『変面(三)』

 その時、屋敷の中庭で待っていた凰華オウカの耳に轟音が響いた。


「何⁉︎ か、雷⁉︎」


 驚いて周囲を見回していると、二つの影が夜の闇から現れる。


「———拓飛タクヒ!」


 見慣れた白い髪の青年と現れたのは無論、猴面の男・斉天大聖セイテンタイセイである。


「よし、お前たち周りを固めろ! 逃すんじゃないぞ!」


 屋敷の二階の窓から張豊貴チョウホウキの声が響き渡る。用心棒たちは指示通り中庭の要所を固めたが、斉天大聖の腕を警戒して近づいては来ない。


「安心しな。てめえの相手は俺だけだ。凰華、何があっても手ェ出すんじゃねえぞ」

「う、うん。分かったわ」

「さーて、仕切り直しだ。オラ、来いよ」


 拓飛が構えると、斉天大聖は袖で顔を隠すように両腕を上げた。


「……しゃあないな。次はこれで行こか」


 斉天大聖がサッと袖を払うと、一瞬にしてその仮面が猴を模した物から別の何かに変わった。


「なんだそりゃ、手品かよ———」


 拓飛の言葉が終わる前に斉天大聖が動き、間合いを潰してくる。虚を突かれた拓飛は右中段突きで迎え撃つが、斉天大聖は半身になって突きを外すと、右手を鉤のように使い拓飛の右腕をガッチリ押さえ込んだ。同時に左手で拓飛の胸を押しながら足払いを掛ける。


「チッ……———!」


 倒れ込んだ拓飛に向かって斉天大聖の突きが雨あられのように降り注ぐ。寸前で転がりなんとか躱した拓飛だったが、地面には無数の穴が開いており、その威力を物語っていた。


「なるほど、蟷螂拳ってヤツか」


 立ち上がりながら拓飛が呟く。その言葉に凰華が斉天大聖の面をよく見ると、大きな眼に尖った口元が描かれており、確かにカマキリのように見える。斉天大聖は脚を大きく開き、両腕を鎌のよう曲げる構えを取った。


「なかなか様になってるやろ?」

「面白えっ!」


 今度は拓飛が先に仕掛けるが、斉天大聖は昨日のような変幻自在に飛び跳ねる動きではなく、前後左右に素早く小刻みな歩法で翻弄する。


「この野郎、ちょこまか躱すんじゃねえ!」


 焦れた拓飛は渾身の一撃を放つが大振りになったところを、またしても斉天大聖に掴まれてしまう。拓飛は掴まれた右腕に氣を込め振り払おうとするが、斉天大聖の両腕はガッチリと食い込み放さない。蟷螂に捕獲された蝶のように、拓飛は動けなくなってしまった。


「昨日から思ててんけど……」


 膠着状態になったところで不意に斉天大聖が口を開いた。


「お前、その左腕を使わへんのは何でや? おかげさんでごっつ読みやすいで?」

「うるせえっ!」


 カッとなった拓飛は左手で斉天大聖の顔面に突きを放つが、拳は空を切り視界から斉天大聖の姿が消えた。拓飛が辺りを見回すと、何と数丈先の凰華の横に移動している。


「なあ、おネエちゃん。あんたアイツの連れやろ? なんで左手使わへんのか知ってへん?」

「あんたなんか拓飛が本気出せば相手にならないわ。使わないんじゃなくて、使うまでもないってだけよ!」

「へえー。そら、是非とも使わせてみなアカンな」

「どこ見てやがる、この野郎っ!」


 斉天大聖の背後から拓飛が襲い掛かるが、またもや拳は空を切った。


「こっちや」


 拓飛の頭上から斉天大聖の爪が襲い掛かる。

 この攻撃は猴の仮面の時とも、蟷螂の時とも違うものだった。猛禽類が獲物を狩るように、獰猛に、そして正確に急所を狙ってくる。意表を突かれた拓飛は数発攻撃を食らい、たまらず膝を突きそうになるのを歯を食いしばって耐えた。


「拓飛!」

「来るんじゃねえ!」


 駆け寄る凰華を拓飛は大声で制する。この声には大量の氣が込められ、餓えた虎の咆哮のように周囲に木霊した。追撃を加えようとしていた斉天大聖だったが、拓飛の反撃を警戒して距離を取る。


「邪魔すんじゃねえ……。こんな手応えのある奴は久しぶりなんだよ。こいつは俺の獲物だ……!」


 口から流れ落ちる血を拭いながら、拓飛は凶悪な笑みを浮かべた。

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