冒険の始まり 救出劇 1
俺は、偉そうな服を着た爺さんが意味不明な演説を始めるや、時間が無いのを悟り、フックがしっかり照明装置に引っかかっているのを確認して、そのロープをベルトに取り付けてある金具に巻き付ける。ロープ降下の準備だ。
そして急いでショートソードを構えて狙いを付ける。
目標との距離は25メートルほど。目標は演壇のあるバルコニーの真上に設置されている、照明装置をつり下げているロープだ。このショートソードは剣先が重く出来ている。投剣術だ。この距離なら外さない。不安定な足場だが問題ない。
投擲一閃。
ショートソードはロープを断ち切り、壁に激突して甲高い音を立てる。次の瞬間には照明装置が演壇に落下して激突する。
そして車輪のように、バルコニーの内側を大音響を上げて転がり回った。照明器具の油が飛び散り引火する。炎は爆発的に広がり、バルコニー内外を火の海にする。
俺はそれを確認する間も惜しんで、フック付ロープの先を垂直に落とすと、すぐにロープを滑り降りる。革のグローブを装着しているが、急制動すると、革が引き裂け、手の皮が多少破け血が滲む。
アクシスのすぐ横に着地すると、ロープを素早く外し、左胸に逆さに装着したナイフを抜くと、アクシスの四肢を拘束しているロープを切断する。拘束しているのが鎖で無くて良かったと思う。
アクシスの目は涙で濡れていた。アクシスの涙を見ると怒りがこみ上げるが、今は怒るより、ひたすら冷静で居なくてはいけない。
アクシスに目で合図を送るとアクシスはうなずいた。この極限状況の中、アクシスが意外なほど冷静でパニックを起こしていない事に驚くが、アクシスならきっと俺の意をすぐに汲んでくれると信じてもいた。
アクシスがすぐに動けるように体勢を整えている間に、俺は至急するべき事がある。
生まれて初めての殺人である。だが、躊躇などしては居られない。アクシスに何かあったら困るのは俺たちだけでは無く世界が困る事になる。
あの国王はきっと、怒り狂って自暴自棄になり「世界を滅ぼす」とか言いかねない。名君だか何だか知らないが、あいつはマジで親馬鹿すぎる。俺の躊躇が原因で世界が滅ぶ事になったら目も当てられない。
もっとも、今はそんな規模の大きな心配事をしている暇など無い。アクシスをこの場から救い出す事が何より優先される。
騎士の家に生まれて、騎士となるように育てられてきたのだ。今は考古学者になっているが、俺の中に戦う心構えは出来ている。
無防備に溝の際に立ち尽くしていて、こちらに気付いていない斧を持った大男2人を、連続して蹴り落とす。大男たちは一切の抵抗も叶わず、溝に落ちていく。底が見えない溝だ。
確実に命を落としたはずだ。だが、人を殺した痛みを感じている余裕も無ければ、一切の同情心も湧き上がってこない。
俺はすぐにアクシスの元に戻ると、自ら手足の縄をほどいて上体を起こしたアクシスを抱えて起こす。アクシスと間近で目を見交わす。
こんなにアクシスと近付くのはいつ以来だろうか。俺は一抹の不安を覚えたが、今はアクシスを信じるしか無い。
「アクシス!『修行ごっこ』だ!」
「はい!」
突然の号令に、アクシスは一瞬も迷わずに返事をすると同時に行動を起こした。
俺の背に飛びつくと、腕を俺の首から前に回し、足も腰に回して、俺の体の前で交差させて、しっかりホールドする。
これは幼い頃アクシスと一緒にした遊びで「修行ごっこ」だ。アクシスが重しとなって、俺はアクシスを背負い、様々な運動をこなす。
散々こんな遊びをしていたのだから、忘れたりはしないだろうと思ってはいたが、瞬時に反応できるとは、さすがに思わなかった。どうもアクシスは、俺を見た瞬間から、こう指示されるのを予想していたのかもしれない。
王女としてはいささかはしたない恰好になるが、こうなるとアクシスは相当無茶な動きをしてもはがれない。前に回した腕で俺の首を絞める事も無い。
子どもの頃は、バク宙に失敗して、アクシスを下にして床に激突してもはがれなかった。さすがに盛大なたんこぶと、鼻血を流して泣きながらせめられたが・・・・・・。
とりあえずその時は、おやつを俺のもあげる事で買収した。罪悪感は、今もある。
アクシスの体重は・・・・・・うん。問題ない。鎧をフル装備して、荷物を担いでの戦闘訓練より遥かに軽い。アクシスがいくら成長したといっても・・・・・・。
成長した?んん?これだけぴったり密着しているのに、成長の証が感じられない。
まあ、なんか逆に安心した。俺にとってアクシスはやはり妹でしか無いからな。
「お兄様?」
って、そんな事考えている場合では無い!!
