『帰郷(四)』
亭を出て少し歩くと、程なくして小さな庭園が見えて来た。
しかし管理する者がいないのか、残念な事に花は枯れ、雑草が生い茂ってしまっていた。
不意に拓飛がつぶやいた。
「……
「…………」
凰華は拓飛の言葉が全て過去形な事に気が付いた。訊きたい事はいくつもあったが、何故だか言葉に詰まってしまう。
言い出せないまま廃園の奥に着くと、一ヶ所だけ牡丹の花が咲いている場所があり、そこで凰華は予感していた物を目にしてしまった。
——そこには小さな墓石があった。
所々に苔が付着しており、墓碑には『愛娘 孫小蛍之墓』と刻まれていた。
「——拓飛、このお墓って……!」
凰華が思わず口を開くが、拓飛は何も答えずに苔を丁寧に取っていく。だが、その手は震えて、上手く取れないようだった。
苦労してなんとか綺麗に苔を取り終えると、拓飛は眼を閉じ手を合わせた。
その脳裏に十年前の記憶が蘇る————
睡蓮の花が池に咲き誇る頃、池の中心にある亭の中で一人の少年が卓に突っ伏している。体つきを見るに年の頃は十にも満たないようだが、奇妙な事にその少年の髪は生え際から毛先まで真っ白だった。
「ぼっちゃま! こちらにおいでだったのですね」
池のほとりから一人の女性が少年に声を掛けた。歳は二十歳くらいだろうか、その女性は亭の中に入ると、困ったような顔を白髪の少年に向けた。
「聞きましたよ。また旦那様と喧嘩をなされたのですね。今度の原因は何ですか?」
「……
少年は卓に突っ伏したまま返事をした。
「それはいけませんね」
「お前も俺が悪いって言うのか、小蛍!」
少年はガバッと起き上がると、叫び声をあげた。
「確かに暴力に訴えたのはいけませんが、いわれの無い中傷には毅然として立ち向かわなければなりません。拓飛ぼっちゃまは凌家の誇りを守られたのです。旦那様もぼっちゃまを少しは褒めて差し上げるべきだと思います」
小蛍が優しく微笑むと、拓飛はストンと椅子に腰を下ろした。
「……ジジイは俺が何をやっても説教ばっかりだ。きっと俺の事が嫌いなんだろう」
「そのような事はありません。旦那様はぼっちゃまを愛しておられますわ。凌家の跡取りとして、あえて厳しくされているのです」
「でも、ジジイが俺を見る眼はまるで……」
拓飛は自分の髪をいじりながら、
「小蛍、どうして俺の髪は白いんだ? どうして俺の眼は赤いんだ? どうして他の奴らと違うんだ?」
小蛍は陽が差す方に移動すると、自分の顔を拓飛に向けた。
「ぼっちゃま、私の眼を見てください」
拓飛が小蛍に顔を近づけると、ほのかに花の香りが感じられた。少しドキドキして瞳を覗き込むと、
「私の眼は陽に当たると茶色く見えるのです」
「……本当だ」
「みんながみんな生まれつき黒髪黒眼ではありません。私の髪も今は黒いですが、おばあちゃんになれば真っ白くなるのです。ぼっちゃまはそれがたまたま
そう言うと、小蛍は懐から
「ぼっちゃま、お
拓飛は黙って小蛍に背を向けた。
「本当に綺麗なお髪。混じり気の無いこの純白は、まるで睡蓮の花のよう」
小蛍は拓飛の髪を梳きながら優しく語りかけた。拓飛は小蛍に髪を梳いてもらう、この時間が大好きだった。
「……小蛍。これからもずっと俺の髪を梳いてくれるか……?」
「勿論です。これからも小蛍にぼっちゃまのお世話をさせてください」
拓飛は一世一代の告白が受け入れられて内心喜んだが、表情にはおくびにも出さず、話題を変えた。
「小蛍。俺の母さんはどんな人だったんだ?」
小蛍は幼い頃から拓飛の母親の小間使いだった。
「
拓飛は母親の顔を、屋敷に掛かっている肖像画の中でしか知らないが、母が褒められると嬉しい気持ちになった。
そこから小蛍は母の話を色々してくれた。中には今まで知らなかった母の一面もあり、小蛍も母との思い出を懐かしんでいるようだった。今ならあの質問にも答えてくれるかも知れない。
「じゃあ、俺の父親はどんな奴だったんだ?」
この言葉に小蛍の手が止まった。
「それは……」
小蛍は言い淀んでしまった。この質問をすると屋敷の誰もが口をつぐんでしまう。祖父の
「頼む、教えてくれ小蛍。誰に訊いても教えてくれないんだ。俺のこの髪と眼は父親のせいなのか?」
拓飛は振り返って小蛍に懇願したが、小蛍は眼を逸らしてしまう。
「小蛍! 来なさい。旦那様がお呼びだ」
その時、
「……申し訳ありません。ぼっちゃま」
言い残すと小蛍はそそくさと屋敷の方へ走り去ってしまった。
祖父が小蛍を呼び出す事など、ほとんど無かったのだが、一人残された拓飛は何か言い知れぬ嫌な予感を感じていた。
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