟いた。
(じゃあな、行ってくるぜ。小蛍……)
その時、一陣の風が吹いて牡丹の花の香りが二人を包み込んだ。
———— 第八章に続く ————
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