血海航路  嵐 1

 風が強くなってきて、波もうねる。

 カシムたちは船室で寝台に潜り込む。デッキにいても邪魔になるからだ。


 捕らえた海賊たちは、ぐるぐる巻きに縛られて船倉に放り込まれている。


「大丈夫でしょうか?」

 リラが不安げに尋ねるが、カシムにも分からない。

「船の事は船長に任せるしか無いからな」

 ファーンとエレナは、もはや何も出来ない。ベッドに体を固定して貰って、嵐が去るのを待つばかりである。




 忙しく動き回っているのは、船員たちだ。

 嵐になる前に、島の近くまでは何とかたどり着きたい。外洋にいては、波はとんでも無い高さにまで達する。荷物を満載した商船では、乗り切るのはしんどい。

 だが、嵐だけでこの船が沈む事は無いと、水夫たちは思っている。

「進路!南に4度!」

「南4度サー!!」

 左右に揺られながらも、船は前進する。帆も前のマストの横帆は畳んでいる。

「船長!そろそろ荒れて来やがった!」

 波が大きくなり、横波を食らうと、船が軋んで揺れる。

「よし!他の船と距離を取ってシーアンカーを打つぞ!!」

 「シーアンカー」とは、帆布をロープで結んで凧を作り、それを船首から海に投げる。そうすると、凧が水を孕んで、錨の役割を果たして、波に対して常に船首を向ける事となる。

 船は横波に弱いが、正面から波を受けるのには強い。

 だから、嵐の時にはこうして堪え忍ぶのだ。


「総帆畳め!急げよ!」

 ポー船長の命令で、大急ぎで全ての帆を畳む。

 大風の中、高い帆桁の上での作業だ。

 船が揺れると、マストの上の方となると、かなり大きく揺れるので、当然危険な作業だ。

 とは言え、さすがに水夫たちは慣れている。

 

 

 警鐘を使った合図で、他の船も、それぞれ距離を取って、シーアンカーを打つ。

 護衛船は、櫂を収納して、その隙間を急いで塞ぎに掛かる。




 やがて日が暮れて、風がゴウゴウと唸りを上げ始める。

「これは・・・・・・すごいな!?」

 カシムが思わず呟く。

「これ、倒れちゃったりしないの?」

 ミルは体重が軽いから、ベッドにしがみつかないと、体がポンポン弾んで危ない。

「カシム君、怖いです」

 リラも、真っ青になって船が軋みを上げる度に頭を覆う。

 動揺を見せていないのはアールぐらいである。

「アールは平気なのか?」

 カシムの問いに、アールはまっすぐにカシムを見つめて言う。

「兄様と一緒なら、別にどうなっても構いませんから」

「いや。俺が構うから」

 カシムは苦笑する。そして、意外と自分もさほど動揺していない事に驚く。

「リラさん。船はこのくらいでは沈まないから安心してください」

 そう言いつつも、カシムはいざとなったら、リラは嵐の中でも、エリューネの力で空を飛べるのではと思っている。




 一方で、動揺が納まらないのは、上級客室に閉じ籠もっていたグレンネックの貴族だった。

「ひいいいいいっ!!いい加減にしろぉ!!貴様らこの私を殺す気かぁ!!」

 寝台にしがみついて喚いている。

 もう、しゃぶつと涙と鼻水で、顔も服も汚れまくっている。

「怖い!怖い!助けてぇぇぇ!!」

 その叫びは、嵐の音にかき消される。

 灯火統制の中、暗闇で体もベッドから放り出されてあちこち打ち付けてしまう。

「ワシを誰だと思っておるのだぁ?!グレンネック国がガウハッテン男爵の甥、ジジアジン・グラム・ガウハッテンなるぞぉ~!!」

 叫んだところで、誰も助けには来ない。

 激しい揺れに、今にも裂けそうに船体が軋む音。

 不気味にうねりを上げる風の吠え声。

 そして、この暗闇。

 ジジアジンには、その全てが耐えがたく恐ろしかった。

「もう嫌だ!こんなのはもう嫌だ!」

 

 ジジアジンは、世界会議に向けての工作員として、地獄教徒を潜入させる仕事をしていた。

 よくは分からないが、確かカキーマ派とか言っていた。

 ともかく、ジジアジンがやっていたのは、主にガイウス内での隠れ家の準備と、王城の見取り図の入手だった。

 その任務は終えたものの、地獄教徒は隠れ家諸共発見されてしまった。

 だから、足が付く前に急いで本国に帰らなければならなかった。

 そして、あてがわれた船が、このアホアザラシ号だったのだ。

 ジジアジンは、金品ばかりを持って必死に逃げてきたのだ。

 この先にジジアジンには栄光は無い。貴族だとうそぶいてはいるが、所詮は男爵の甥でしかない。

 任務にも失敗した以上、彼はこのまま本国に戻ったところで冷遇されるだけだ。

 それが分かっているから、気持ちが荒れる。不安になる。

 不安が恐怖になる。


 そして、この嵐である。

「も、もう耐えられない!もう、耐えられないぃぃ!!」

 ジジアジンは、何度もバウンドしながらも床を這う。そして、手探りで備え付けのテーブルにたどり着く。





「船長!流されてます!」

 安全索を付けて、何度も高波を頭からかぶりながらも、水夫たちはデッキの上で働いていた。

 帆船は舵だけでは動かない。

 帆の開きを変えるために、絶えず多くの水夫が、ロープを引いて、船長の指示に従って動く。今は総帆閉じているため、最低限の人数である。

 だが、帆船とは、こうしたチームワークによって、初めて船長の意志通りの動きをする事が出来る。


「どっちだ?!」

 操舵手に変わって操舵輪を操るポー船長が叫ぶ。

「南です!島に近づいています!!」

 当然島影は見えないし、天測も出来ないが、流されているのは分かる。

「大丈夫だ!夜明け前には嵐も収まる。そうしたら暗い内に島から離れる!」

 船長は思う。

『クソ。先行した分、流されちまったか』

 他の商船が、今どこにいるかは全く分からない。

 多分、アホアザラシ号だけが島に接近して流されてしまったのだろうとは見当が付く。


 その時だ。船室に降りる入り口の窓から灯りが差す。

「な?!何だと?!」

 操舵輪を操るポー船長が驚愕する。

 そして、ドアが開くと、ランプに灯りを灯した、グレンネックの貴族が、ヨロヨロとデッキに出て来た。

「馬鹿野郎!とっとと灯りを消しやがれ!!!」

 ポー船長の声に、水夫たちも異常に気付いてギョッとする。

 近くにいた水夫が、安全索を外して、慌ててジジアジンからランプを奪い取ると、灯りを消す。

「クソが!!おい!そいつを船室に放り込んでおけ!!」

 ポー船長が怒りも露わに水夫に命令する。

 ジジアジンは、抵抗する事も出来ずに、水夫に引きずられて室内の階段に消えていった。

「クソ。見られたか?」

 暗い海での灯りは、遠くまで届く。

 島から見られたなら、海賊たちは間違いなく出てくる。嵐が多少収まれば、波がどれほど荒れていようともだ。

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