ごく一瞬で様々な事を思うが、冷静な部分が状況をしっかり確認する。
やはり、この広間にいる数百人の人間は、皆混乱の極みにいる。ほとんどの人の目は、炎上するバルコニーに向いていて、舞台の俺とアクシスに注意を払う人間は少ない。
この混乱に乗じれば、脱出する事も可能だろう。それにはすぐに行動を起こす必要がある。
遺跡の入り口には扉が無く、大きく解放されている。出口とバルコニーは対岸で向き合っている構造だ。
バルコニーと舞台の溝の際までの距離は5メートル程度。ただし、高さは3メートルほどか。普通にジャンプしても届かない距離だ。一方出口までは10メートルの溝が口を開けている。ただし、対岸の床は、舞台より低い位置にある。
天井から垂れ下がったままのロープを使ってもぎりぎり届かないだろう。飛び越えるためには一度勢いを付けなくてはいけない。
俺は、垂れ下がっているロープを掴むと、舞台をいっぱい使って助走し、炎上するバルコニー目がけてジャンプする。ロープも出来るだけ上の方を掴む。瞬時に少しよじ登る。
バルコニーはこちらに張り出している分、ロープの長さと勢いで足が届くだろう。
そこで、バルコニーを蹴り上がって更に高く上がり、落下の勢いを付け、振り子の原理で対岸の出口のある床まで跳躍する計画だ。
勢いを付けた跳躍で、バルコニーの少し上まで体が出る。
その瞬間に俺はバルコニーの中の状況を確認する。
どうやら偉そうな爺さんは無事なようだが、尻餅をついたまま起き上がれない。腰でも打ったのだろうか。
そして、その横に大男が倒れていた。どうやらこの大男が、爺さんが照明装置と激突するのをかばったようで、右腕がおかしな方向に曲がっていて、頭からも血を流して気を失っていた。
俺をギョッとさせたのは、バルコニーの奥の部屋の隅で、一面に広がる炎から避難し、床に片ひざをつくもう1人の男だった。
こいつは手に弓を持ち、こっちを口元をゆがませた歪な笑顔で見据えたまま、片手で矢の
男と目が合う。
にやりと笑う男。何かブツブツつぶやいているようだ。冷たい汗が噴き出す。だが、動きを止めるわけにはいかない。
出口のある対岸に渡る為の勢いを付けるべく俺はバルコニーを蹴り、更に高くに体を浮き上がらせる。すると、運動の頂点、つまり動きが一瞬止まる瞬間を狙い、男が熱した鏃の矢を素早くつがえて射る。
男が放った矢は、正確に俺の眉間に向かって飛んでくる。
首をひねって避けたりしたら、後ろにしがみついているアクシスに当たる。避けるわけにはいかない。
俺は左手をロープから外して飛んでくる矢を掴もうとする。
伝説の騎士によるスパルタ修業の中に、矢を掴む訓練は当然あった。俺の兄たち程上手くは無かったが、俺もクリア出来た修行だ。
目をいっぱいに見開く。素早く動かした左手が間に合い、矢の棒の部分「矢柄」を掴む。だが、この矢の速度と威力は想定を越えていた。鏃が俺の額に迫る。
しっかりと掴む事が出来たのに、突き進む矢は止まらない。
しかも、手のひらはグローブが裂け、手の皮も裂けて出血していた。その血で矢柄が滑る。
極限の集中力でスローに感じる刹那の時間の中で、左手に思いっきり力を込めて握る。すると、矢柄が折れた。だが、軌道が逸れたものの、完全に止める事は出来ず、灼熱化した鏃(やじり)が俺の右目に突き刺さった。
瞬間的に肉が焼け、眼球が沸き立つ。激しい痛みが、矢の刺さった右目だけでは無く全身を駆け巡る。
だが俺はうめき声を上げたり、ひるんだりしなかった。目を貫かれながらも頭は冷静で、激しい痛みに耐え、すぐに反撃に出る。一瞬でも行動が遅れれば2人は助からない絶対絶命の状況にあるのだ。
すぐに鏃を引き抜くと、矢柄を完全にへし折る。そして、その鏃を投擲する構えを見せた。しかし、男はにやりと笑うだけで、少しの動揺も見せずに次の矢をつがえていた。
このままでは矢を投擲しても、相手はまたしても正確かつ高威力の矢を放ち、今度は確実にこちらの息の根を止めるだろう。
俺は狙いをとっさに変更して、倒れている偉そうな爺さんに向かって鏃を投擲する。すると男は一瞬動揺を見せつつ、つがえた矢を放ち、その後弓を放り出して、偉そうな爺さんに駆け寄る。
男が放った矢は、ぎりぎり狙いが逸れたものの、完全に外さず、俺のこめかみをかすめる。一瞬気を失いそうになる。かすめた頭部から血が噴き出すが、それよりもかすめただけで脳しんとうを起こしかけるぐらいの威力がその矢にはあった。
俺が投げた鏃もわずかに狙いが逸れ、鏃が爺さんの服を床に縫い止めるに留まった。だが、相手に隙が出来た今がチャンスだ。
俺は歯を食いしばり、目を焼く痛みに耐えつつ、落下の勢いを更に増す為に、降下中にまたバルコニーを蹴り、勢いをつける。
2人分の体重に、この加速が加わり、振り子の勢いは充分に付いた。スピードを付けて舞台と祭壇を通過し、2人の体は溝の半分くらいの位置まで来た。
タイミングを合わせてロープを放すと、溝を跳び越え、無事に出口のある側の地面に着地する事が出来た。
アクシスは、この一連のアクションにも、亀のように身動きせず、俺の背にしがみついていた。だが、手足の締め付ける力が弱ってきている。あまり時間をかけるわけにはいかない。
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