千代田康太 12

 どういうわけか、俺は今、学校一の美少女である緑ヶ丘梨乃の家にいる。

 あの事故の日以来、死んでも生き返るという彼女のことが知りたくて接触を図ってから数日が経ち、今日もいつもの通り一緒に帰っている時にだった。

 「今日は私の家に来ない?」

 特に断る理由もない俺は二つ返事で答えた。

 この前は俺の家に来たし、つい先日はプリクラを撮った。家に招かれても不思議なことではない。

 それに、緑ヶ丘とのこのよくわからない関係をどこか気に入っている俺がいた。

 俺の家を通り過ぎ、街中を少し歩いたところに、緑ヶ丘家はあった。

 街中は特に土地代が高い。そこに家があると聞いた時は、それなりにお金持ちなんだろうと予想していたが、予想以上だった。

 洋風の家は周囲の建物と比べて異彩を放っていて、まるで西洋の貴族が住んでいそうな感じがした。

「とんでもないところに来てしまったなぁ」

「なんか言った?」

 台所の方から緑ヶ丘の声がする。どうやらコーヒーを用意してくれているみたいだ。俺はというと、ソファの上で正座している。適当にくつろいで、なんて言われたがそんなことできるはずがない。

 絶対高いだろ、このソファ・・・。

「どうして正座してるのよ。ソファの上で正座って初めてみたわ。家では、そっか。家では床に座っていたものね。座り方がわからないのも無理ないか」

「し、知ってるし・・・」

 ソファの座り方を知らないって現代にタイムリープして来た武士かよ。

「緊張しているの?」

「ま、まぁな。友達の家に行くなんて人生初だからな」

「まだ友達と認めたつもりはないのだけれど。まぁ、私も家に同年代の人を入れたのは初めてよ」

 友達じゃないなら一体なんなんだろうか。

「そういや、親って今日は留守なのか?」

 この質問はここに着く前に聞いておくべきだった。もし家の人がいたりしたら、どうなっていたのだろうか。

「一人暮らし、みたいなものだから気にしなくて大丈夫よ」

 こんなに広い家に女子高生が一人暮らしって。親の教育方針なのだろうか、金持ちの考えることは理解できない。

 ところで、こいつの親は何者なんだろうか。こんな広い家を持っているんだ。きっと社長とかなんだろうけど。

 しかし、このことを聞こうとして、俺は口を閉じた。

 もしかしたら、この環境が自殺に繋がっているかもしれないと思ったからだ。

 俺がこいつと話すようになったのも、このことを気になったからだ。ここでこの質問をしないで前には進めないし、今までやってきたことの意味がなくなってしまう。どこかに、この関係が崩れてしまうかもしれないという不安があったとしても、一歩前に進むべきだ。それが悪い方向に行ってしまったとしても。俺のためにもこいつのためにもきっとなるはずだ。そして、死にたいなんて感情をこいつから消し去りたい。そんな気持ち、忘れるべきなんだ。忘れないとダメなんだ。

「私、一人で生きてきたの」

 俺が勇気を絞り、口を開けた瞬間に、対面から細く綺麗な声がした。

「両親がね、とても忙しい人で。小学校の高学年の時には今みたいに一人暮らしのような生活を送っていたわ。一人で、誰とも関わることなく、ただ一人で───」

「お、お前……」

「どうしたの? どうして自殺なんてするのか、それが死んだら生き返るという意味のわからない私を救う鍵になると考えていたんじゃないの」

 俺の考えていたことはお見通しで、どうして自殺なんてするのか、という俺が最も気になっていたことを答えてくれるみたいだ。

 だけど、本当にいいんだろうか。

「先に言っておくけど、あなたにこのことを打ち明けて、勝手に説教垂れても無駄。私の気持ちは変わらない。死ねるのなら死ぬわ。打ち明ける理由は、そうね。友達になるため、とでも言っておくわ」

 緑ヶ丘は指をさしてくる。

 重たくて、暗い話になると思ったが、そうやら杞憂で終わるみたいだ。緑ヶ丘は前向きな気持ちで、そのことを教えてくれるみたいだ。

「一回しか言わないから、しっかり聞きなさいよ」

 いつもは紅茶を飲む緑ヶ丘だが、俺に合わせてコーヒーの入ったマグカップに口をつける。

「ずっと一人で、親を親だと思ったのなんて本当に何回かしかない。一回だけだったかもしれないわ。生きることに飽きたよのね。何の目的もなく日々を消化して行く。そんな日々を過ごして行く中で、ある日思いついたのよ。死んだらあの親も私に興味を持ってくれるんじゃないかって。バカみたいでしょ? 死後どうなるかを認識することなんてできないのに。そしてあの日、学校の屋上から飛び降りたわ。それで、目が覚めたの。この家の、自分の部屋の、毎日寝ていたベッドで」

 話終えた緑ヶ丘に俺は何も声をかけてやれなかった。両親は仕事が忙しいとはいえ、毎日顔を合わせるわけだし、俺には幼少期を一緒に過ごしてきた妹がいる。そんな俺が言えることなど何もなかった。何を言っても緑ヶ丘を傷つけてしまいそうな気がして。

「コーヒーのおかわり、入れてくるわね」

 空気を読んだのか、俺の使っていたマグカップを手に、緑ヶ丘は台所へと歩いていく。

 俺はお礼も言えず、ただ緑ヶ丘を眺める。

「どうすりゃいいんだ・・・」

 人が自殺に走る理由は様々だ。いじめを受けている様子はなかったし、家族と上手くいってないのかな、とか考えたことはあった。十代の少女の自殺理由としては珍しくない理由だと。

 俺に何ができる。

 家族と仲良くなってもらう? 

