緑ヶ丘梨乃 9

「まさか、私との約束破るつもり?」

 そこに待ち構えていたのは予想通り、年齢のわりに若く見える、美人の女性──香織さんだった。

「他人のトイレを邪魔するとは、マナーの悪い人ですね」

「もー、そんなこと言わないでー」

「何をしに、来たんですか」

 帰りのバスの本数は少ない。なるべく早く、会話を終わらせないと。

「第一声に、その全ての意味が込められていると思うけど? 私が何をしにきたのか」

「っ………」

 言葉が詰まって出てこない。

 この人は何でも知っている。

 それは、人間の感情の変化までも。

「どうやら、図星だったみたいね」

 何でも知っているくせに、たまたま当たったみたいなことを言う香織さんは、いつもの優しさが見られない。

「彼も男だからねー。その時がいつか、っていうかそろそろくると思ってたから本当は今日あなたには行かせたくなかったんだけど」

「どういう、意味ですか?」

「え? わからない? あなたの希死念慮が消えると思ったからよ。本当はだいぶ前から彼のこと意識して、好意だって持ってたくせに。まさか先に言われるとはねぇ。さすが、私の娘が見込んだ男だ。あなたのことも救っちゃってるしね。だけど、世界は救えない。だってもう唯一救える可能性があった緑ヶ丘梨乃にその気持ちがないんだもの」

「・・・・」

「はぁ。なんか言いなさいよ。その無言でいるの、彼もよく困ってたわよ。まぁいいわ。もう一度約束し直しましょうか。あなたはもう死ぬ気はなくなった。故に、死んだら生き返るとかそんなのどうでもよくなった。だけどね、私はよくないの。香恋を殺さないと、この世界はどうせ終わるの。それを止められるのはあなたしかいない。だからね、緑ヶ丘梨乃ちゃん、香恋を殺すと約束して。さもないと──千代田康太を私が殺すわ」

「ま、待ってください! せめて私にしてください! 彼は何も関係ないじゃないですか!」

「大ありよ。彼がいなかったら香恋はいつまでも私の可愛い娘だったわけだし、あなたを殺したらこの世界を唯一救える駒がなくなっちゃうじゃない?」

 淡々と話す香織さんは私と大違いで、その冷静すぎる態度にイライラしてしまう。

「じゃ、そういうことだから〜」

「ち、ちょっと!」

 トイレから出て行く香織さんを追ったがすでに姿はなかった。

「お、おい! 遅いぞ」

 いたのはちょうど話をしていたその彼。何やら慌てた様子で。

「バス、もうない」

「私、何分間トイレにいた?」

「三十分くらい。遅いから心配したぞ」

 そんなにもの時間、あの人と話していたのか。

「呼びに来なさいよ」

 彼がもし来ていたら、変な話にはならずやり過ごせたのかもしれない。けど、そんなことを今さら言ったところで無駄だ。

 もう、私の決意は決まっている。

 ──千代田康太は私が守る。

 それが、彼に私がするべきこと。

 それが、私にしてもらったことくらいの恩返しになる。

 私を助けてくれたか彼を私は助ける。

「歩いて、帰りましょう」

「あ、歩き⁈ まぁ、そうするしかないかぁ」

 冷たい小雨が降る中、私たちは歩き出した。

この雨がひどくなるまでに着けばいいなと淡い期待を抱きながら田舎道を歩き続ける。

 本当に何もない。昼間だとキレイな風景なんだろうけど、この天気と時間のせいでそんな景色を見ることができない。非常に残念。

「また、行きましょうね。遊園地。想像以上に楽しかったわ」

「お、おう。そうだな」

 恥ずかしかったし、さっきの観覧車での話の続きとか色々話したいことあったけど、今のが、唯一言えた私の本音。

「頑張って歩きましょうか」

 この時間がずっと続けばいいのに、と想った。

 雨が降っている、最悪な状態だけど。

 また、さっきまでのような幸せな時間を過ごすことが。

 いや、またこうして二人で横を並んで歩く時間さえもが。

 もう訪れない気がしたのだから。

 

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