『人虎(二)』
ゴロツキたちを役所に引き渡した後、自宅に戻った
「どうした凰華。俺は何故言いつけを破って外に出たのか訊いているぞ」
「……ごめんなさい。あたし、どうしても父さんの力になりたくて……」
嘘の無い娘の言葉に桐仁の表情が幾分か和らいだ。
「いいか、凰華。妖怪を滅すには内功しかないのは知っているな? お前の気持ちはありがたいが、内功の使えん者が加勢しても足手まといになってしまうのだ。分かるな?」
「はい……」
「それにな、内功を覚えるということは妖怪と対する機会が増えるということだ。お前の母親は病気で死んだと以前話したな? あれは嘘だ」
「え?」
「お前を産んでひと月後だった。俺が任務で家を空けている間に妖怪に襲われ命を奪われたのだ。だから俺は仙士を辞めた。俺はもう家族を妖怪に奪われたくはない」
顔を知らぬ母の本当の死因と、父の心情を聞かされ凰華の眼から涙が溢れる。
「ごめんなさい、父さん……」
「よし。だが言いつけを破った罰としてお前を当分の間、外出禁止とする」
「はい……でも……」
「でも、は許さん」
「さっきの賭場に
「なに?」
「父さんが来る前に逃げちゃったんだけど、あの賭場に松二もいたのよ」
桐仁はまたしてもしかめっ面になってヒゲをしごき始めた。思案している時の癖だ。
「松二が無事か確かめに行きたいの。それにガラの悪い連中との付き合いも辞めさせないと」
「うむ、そうだな。だが夜が明けてからにしろ。妖怪は陽が出ているうちは活発に動かんものだ。明日は松二が見つかっても見つからんでも、陽が落ちる前には戻って来るんだぞ。分かったな?」
「はい。父さん」
「よし。今日はもう休め」
そう言うと桐仁は側の椅子に腰掛けた。心なしか父親の顔色が悪いように凰華には見えた。
「父さん大丈夫? なんか疲れてるみたいだけど……」
「なに、心配いらん。久しぶりに内功を使って闘ったからな。その反動かも知れん。ところで凰華。お前いくつになった?」
「え? 今年で十八だけど」
「そうか……。あれからもう十八年になるか。俺も歳を取る訳だ」
凰華は桐仁の口からこんな弱気な発言は聞いたことがなかった。不思議そうに父親の顔を覗き込む。
「凰華、母さんの形見は失くしていないな?」
「あの鳳凰の髪飾り? もちろん大事にしまってあるわ」
「そうか、ならいい。俺ももう少ししたら休む。お前は早く休みなさい」
「う、うん。おやすみなさい、父さん」
突然形見の話を持ち出す父親を不思議に思い、振り返ると桐仁は卓に頬杖をつき何やら考え込んでいるようだ。今日は色々なことが起こった。父も今日の出来事で、少し気持ちが乱れているのかも知れない。
初めて見た妖怪『人虎』、そして『
凰華は床について目をつむっても二頭の虎が脳裏に浮かび、なかなか寝つけなかった。
───翌朝、凰華は松二の家を訪ねていた。
家には両親がいたが、松二は昨夜から戻っていないとのことだった。知り合いや立ち寄りそうな場所も聞いて探してみるが、どこにも見当たらない。
もうすぐ夕方になる。仕方なく凰華は諦めて家路につこうとしたが、もう一つだけ心当たりがあったのを思い出した。
凰華の足は町外れの林へ向かっていた。ここには子供の頃、松二と共に秘密基地にしていた廃廟がある。
もう少しで廟が見えるところまで来ると、林の中にかすかに動くものが見えた。松二かと思い目を凝らしてみると、どうやら誰かが鍛錬をしているようである。邪魔をしないよう気配を殺して近づいてみると、なんと拓飛であった。
その
きっと毎日繰り返し繰り返し鍛錬しているのだろう。全ての技に氣が込められており、その突きは唸りを上げ、拓飛が震脚を踏むたび、少し離れた木の陰に立っていた凰華の足元まで振動が届いて来る。
