千代田康太 17

 軽く雑談を交わしたり、やっぱり無言の時間があったりと、そんな感じだけど俺たちは泣き言を言わずに歩き続けた。

 思えば、ついこの前まではどちらかが前でもう一人は後ろからついてくるというスタイルだっただけに、確実に成長というか変化はあったのだ。

 だが、しかし。

 降り続けていた雨は小雨の域をとっくに超えていた。何もない田舎道をあまり詳しくないのと、歩く果てしなさと悲しさがあり、きっと隣に彼女がいなかったら寂しくて腐っていたかもしれない。

 また雨が強くなる。

 雨が強くなるにつれて、俺たちの口数も減っていった。

 もうこのまま、家にたどり着けないんじゃないかという不安。

 思いっきり遊んだ結果の疲労。

 主にこの二つの要素で。

 このまま闇の中に誘われている気さえした。

「はぁ。やっぱり使えない……」

 携帯を見て嘆く緑ヶ丘。

 どういうわけか、行きのバス内では使えたはずの携帯が画面上で圏外を示していて、使い物にならない。タクシーでも呼べば何の苦労もしなかっただろうが、携帯が使えないのでその手は使えずに終わってしまったのだ。

「今はとりあえず、歩くしかないな。この辺の人とかとすれ違ったら雨宿りさせてもらうとか、固定電話なら通じるかもだし、借りれば何とかなるだろ」

 必ずどうにかなる、とただ前へ前へと歩みを進めた。

 それからまた無言のまま少し歩いたところで、

「お、おい! あれって人じゃないか?」

 百五十メートルほど離れたところに人らしきものが見えた。

 ここからじゃ、性別も大人かどうかもわからないが何とかなるかもしれない。

 まさか、熊とかじゃないだろうと、腹をくくってその人のところを目指すことにした。

 どうやら、その人は動いていないようで、まるでこっちが来るのを待っているみたいだった。

 百メートルほど進み、その人の顔が見えるぐらいまできた。

「えっ………」

「どうした?」

 驚いた緑ヶ丘の視線を辿ると、

「こんばんは。梨乃さん。そして、お兄ちゃん」

 俺の妹である、香恋が立っていた。

 すっかり大雨、もはや土砂降りの域まできている中。

 それなのに、香恋はずっと待っていたのだろうか。

 傘を持っていないようだから、俺たち以上に濡れているし、そして何より。

「どうしてお前、そんな格好──」

 着物を身にまとった少女がそこにいた。

 そして、緑ヶ丘に。

 ──銃口を向けていた。

「これ? 大した理由はないよ。これから人を殺すっていうのに、普通の私服じゃつまらないじゃない? そんな、どうでもいい理由。まぁ、そうね。儀式に適した格好とでも言っておきましょうか」

 服のことなんてどうでも良かった。人を殺す? 誰を? 緑ヶ丘か? どうして?

「お、おい! どういうことだ! 緑ヶ丘! あいつは、香恋は何を言っているんだ⁈」

 二人の間に何かあったのだろうか。あの拳銃だって、エアガンかなんかだろ? 少し遠くて細かく見えてないだけで、お祭りとかでもらえるやつだろ? だって昔、一緒にお祭り行ってもらった記憶あるし……。

 依然として、香恋の表情は本気以外の何ものでもなかった。

 その証拠に隣に立つ緑ヶ丘の表情も、見たことがないレベルの真剣な表情。

 お互いに、相手を敵として捉えていることがわかった。

 ただ俺にはその意味が全くわからない。

 二人は一度しか会っていないはず、いや、もしかしたら俺のいないどこかで会っていたのかもしれないけど。

「どうして、そうなるんだ──」

 ただ喧嘩しただけには思えない。

 ここで、殺人が行われようとしている。

 二人の間に一体何が──。

「本気?」

 緑ヶ丘は俺の質問は無視して、香恋との会話を始める。

 その瞬間、かちゃり、と重たいものが動く音がこだました。

 香恋は銃口を向けなおし、こっちの方に近づいて来る。

 気づけば、俺たちと香恋との距離は十メートルという近い距離までになっていた。

 この距離で発砲されれば、間違いなく避けられなし、即死の可能性だってある。

 それでも、まっすぐ、臆せずに揺るぎのない視線を香恋に送っているのは、自分は死んでも生き返るという保険があるからだろうか。

「もちろん。人の男(あに)と勝手に遊んでくれちゃって。泊まりにくるし? 今日は遊園地? 喧嘩売ってるでしょ。いや、喧嘩は初めて会う前から始まっていたんだったわね。まぁ、私も基本的には黙っていようと思ってたんだけど、まさかあの夜殺したはずなのに普通に生きてるなんてねぇ。もうあの夜から決まってしまったのよ。私とあんたは、会えばその瞬間に殺しあう関係になったってことがね」

