『斉天大聖(二)』

 拓飛タクヒが料理屋の窓から飛び出すと、すでに陽は落ち、辺りは暗くなっていた。


チョウって野郎の家は南方っつってたな。南ってどっちだよ?)


 キョロキョロと周りを見渡すと、遠くに背の高い鐘楼が見える。拓飛は大きく息を吸い込み全身に氣を巡らすと、鐘楼へ向かって走りだす。

 角を三つ曲がると、五階建ての鐘楼が間近に見えて来た。拓飛は勢いのままに思い切り踏み込み、鐘楼の天辺目掛けて跳躍した。凄まじい速さで一階、二階と飛び越えて行く。


(ちっ、俺の今の軽功じゃ三階が限界か)


 拓飛は一度三階で足を掛け、再び跳躍して鐘楼の屋根に飛び乗った。ここからなら街中が見渡せそうだ。息を整えると今度は両目に氣を集め、四方を見渡すと遠くに一際大きな屋敷が見えた。


(アレだな! おし、丁度いいぜ。軽功の鍛錬しながら行くか!)


 身近な民家の屋根に飛び移ると、再び全身に氣を集め、張豊貴チョウホウキの屋敷へ屋根伝いに駆け出した。


(速度は出来るだけ落とさねえで、瓦は踏み抜かねえように……!)


 走り出しは数枚の瓦にヒビが入ってしまったが、走る速度が安定すると瓦は割れなくなった。


(このまま全速力まで上げる!)


 全速力で軽功を使うと相当の疲労感が伴うものだったが、この時の拓飛は爽快感すら覚え、口元には無意識にうっすらと笑みが浮かんでいた。速度が上がるにつれ足音も消えてゆき、夜の闇に残るものは拓飛の白い髪と赤眼のみになった———。



 張豊貴の屋敷の大広間には十数人の男たちが倒れていた。ある者は呻き声を上げ、ある者は白目を向いて失神している。


「情けないぞ、貴様ら! たった一匹のコソ泥になんてザマだ!」


 傍らに護衛を従えた短身矮躯の太った男———張豊貴が脂汗をかきながら、怒鳴り散らす。

 その視線の先に立つは一人の男。背がスラリと高く、ゆったりとした真っ黒な緞子の衣装を身に纏っている。だが顔は猴を模した面で覆われており、若者か老人かすら判別がつかない。


「誰でもいい! 奴を殺してアレを奪い返せ!」


 斉天大聖セイテンタイセイの手には人の目玉ほどの瑪瑙の首飾りが一つ握られていた。これ一つだけで小さな屋敷なら贖えそうな代物だ。しかし、用心棒たちは顔を見合わせるだけで誰も動こうとはしない。張豊貴は苛立って叫んだ。


「ええい! 高いカネを払って雇ってるんだぞ! 誰でもいい、斉天大聖を殺した者には三倍、いや五倍払ってやる!」

「乗ったぜ。その言葉、忘れんなよ」


 一同の視線が声の主に寄せられる。いつの間に侵入したものか、窓際には白髪赤眼の青年が立っていた。


「なんだ貴様は⁉︎ 貴様もコソ泥の仲間か⁉︎」


 この目つきの悪い青年は無論、拓飛である。拓飛は張豊貴には目もくれず、斉天大聖に向かって歩き出す。


「おめえがセイテンタイセイって猴野郎か。俺は拓飛ってんだ」


 話しながら突然間合いを詰めると、拓飛は右中段突きを繰り出した。この体ごとぶつけるような崩拳は拓飛の得意技である。

 しかし拳は空を切り、驚いた拓飛が振り返ると、斉天大聖は一瞬の内に拓飛が入って来た窓の手前に移動していた。


「てめえ、その動き、内功使いか!」

「……」


 だが、斉天大聖は拓飛には一瞥もくれず、このまま逃げ出すつもりのようだ。


「おいおい、手ぶらで帰るつもりかよ?」


 拓飛は左手でジャラジャラと金属音を鳴らせて見せる。斉天大聖は驚いた様子で振り返った。先程まで自分が握っていたはずの瑪瑙の首飾りが奪われているのである。張豊貴は拍手喝采を送った。


「来いよ、今度は俺から奪ってみな」


 拓飛は懐に首飾りをねじ込むと、不敵な笑みで斉天大聖を手招きした。

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