拓飛は上半身裸であったが、その背には汗が滝のように流れていた。どのくらい前から套路をしているのだろうかと凰華が考えていると、拓飛の動きがピタリと止まった。
「おい。俺に何か用か?」
背を向けたままの拓飛に急に尋ねられた凰華は驚きで咄嗟に声が出せない。おずおずと木の陰から身体を出すと振り向いた拓飛と目が合った。
「何だ、おめえかよ。何か用か?」
凰華の姿を認めた拓飛は少し驚いたようだったが、すぐに仏頂面になり再び先ほどの問を投げかける。昨夜は闘いの最中も終始不敵な笑みを浮かべていたが、今は何故か不機嫌なようだ。その時、凰華は以前桐仁に言われたことを思い出した。
『いいか、凰華。武術家は自分の技を他派の者に見られるのを嫌う。技を盗まれたり、技のスキを見抜かれることは武術家にとって死を意味するからだ。門派によっては鍛錬を覗いた者を殺してしまうこともある。間違っても他人の鍛錬をまじまじと見てはいかんぞ』
不可抗力だったとはいえ父の教えを守らず、隠れるようにして他人の鍛錬を覗いてしまった。これは技を盗み見ていたと言われても弁解はできない。凰華はひざまずいて叩頭した。
「ごめんなさい! 決して技を盗もうとしたわけじゃないの! 人を探してたらあなたを見つけて、つい引き込まれてしまって!」
「別に技を見られたからってどうこうしたりしねえよ」
「え?」
予想と違う拓飛の返しに凰華は顔を上げる。
「見られて困るんなら、こんなとこで鍛錬したりしねえ。んなことより用がねえなら、さっさとどっか行ってくれ」
技を見られて怒っていないと言いながら拓飛は仏頂面のままだ。何が気に障ったのかと凰華は首をかしげたが、立ち上がり拓飛に尋ねた。
「あの~、昨日賭場にいた松二って奴を探してるんだけど見なかった?」
「見てねえな。ちなみにこの先の廟は俺が昨日寝泊まりしたけど誰も来なかったぜ。これで用はねえな? おら、行った、行った」
しっしとばかりに拓飛は手で追い払う仕草を見せた。最後の心当たりも潰え、意気消沈したところに拓飛のこの物言いである。凰華はムッとしたが、なんとか堪えて話題を変えた。
「そういえば、昨日あたしが打ったところは大丈夫? 急に飛んで行っちゃって、ビックリしたわ」
これには拓飛がムッとした顔つきになった。
「俺に女の突きが効くかよ。おめえの親父にも打たれちゃいねえ。昨日はションベンに行きたくなっただけだ」
「やっぱり怒ってるんじゃない。心配してるのにそんな意地悪な言い方して!」
「怒ってなんかねえ。俺は女が嫌いなんだよ」
「はあ?」
凰華は驚いた。女が嫌いなどと言う男に初めて会ったのである。
「大体女ってのはギャーギャーうるせえし、化粧くせえし、弱えし、ロクな奴がいねえ」
この言葉に凰華の堪忍袋の緒が切れた。
「女が弱いですって? それじゃあ手合わせしようじゃない。女が本当に弱いか教えてあげるわ!」
ギャーギャーうるさいのは当たっているかも知れないが、化粧など生まれてこのかたしたことが無いし、武術家の娘として弱いと言われたままで引き下がれない。
「お前じゃ俺には勝てねえよ。それに俺は女とは闘わねえ」
クルリと背を向けると、拓飛は廟の方へ向かって歩き出した。
「逃げるの? それじゃあ、あんたの負けね!」
「好きに取れよ。それよりおめえ家に帰んなくていいのかよ? おめえの親父───」
親父という言葉に我に返り周りを見渡すと、陽が落ちかけていた。夜までには家に帰るという約束だ。
「覚えてなさいよ。絶対手合わせしてもらうんだから!」
どこかで聞いたような捨て台詞を残して凰華は走り去って行った。
その背を黙って見ていた拓飛だったが、不意に左腕が震え出す。震える左腕を押さえ込みながら拓飛は笑みを浮かべた。
「……来たな。今度は逃さねえぜ」
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