「やっぱり、覚えてくれていたみたいね。あなたの言う通り、私は死なないわ。正確に言うと死ねない。これまでにもう十回以上、死を経験している。そんな私をあなたは本当に殺せるのかしら? それと、私が同じ方法でまんまとくたばるとでも思った?」

 すると、緑ヶ丘は今日一度も開けていない、長い紐を肩からかけていた鞄から拳銃を取り出した。

 もう、俺には何が何だかで、思考が追いついていかない。

 ってか泊まりに来た? あの夜? 同じ方法? どうして香恋は緑ヶ丘が死んでも生き返るってこと知ってるんだ?

「さぁ、どうする? 一緒に死ぬ? お互いに大切な人を残して──」

 今度は緑ヶ丘が、かちゃり、と音を立てて香恋に銃口を向ける。

 向け合う二つの凶器は、エアガンなどというオモチャでは決してなく、人を死へと導くには十分すぎるものだとわかった。

「おい! 二人とも!」

 この場で正気でいられているのは俺のみ。二人は殺意を放ち、狂気を感じる。

「ふーん。何? 自分は死なないくせに。ずるいじゃん」

「どの口が言っているのかしら。仕掛けて来たのはそっちでしょ」

 とっくに二人は普通じゃない。ついには俺に聞く耳を持たなくなった。

 二人は俺を無視し、話を続ける。

「あなたが死んだ場合って辻褄が合わないところは都合よくなるのね。どうりで康太は覚えていないわけだ。記憶の忘却についてはその瞬間を見られたらその当人には発動しないタイプの力みたいね」

「さすがね、香恋さん。何でも、わかってしまうのね」

 もう何が何だかわからない話は、終わる気配を見せない。

 俺が二人の間に入って何とかするしかない・・・・。

 しかし、二人は俺の方を全く見る気配がない。

「で、どうする? いつ撃つの? それ」

「今撃ってもいいのだけど」

「なら、撃ってみたら?」

 俺が二人の間に入って、何とかこっちを見てもらうしかない。

「いい加減にしろ!」

 全力で叫んだ。

 叫んだ後、二人の間、銃口と銃口の間に入った。

 足は震え、今にでも泣き出しそうなくらいに危険なことをしているのはわかっている。

 すでに正気を失い、殺意に満ち溢れた二人でも、こうすれば我に戻ると願って。

「さっきからわけのわからない話をしやがって! ドッキリか? そうなんだろ!」

 大声で叫んだ。絶対に俺の声を届けるために。

 すると、作戦がうまくいったのかはわからないが、香恋が銃口を下げた。

「そこをどきなさい」

 俺の行動に反応したのは緑ヶ丘だった。いつも通りの小さな、そして静かな声音で。

「嫌だ」

「聞こえなかったの? どきなさい。殺し合いの中に入るということは巻き込まれても文句は言えないのよ。言うか悩んでたけど、あなたは先に帰りなさい。ここから消えなさい。今すぐに!」

 それは、これが本気の殺し合いだと俺に教えるのと同時に、最後の注意だった。

 緑ヶ丘らしく、不器用な優しさが込められていて、本当は言う通りにしたいくらいだ。でも、それはできない。

 二人は俺の大切な存在。

 たった一人の友達と、たった一人の妹。

 このままでは、どっちも生きているなんてことはないだろう。どちらかが死ぬか、どっちも死ぬかの二択。緑ヶ丘の場合は死んでも生き返るが、俺はもうこいつに死なせないと誓ったんだ。

 俺が何とかする。

 それが、ここで導き出された最適解。

 三人で、帰るんだ。

「お兄ちゃん………」

「ど、どうした?」

 時間の経過につれて、雨はどんどん強くなっている。 

 香恋の体は本当に冷え切っていて、今にでも倒れそうだ。それに、風邪を引いていたはずなんだ。こんなところにいたら高熱で大変なことになる。

「ってかお前、熱あったろ。どうしてこんなところ来てんだよ。ほら、帰ろうぜ」

 その瞬間、大きな雷の音が響き渡った。

 遊園地を出た時の小雨は、まるで今日で世界が終わってしまうようなほどの雨にまで変化していた。ここ最近の雨以上のもので、きっと明日は観測史上最も強い雨だった、とか地球温暖化の影響で、とかいろいろ騒がれるだろう。

