千代田香恋 1

 康太の帰りが遅い。もう七時半を回ろうとしている時計を見て、ついため息が漏れてしまう。

 生粋のぼっちである康太は暗くなる前には必ず帰ってくる。本屋などへ買い物に出かけたとしても、そのスタンスが崩れることはない。

「お母さんとお父さんもう寝るから」

「はーい」

 共働きの両親は、疲れからか早く寝るのが習慣になっている。今日はその中でも特に早い日のようだ。お年寄りでもまだ起きているだろうに。でも、私にとっては好都合。いや、私が都合をつけている、は正解か。そのおかげもあり、昔から康太と一緒にいる時間が多い。だというのに……。

「はぁ」

 またため息が出る。

 一人になったからだろうか。

 思えばこの家に来て十年が経った。

 あれは五歳の頃、痛いほどの大粒の雨が降り注ぐ日に康太に出会って───

「ただいまー」

 一人の時間はほんの一瞬で、どうやら感傷的にならずにすんだようだ。

 康太が帰ってきた。

「遅かったね」

「んー、まぁな。あ、飯用意されてる! いただきます。母さんたちもう寝た?」

「うん。ついさっきね」

 すると、康太はテレビをつけ、ご飯を食べ始めた。

 どうして遅かったのかが気になる。今までならここまで気になることはなかったと思う。自分が想像していた以上に、昨日、喫茶店で会った康太のクラスメイトである緑ヶ丘梨乃のことが思い出されるからだ。

 あの女と遊んでいたんじゃないだろうか。

「誰かと遊んでいたの?」

 この心配が、杞憂だったと思いたくて。いつも康太をからかう時と同じ口調で。

 この質問で答えは出る。簡単なことだ。

「ま、まぁな。ってか、そんなことどうでもいいだろお前には」

 やっぱり。

 わかりやすいんだから。

「もー、そんな言い方ないじゃんー」

 精一杯、いつも通りを装う。

 間違いなく黒だ。本当にただ遅くなっただけならそんな反応はしない。お兄ちゃんをいじるんじゃない、なんて言ってこないのがその証拠だ。動揺してんのバレバレだっつーの。動揺してるのはこっちだっていうのに。

「ごちそうさま」

 礼儀良く手を合わせた康太はその後、テレビを消し、食器をかたつけ、自室のある二階へと登っていく。

 私はそれをただただ見つめる。

「はぁ」

 もう何度目かわからないため息。

 やっぱり、あの女は敵だった。

 やはり、排除する必要がある。

 でも、その確証があるわけではない。あくまで推測。

 私とて、確証もないのに決めつけて行動するつもりはない。でも、きっとあの女はまた私の前に現れる。

「ふふ。ははっ」

 気持ちの悪い笑い声。自分のだというのに。まるで康太のような笑い方。

「お兄ちゃんに似てきたのかな」

 部屋の明かりを消し、私も自室のある二階へと登っていった。

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