千代田康太 14

「できましたよ」

 食卓テーブルからカレーのスパイシーな香りが漂ってくる。

 香恋の声に反応した緑ヶ丘はソファから腰をあげ、食卓テーブルの前に置かれた椅子の中でも最も手前に座る。ちょうど香恋の真正面になるようにだ。

 俺はというと、香恋の隣に大盛りのカレーが盛られていたので、そこに着席。いつも多めに盛られるため、俺の席はここで間違いないだろう。

「本当によろしいのかしら?」

「いいんですよ。兄の友達なんですから」

「そうだぞ」

「ええ。では、ありがたく。いただきます」

「「いただきます」」

 俺と香恋も緑ヶ丘に合わせて丁寧にいただきます、と一言。

 最近は使う機会が少なくなっていたこの食卓テーブルだが、やはり複数人で食べるご飯は美味い。親も俺も香恋も、最近何かと忙しかったからなぁ。

「美味しいわ」

「ありがとうございます」

 二人は、さっきまでの喧騒が嘘みたいに話している。口数は少ないけど、さっきまでの敵意はなくなっているみたいだ。

「無言はなんか寂しいから、テレビ付けるぞ」

 俺は席を立ち、リモコンでテレビを入れる。この時間は大した面白いテレビはやってないが、この無言の空間を壊すためだ。いくらなんでもこの状況、気まづすぎる。

「え、めっちゃ雨降ってんじゃん!」

「本当ね」

 後ろから女の子二人の声がした。

 テレビに映るのは今現在の外の様子。

 天気予報士が嵐の中、天気を伝えている。

『今日は今後もさらに雨が強くなる可能性がありますので、私みたいに外には出ないように!』

 天気予報士のおじさんが特に心配だが、とにかく外はすごい雨だった。

「お兄ちゃん、いつまで立ってるの?」

「ん? ああ。すまん。行儀が悪かった」

 本当のお嬢様とお嬢様学校に通う二人のせいで、ここはまるで庶民である千代田家ではないようだった。おかけでとても肩身が狭い。カレーという庶民の絶品料理を食べているというのに。

「梨乃さん、大丈夫ですか? この雨だと……」

 あ、そういえば、まだ香恋に緑ヶ丘が泊まることを伝えていない。

「そうね。この雨だと、バスも走ってないかも……」

 緑ヶ丘が俺の方を見てくる。これは意思疎通できたのかもしれない。この雨を利用して、自然に泊まることを提案すればいいのだ。

「そしたら───」

「うち泊まっていってください!」

 俺が言い出そうとしたときに、まさかのところから、その提案が出た。

「明日は土曜日で学校も休みですし、この雨の中帰らせるわけにはいきません。泊まっていってください。」

 香恋は普通に、この場では最も的確だろうと話す。

 この展開は俺にとっても緑ヶ丘にとっても好都合。

 この波に乗る以外ないだろう。

「そうだよ。泊まっていけよ」

「そしたら部屋はどうしようか? お母さん達の寝室はダメだし・・・」

「あ、あの。本当に良いのかしら? そんな、親御さんの許可なしに」

「大丈夫ですよ。うち緩いんで。それにこの雨の中帰した方が怒られますって」

「ありがとう」

 緑ヶ丘は丁寧にお辞儀をする。

 こいつ、演技うますぎるだろう……。

「そしたら、お兄ちゃんの部屋で寝てもらうかな」

「え、お前ちょっと待て。一応、男と女だぞ?」

 それだけはダメだ。倫理的にも、メンタル的にも。

 すると、梨乃は引きつった顔で答える。

「え、きーも」

 これ以上にないドン引き顔。間違ったことは言ってないはずなんだけどな……。

「大丈夫よ。私たちはただの友達なんだから。変なことは起きないわ」

「それもそうですよね! 私の部屋すぐ隣ですし、何かあったらうすぐに駆けつけますんで!」

「それは頼もしいわね」

 二人でお泊まり会についての話が行われていく。

 どうやら、寝るところは決まったみたいだ。本当に大丈夫なのか不安だ。俺は今日寝られるのか?

