千代田康太 13
香恋に着替えてくるよう促され、部屋に来た俺は真っ先に二つに折られた小さな紙をポケットから取り出した。
女の子からの手紙。
それは男子なら期待せずにはいられない代物だろう。無論、人生初ゲットである。
意を決して開くとそこには、綺麗な字で、
『明日、千代田君の家に泊まろうと思います』
と書かれていた。
「─────────」
もう一度読み返す。
これも初めてならみんなやる行動だろう。
しかし、そこにはやはり綺麗な字でそう書かれていた。
「は、は?」
いくらなんでも飛躍しすぎではないだろうか。どこからどこまでの飛躍なのかわからないほど飛躍していて思考が追いつかない。飛躍というより超越だ。ちなみにこれも自分で言っていて意味がわかっていない。
「にしても、急だな」
明日は金曜日。あいつの家と違ってうちには両親もいれば香恋もいる。
いや、待て。待つんだ康太。
確か昨日の晩、香恋が言っていた気がする。
金曜日の夜から両親二人は出張で一日いないと。
香恋は一応、緑ヶ丘と面識があるわけだし、適当に理由つけたらどうにかなるんじゃないか。
やはり、急展開に思考が追いつかない。
「あいつ、何考えてるんだ……」
電話番号もメールアドレスも知らないため、今すぐにこれはどういうことなのかとは聞くことができない。
「あーもう! どうすりゃいいんだよ!」
断る?
それだけはない。
今日、あそこまで話してくれたんだ。
ここですんなり終われない。
ダメかもしれないけど、あいつにもう少しだけ踏み込みたい。
俺だけ記憶が残っているのも、神様からの助けてやれというメッセージかもしれない。
この話は簡単に終わってはいけないんだ。
あいつが今日打ち明けてくれとのもきっと何かがあってのことだ。
ここで頑張らないで、どうするんだ。
「よ、よし」
とりあえず、詳しいことは明日聞こう。そうしよう。
こうして俺の自分自身との戦いは幕を閉じた。
「や、やぁ。今日も天気良いな」
毎朝恒例、ドアを開け外に出ると緑ヶ丘梨乃がいた。
早朝からしっかりと開いている大きな目から、今日も彼女は健在なのだとわかる。
「おはよう千代田君。今日は一日快晴らしいわよ」
何気無いお天気トークを終え、学校に向けて歩き出す。
放課後になってからでは遅い。今のうちにあのことを聞いておこう。
「あ、あの。ちょっと良いか?」
「? 何かしら?」
キョトンとした顔は年相応の少女といった感じで、少しドキッとしてしまう。今のところ俺が見てきた彼女の表情の中で一番可愛いと思う。
いや、今はそれどころじゃない・・・。
「聞きたいことがあるんだけど・・・」
「信号、変わってるわよ」
「お、おう・・・」
昨日のあれは何だ? と言えば良いだけなのに、直前で躊躇ってしまう。こういうところが長年のぼっち生活の弊害だろうか。
「…………………………」
結局、聞けないまま学校に着いてしまった。
緑ヶ丘と歩いていても、いつしか周りの声は聞こえなくなり、過ごしやすくなった。
しかし、相変わらず校内では話さないため、学校でも聞けずじまいで放課後に。一日ってこんなに早かったっけ?