 そんなこと、俺にできるわけないだろ……。ただのクラスメイトの俺に。

「─────」

 今このタイミングで打ち明けたのにも、きっと何か理由がある。

 もしかしたら、もう一度自殺を試みるのかもしれない。

 だったらそれだけは止めないと、たとえ生き返るとしても───。

「あれ? 今日は鍵空いてる? 不用心だなぁ」

 俺が頭を捻らせ、今後のことを考えていると、玄関から女性の声がした。緑ヶ丘のお母さんだろうか。それにしてはイメージと大きく違う。元気な声音で、緑ヶ丘とは正反対のタイプの女性。

「お邪魔しまーす」

 緑ヶ丘の家にやってきたその女性は、金髪とも茶髪とも取れる明るい髪色で童顔。だが、大人の女性を感じさせるメリハリのある綺麗な体のラインをしていた。歳は俺の親くらいだろうか。きっと若い頃は随分とモテたのだろう。それも、香恋くらい。

「はぁ」

「どうしたのため息なんかついて」

「いえ、何でもないです」

 会話から察するに、やはりお母さんではないっぽい。確執なんて感じないし、むしろ仲が良いように見える。だとすると、親戚のおばさんとかそんなところだろうか。

「あ、あの。緑ヶ丘さんのクラスメイトの千代田康太です。お邪魔してます」

 ならば、挨拶せずにはいられない。

 しかし、意外な返事が返ってきた。

「あ、どうも初めまして。香織さんでーす。梨乃ちゃんとは親戚でも何でもなくて、近所のおばさんみたいな関係の人だからそんなかしこまらなくて大丈夫だよ」

 香織さんと名乗る女性は美人でとてもフレンドリーで、こんな人が担任の先生だったらな、なんて考えてしまう。富沢先生には悪いけど。

「ところで君は、梨乃ちゃんの彼氏さん? んー、梨乃ちゃんからそんな話聞いてなかったけどなー。梨乃ちゃんも隅に置けないなぁ。君も、こんなに可愛い彼女捕まえたんだから絶対、離したらダメだぞ? お姉さんとの約束! わかった?」

「香織さんっ!」

 台所から緑ヶ丘の大きな声が聞こえてくる。

「もう、変なこと言わないでください。私と千代田君はただのクラスメイトですから」

 緑ヶ丘はマグカップを持ってくると、強くテーブルに置いた。少し怖い。

「あれ、私のは? いつものココア砂糖多め」

「からかった罰としてなしです」

「えー、ケチー」

 歳は二十ぐらい離れているはずなのに、すごい面白い関係だと思う。緑ヶ丘がこんなにハキハキ話すところを今まで見たことがなかった。これもきっと、香織さんの人柄の良さだろう。この人のいるところには自然と笑顔が集まる、そんな素敵な女性なんだと思う。

「で、今日は何の用ですか?」

「二人のお家デート邪魔しちゃダメだよね。また後でこようかな」

 そう言うと、香織さんは玄関の方へと歩いていく。もう少し話してみたかったから少し残念だ。どこか香恋に似ていて、話しやすかったし。

 香織さんが嵐のように去っていた後はまさに静寂そのものだった。

 さっきまで暗めの話をしていたせいか、どんなテンションにするべきなのかわからず、そして特に話題もなく、気づけば三十分が経過していた。外は段々と暗くなってきていて、部活帰りの学生が談笑する声や、仕事の愚痴を言いながら歩くサラリーマンの声が聞こえてくる。静寂を極めればここまでになるのか、と新たな発見。人通りの多い街中にある家ならではのことだろう。こんなところに一人でずっと過ごすというのは、かなりきついことなのかもしれないな。孤独を感じやすい環境と言えるからだ。

「俺、今日はもう帰ろうかな」

 緑ヶ丘とプリクラを撮った日以来、香恋が兄の俺に塩対応が続いている。今日は帰り道にあいつの大好物のロールケーキでも買っていってやろう。

「そう」

 緑ヶ丘は小さく答えると、

「これ、帰ってから見て」

 何やら二つに折られた小さな紙を渡してきた。

「お、おう」

 帰ってから見てと言われている手前、目のまで見るわけにはいかない。そのまま素直にポケットにしまった。

「お邪魔しました」

「ええ、またきてね」

 小さく胸の前で手を振る緑ヶ丘に見送られて、緑ヶ丘邸を後にした。

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