 そんなことはどうでもいい。いくら雨が降ろうが、俺は三人で家に帰ることしか頭にない。

「……る……い」

「ん? 具合悪化したのか?」

「……る……さ……い」

 雨の音が強くて、香恋の声が聞こえない。

「千代田君! 伏せて!」

 緑ヶ丘の大きな声が響き渡った。

 俺はその声に反応できず、立ち尽くしてしまった。

 そして、たった今起こった──香恋がした行動に、理解が追いつかない。

 さっきまで下がっていたはずの銃口はこっちを向いていて、そこから煙が出ている。

 雨のジメジメした匂いと焦げ臭い匂いが周囲に充満している。

「うるさいって言ったの。聞こえなかった?」

 香恋の持っていた拳銃から発射されたものが、俺の顔のすぐ横を通過した。視認できたわけじゃないが、本能がそう訴えている。それは人生で初めての体験だった。

 ──殺意を感じた。

 妹の香恋から、それ以上話すと殺す、と言われたのだ。

 突然の、衝撃的な事実に震えていた足は震えることすらやめ、地面に手をついた。足は足としての昨日を失ってしまった。

「香恋さん、あなた本気なの?」

「ええ。もちろん。今まで何もかも想い通りにいっていたのに、あなたのせいでそれが崩れたの。責任とってもらうから」

「何度も言っているでしょ。私は死んだところで明日になったら私は生きているの。こんなことに何の意味がないのはわかっているでしょ?」

 再度、音を立てて香恋は俺の後ろに立つ緑ヶ丘に銃口を向ける。俺はまだ立ち上がることができない。

 対照的に、緑ヶ丘は銃口を下げていた。

「あら、逃げるの?」

「これからどうする気なの、あなた」

「これから? 康太については直視させなければ忘却が発動するんだし、あなたを殺せば今まで通りに兄妹に戻れるんだし、心配してないけど」

「そんなことを聞いているんじゃないわ。そしたらまた私を殺しにくるのかってこと」

「そうね。理想としては毎日。そしたらいつか本当に死ぬんじゃない?」

「それはもうただの殺人趣向者よ。あなたはもう普通の人間に戻れない」

「ゾンビが何を言っているの? 大人しくあの時くたばっとけばいいものを。どうしてまた私の男(あに)を奪うのかなぁ」

 すっかり冷静で、いつもの調子に戻った緑ヶ丘とは対照的で、香恋はもう中学生の少女はおろか、人間と思えないほどに狂っている。きっと高熱がそうさせているのだと、そう思いたい。

「だったら、殺(や)るしかないようね。やっぱり、あの人の言う通り、あなたは生かしておけない」

 言って、緑ヶ丘は俺の前に出て、再び香恋と対面した。

 やめろ。やめろ、やめろ、やめろやめろやめろやめろ。

 声が出ない。俺の心の中の叫びは、絶対に届かない。

 抜けた腰は治らず、依然として立つことができない。

「何? やる気になった? 戻った、が正解か」

 また、大きな雷の音がなった。さっきより、大きく、さっきより、近い。

 二人の間には凄まじい緊張感が走っていて、もうその間に入って行くことは不可能だろう。

 ──俺にはもう、何もできない。

 終焉はすぐそこだと、それだけはわかる。

 俺は、さっき誓ったことさえも貫けないのか。 

 妹一人、説得できないのか。

 なんて情けないんだ。

「当初の予定通り、千代田香恋、あなたを殺すわ。──そして、私も死ぬ」

 香恋は鼻で笑うと、銃口を向け直す。

 それに合わせて、緑ヶ丘も銃口を香恋に向ける。

 香恋と過ごしてきた、長い月日。昔は泣き虫で、お兄ちゃん子だったのに、すっかり優等生に、完璧な女の子に成長した。そんな香恋を、このままずっと一緒に、何があっても死ぬまで過ごすのだと思っていた。本気で──愛していた。

 緑ヶ丘とは短いけど、今考えてもびっくりするくらい濃い時間を過ごした。話すきっかけだって普通じゃあり得なくて、でもそのおかげで興味を持って。こいつを助けたい、救ってあげたい一心だった。そんな緑ヶ丘梨乃を異性として──好きだった。

 二人は同時に引き金に手をかけた。

 その瞬間、自分でもびっくりするくらいに体が軽くなって。駆けた。

 俺にもできることあるじゃん。あの時の公園で死んで見せた緑ヶ丘のように。

そして、運動会の徒競走の際にしか聞いたことがなかったその音がなって。

──目の前が、真っ白になった。

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