緑ヶ丘が教室を出たのを確認すると、俺も追って教室を後にする。
「今日はどうすんだ?」
学校の門を出たところで、いつもの質問をした。
これも恒例というか、この質問から俺たちの放課後の予定が決まっていく。
昨日はこれで、私の家にきなさい、という返答に呆気を取られたわけだが。
「愚問よ」
「は、は?」
「昨日のうちに伝えてあるでしょ。家帰ってから読んでとは言ったけど、まさか忘れてて読んでないとか?」
はいはい。読んだに決まってますよ。ごめんなさい。僕が愚かでした。
「じゅ、準備とかしてきたのか?」
「いえ、一度家に帰ってから行くわ。準備は帰ってからするわ」
「お、おう。そうか」
もうこの時点で完全に緑ヶ丘のペースだ。頷くことしかできない。
「あ、ちなみに親いないから!」
大事なことだと思うので一応。
そしてなぜか声がうわずってしまった。恥ずかしい。
「そう」
どうやらそんなことを気にしていたのは俺だけだったみたいだ。
「でも、妹さんはいるんでしょ?」
「あ、あぁ。すまんな。親いない日はあいつの作ったご飯ですますことが多いんだけど、大丈夫か? 俺は美味しいと思うけど。あれだったら、出前とか外食とかするか?」
「ううん。妹さんのご飯で大丈夫よ。現役中学生の手作りご飯とかなかなか食べられないしね」
こいつ、案外楽しみにしてるんだな。
部屋の方付けとかしとかないと。
「タクシー使うから、意外と早いと思うわ」
「おう。了解」
俺の家に着いたところで、一旦緑ヶ丘と別れる。
遅くても一時間後にはくるだろう。
「それじゃ」
「はい。また後で」
緑ヶ丘が見えなくなるところまで見送って、家の中に入る。
香恋が帰ってくるのと、緑ヶ丘がくるのとどっちが先だろうか。
「はぁ。どうなることやら・・・」
寄り道してこないかなあ。香恋のやつ。
自分の家だというのに、今日の家の中は不思議なふわふわした感覚があった。
結論から言うと、先に来たのは緑ヶ丘だった。
「おまたせ」
初めて見る同級生の私服姿に、呆気にとられてしまう。ミモレ丈のフレアスカート。カラーは緑で、名字に合わせているのだろうか。それに合わせているのは白いトップス。全体的に明るい印象で、春らしいコーディネートだ。普段は校則のためローファーだが、今履いているスニーカーもすごいオシャレだ。女の子らしく、その長い黒髪とも相まってThe清楚女子である。そして、今まで気づかなかったが胸も大きい。私服により、制服と比べて強調されているからだろうか。私服すげぇ!
「? 早く入れてもらえないかしら」
「ああ、すまん」
どうやら見惚れてたようだ。
「妹さんはまだなの?」
「うん。もうちょっとしたら帰ってくる頃なんだけどな」
「そう」
居間に入るなりソファに腰を下ろす緑ヶ丘に、いつものように紅茶を用意する。
こいつがこの家に来ること自体は何ら違和感がない。もうすっかり慣れた。
しかし、妹がいるとなると話は別だ。それに、泊まるって……。どうなっちゃうの、俺!
「いつもの安い紅茶だ」
「ありがとう」
緑ヶ丘はコップに一口つけると、カバンを開ける。
にしても、荷物多くない? カバンの中パンパンだけど。女子ってそういうもんなのか。
「お風呂借りてもいいかしら?」
「は⁈ 風呂⁈」
「何を驚いているの? 他意はないわよ」
そ、そんなことわかってるし……。
「好きに使ってくれて構わないぞ」
「そう。じゃ借りるわね」
すると、着替えを持って風呂場に向かう緑ヶ丘。
違う。俺は家族以外が自分ん家の風呂を使うということに違和感を覚えただけで。
「……」
女の子が風呂に入る音を聞いてドキドキしている俺、気持ち悪すぎる……。
先に断っておくが、覗くために近くに来たわけじゃない。そんなに大きな家じゃない故にシャワーの音が居間まで聞こえてしまうのだ。
「はぁ」
することもなく、携帯をいじる。
そういえば、まだ香恋に何と伝えるかは決めていない。
いざとなったら、緑ヶ丘が適当に理由つけて誤魔化してくれると思うけど。
『女友達 泊める 妹への 言い訳』
なんて検索してしまうくらいに焦っているのは昨日からずっと続いていることだ。
俺の検索履歴には似たようなニュアンスの日本語で検索した数多の履歴が残っている。
「マジでどうしようかな……」
ついに独り言を漏らしてしまう始末。
こんなに悩んだのはいつぶりだろうか。
そこで、風呂場のドアが開いた音がした。
どうやら色々悩んでいるうちに、結構な時間が経っていたみたいだ。
「ドライヤーってどこにあるの?」
「あ、そっか。言ってなかったっけ」
言葉のみで説明しても伝わらないだろうと思い、重い腰をあげ風呂場へと向かう。
そこには顔だけちょこんと出す、風呂上がりに緑ヶ丘がいた。
「って! お前なんでバスタオル一枚何だよ!」
「あら、お見苦しいものだった? スタイルにはそれなりに自信があるのだけど。私は昔からこの姿で髪を乾かすことにしているの。お風呂上がりってこの方が気持ちいいじゃない?」
「いや、わかるけど! わかるけど、予測してなかったっていうか……。とにかく、洗面台の下に入ってるから!」
なるべく人の目を見るようと心がけて話しているが、さすがに見れない。俺にそんな耐性はないんだ。
しかし。
ガチャガチャ。
風呂上がりの美少女との会話イベントも、その物騒な音で全てを打ち砕かれてしまう。
これは、鍵を開ける音。
まさかこのタイミングで香恋が帰って来るとは……。
「ただいまぁー」
こっちの歩いてくる音が聞こえる。手を洗うためだろう。風呂場を出たところに手洗い場がある。俺が動けず、そのまま立ち尽くすしかなかった。このままだと、鉢合わせだ。なんでこんなにタイミング悪いの?