 それからはそれぞれの時間だった。

 俺は床のいつもの定位置でアニメを鑑賞。緑ヶ丘は読書。香恋は食卓テーブルの上で勉強している。食器については緑ヶ丘が洗わせてほしいと言うので片付けてもらった。

「そろそろ寝ますかー」

 ふわぁ、と大きな欠伸をする香恋。

 時刻は二十四時を回っていた。

「そうだな」

 三人で階段をのぼる。

 階段を登ってすぐ右のあるのが香恋の部屋で、その左が俺の部屋だ。

「お兄ちゃんおやすみー 香恋さんも!」

「ええ。今日はありがとう」

 香恋と別れを告げ、いざ俺の部屋へ。

 自分の部屋の中に女の子がいるという事実に胸がドキドキしてしまう。

「妹さん、とてもできた子ね」

「まぁな」

 そこから軽く雑談を交わして、布団に入る。

 緑ヶ丘が俺のベッドで、俺は来客用に一応用意されていた布団。たまに来る親戚用か何かで買ったのだが、使うのは今日が初めてだ。

「電気、消すぞ」

「ええ。お願い」

「………………」

 お互いに、おやすみ、と言うこともなく無言になる。

「………………」

 雨の音だけが部屋中に響き渡る。雨の勢いは、夕飯時よりも強くなっている。

 はて、高校に入ってからというものの、こういう雨の日は多い気がする。まだ梅雨の時期でもないというのに。

 そこで、この沈黙は破られた。

 綺麗に整った、一定の呼吸音だけをさせていた緑ヶ丘が口を開いた。

「今日はありがとう。急だったにも関わらず、おもてなししてくれて」

「俺は何もしてない。ほとんど妹だ」

 緑ヶ丘は、それもそうね、と笑ってくれる。

 あの事故以来、ここ数日間はまるで俺の人生とは思えない時間が流れている。

 女の子と放課後遊ぶという、まるで夢のような日々。今こうしているのも、想像すらしていなかったことだ。きっかけはどうであれ、どうせ中学みたいな非リア生活を送ると思っていたが、これは嬉しい誤算だ。

 ────だったら尚更、もっと楽しく過ごしたいじゃないか。

 緑ヶ丘のことが好きかと聞かれると、それはわからない。ただ、きっとこの一連の事が解決しても俺は彼女と多くの時間を共有したいと思うだろう。だったら、このチャンスをものにしないと。いっぱい話さないと。

「今でも、死にたいと思っているのか?」

 聞いた。何の前触れもなく。この問題を解決しないと、俺たちは前に進めない。何より、突然緑ヶ丘がいなくなってしまいそうで。

「ええ」

 即答だった。

 正直、意味がわからない。なんでそこまで死にたいと思うのか。

 ところで、忘れていたことがあった。どうして今日、泊まるなんてことになったのか、必ず理由があるはずだ。

「お、お前はその、俺のことどう思ってるんだ」

 今度は俺の気持ち悪い質問。後日死にたくなって、枕に向かって叫ぶだろう。

 ただ、逃げるわけにはいかないと、その一心で。

 何か一つのことで、壊れるほど確立された関係じゃないからこそ、聞けたのかもしれない。

「感謝してるわ。あなたには」

 まさかの返答に驚いた。感謝しているのはこっちの方だ。俺は、君のことが知りたくて近づいたストーカーなのだから。

「お、俺だってそうだ。何の彩りもない人生に色をつけてくれたのはお前なんだ」

「なかなか、気持ち悪いこと言うのね」

「お、おい! それは言うなよ……」

「ふふっ。でも、私もそうよ。こんな修学旅行の夜みたいに、お互いの顔を見ずに本音で話してみたかったし」

 修学旅行という単語には嫌悪感しかないが、上機嫌な緑ヶ丘につられて俺も笑ってしまう。

「そしたら俺らってやっぱり、さ───」

「友達、よ」

 本音で語り合える今だからこそ出た答え。これほどまでに心地良い時間を、これまで過ごしたことがあっただろうか。

 そうなると、やはりあの疑問を放っておくことができない。

さっきは一旦、スルーしたけど。

 だって、それなら死にたいだなんて思わないでくれよ。

 お互いに、初めてできた友達同士だっていうのに。

「────どうして、死にたいんだ?」

………………」

「だってもう、一人じゃないだろ?」

「………………」

 ここでの沈黙は卑怯だ。

「───どうして、かしらね」

 どこか儚げがあるそのセリフは、いつものような凛とした様子がなく、とても弱々しく聞こえた。

 ───まるで、本当に自分が死にたい訳を、理解できていないように。

「もう、寝るか」

 これ以上会話しても、進歩はないと思った。

 俺にできることは全てやった。そして、できたのだと自覚したから。

 あとは本人次第。俺に心理学の知恵はないし、どう向き合って行くべきかなんてそんなもの何一つ知らない。

 これが俺の限界。

 人付き合いが苦手で、意味もなく日々を過ごしてきた俺の。

 もしかしたら、明日になると急に緑ヶ丘は俺の前から姿を消すかもしれない。

 たとえ、そうなっても構わない。

 人は、どこへ行っても決して一人じゃないのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る