ショートボブの女子中学生。毛先は軽く丸めただけのアレンジだが、ふわふわした感があって実に今時の女の子を連想させる。
「────香恋」
一応、ジロジロと全身を舐め回すように靴下かた生足、現役女子中学生の上半身から髪の毛の艶まで確認して見たが、やっぱり香恋だった。
少し時が止まった気がして、反応が遅れてしまった。
いつもなら、ちゃんと反応してよね、なんて答える香恋だが、そんなセリフは聞こえてこない。
その理由は明らかだった。
彼女の視線は、今俺の隣にいるバスタオル姿の女子高生へと向けられているからだ。
生憎、この有様だ。予想だにしない状況に香恋も驚いているだろう。
「お邪魔してます香恋さん。会うのは二回目ね」
俺の隣で風呂上がりのいい香りを周囲にもたらすバスタオル一枚の彼女だけは、驚きを感じさせなかった。
いや、この状況さえも予想していたかのようにいつも通りだった。
「どうして梨乃さんが私の家のお風呂に?」
「ちゃんと千代田君に許可は取ったわ。すっきりしたかっただけよ。もし不服があるのなら水道代、払いましょうか?」
香恋は警戒心マックスの敵意むき出しで、明らかに機嫌が悪い。
それに対して緑ヶ丘は、これまたいつも通りだ。
「お二人、仲いいんですね」
「あなたたち兄妹ほどじゃないわよ」
そろそろ俺が仲裁に入らないと、埒が明かない。それにしても、どうして香恋はこんなに怒ってるんだ? 今にでも喧嘩が始まりそうなんですけど。
「ただ、友達を家に招いただけだ。そして、今この状況なのはドライヤーがどこにあるのかを教えていただけで……」
「っ……。まぁいいです。兄の友達ならばおもてなしします」
なんとか納得してくれたのかな?
「これ、冷蔵庫の中入れておいて」
「お、おう」
動揺からか、香恋が買い物袋を持っていることに気がつかなかった。
「夜ご飯、カレーでいい? 明日もお母さんいないから一回作っちゃえば何日も食べられるからいいかなって思ったんだけど」
「ああ。もちろん大丈夫」
「そう。じゃ私は着替えてカレー作るから。あと、梨乃さんさえ良かったら食べて行ってください」
そこでやっと香恋が俺たちの前から去った。
まるで嵐のような出来事だった。
香恋のあんな敵意むき出しの目を見たのは久しぶりかもしれない。
中学に上がってから、お嬢様学校に入ったのもあるだろう。外ではその今時のギャルっぽい女子という外見とは裏腹に、清楚で静かな女の子を演じるようになった。
よく一緒に買い物行った時なんかは試食コーナーに飛びついていたのに、それもすっかりなくなって。
わがままも親の前では見せなくなった。
わがままを言うのは俺の前だけ。
そんな香恋がまるであの時の───最初で最後の兄妹喧嘩をした日のように。
「いつまでそこに立ってるの」
「え?」
「髪も乾かしたし、着替えたいのだけど」
「あ、ごめん・・・」
香恋の帰宅で俺の調子が不調から絶不調に陥ったみたいだ。
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