緑ヶ丘梨乃 2
ピンポーン。
インターホンの音。この静かな家だと、そんなに大きな音量じゃなくても気づくっていうのにどうしてこんなに大きい音なのかしら。設定で変えたりできるのかしらね。
「はい。緑ヶ丘ですが」
ブツブツ不満を語りながら、玄関前に立つ人物と会話を始める。この家を訪ねて来る人なんて彼女一人だと決まっているのに。もしかして、私は別の人がくることを望んでいるのかもしれない。
「どうせ私しか訪ねてこないくせに、どうしてすぐ開けてくれないんだい?」
君の考えていることなんてお見通しだと言っているようなことを言う女は香織さん以外いない。名字は知らないし知ろうとも思わない。
「私がここに来るのも十二回目とかそのくらいかな」
「そうですね」
本題を逸らし、どうでもいいことを話し始めるのは実に彼女らしい。
「で、どうだった? ファーストコンタクトは」
私は話しながら、香織さんと初めて会った日のことを思い出していた。
私が香織さんと初めて会ったのは、初めて蘇った日の夕方。窓を覗くと夕焼けが綺麗、なんてことはなく、ひどく雨が降っていた日だった。そんな日に、香織さんと名乗る彼女は私の前に現れた。
「はい、緑ヶ丘ですが・・・。どちらさまですか?」
「あのー、傘貸してくれませんか?」
知らない人が来たら開けるなと、大して娘のことなんて気にしていないお父さんに言われていたが困っている人はほっといておけなかった。それに、この時の私には話し相手がどうしても欲しかった。昨日死んだはずなのに起きたら次の日で自分のベッド。そこがまだ病院なら理解できる。しかし、そこにはいつもと同じ景色。もちろん、両親は不在。学校に迷惑はなるべくかけないように金曜日に死んだから土曜日。外に出ずにただただ今起きている状況に混乱していた私にとって少しでも自分以外の人間と話せると言うことが嬉しかったのだ。
それが見知らぬ人なら、好都合とさえ思った。
「ごめんなさいねー。急に雨降ってきちゃって」
ドアを開けるとそこには金髪ショートカットで高身長の女性が。日本人離れしたルックスで、まるで海外のモデルかと思った。今になって考えてみれば雨なら朝から降っていた。傘を貸して欲しいというのは私を訪ねるための口実だったのだろう。
「雨で体が冷えちゃってねー。図々しいんだけど、ココアとか飲ませてもらっていい?」
「ど、どうぞ」
香織さんは本当に図々しく、居間のソファへと腰を下ろした。
「すみません。牛乳がないので紅茶で大丈夫ですか?」
「げっ、紅茶かー。砂糖多めでお願いしようかな」
香織さんはフレンドリーで話しやすい人。それがこの時に抱いた印象。そして甘党。
「どうぞ」
「ありがとうっ! 私、甘いのが大好きでさー、家だとココアにも砂糖入れるのさ」
「す、すごいですね」
私も甘いものは好きだが、上には上がいるということなのだろう。
「ふぅ〜」
「どうかしました?」
香織さんは砂糖多めの甘ったるい紅茶を飲み干し、コップをテーブルに小さく音を立てて置くと、
「あなた、昨日死んだよね」
と、告げてきた。
「えっ」
この時の私はひどい顔をしていたと思う。確かに私は自殺した。しかし、起きたら自分の家のベッド。インターネットで調べたり、普段は見ないSNSを漁った。自分で言うのもなんだが、入学してすぐに学校で一番可愛いと言われていた私だ。誰かが私の自殺に言及したつぶやきをしていてもおかしくないと思ったからだ。しかし、ニュースにもSNSにもそんなことは書いてなかった。学校の屋上から飛び降りたのだ。書いていないということは、つまり緑ヶ丘梨乃が自殺したという事実は存在していないのだと確信した。それなのに香織さんはそう言ったのだ。
「昨日はそのことのニュースばっかりだったのよ。学校の屋上から飛び降りたっていう女子高生がいるって。あなたの担任の富沢先生と校長先生がインタビューを受けていたわ」
やっぱり私、死ねたんだ。それが少し嬉しくて、自分で自分を引いてしまった。
「でもね、あなたに関するニュース記事は全部消えているの。どういうことかわかる?」
「いいえ。わかりません」
「簡単なことよ。死んだはずの人間が生きていたら、死んだって事実が存在するのは矛盾が生じているよね。死んだのに生きているっておかしいでしょ? だからあなたは死んでないことになっているのよ。緑ヶ丘梨乃さん」
「そんなことってありえるんですか」
「ええ、ありえるわ。あなたが特殊なのよ」
「特殊?」
おかしな話だと思った。普通の人なら思うだろう。
「そうよ。魔術とか魔法みたいなものよ。私はね、その魔術とか魔法を扱える特殊な人間なの。あなたと同じね」
「だから、私のことを覚えていた」
「んー、まぁそんな感じ。 頭いいわね。あ、そうだ! 半信半疑だろうから何回か死んでみなさい。その度に目が覚めたらこの家のベッドだろうけど。それと、もし本当にやるなら人に迷惑をかけないように死になさい。飛び降りれる勇気を持てるその力は確かにすごい。私には無理だもん。そんな簡単に羽ばたけたら、どんだけ良いものか────。ううん、気にしないで。こっちの話だから」
この時、この人は傘を貸して欲しかったわけではなく、私と話すことが目的なんだと気づいた。その魔術や魔法を扱えるのなら家の位置くらい簡単にわかるのだろうし。
「飲み物おかわりちょーだい!」
なら、この人なら私を殺せるのではないだろうか?
この人が私に言った『特殊』とはきっと死ねないとかそんなことだろう。
でも、この人なら私を殺せる。だってこの人も『特殊』なんでしょ?
きっとそう。
じゃないと、私の前に現れない。
この人は私を殺してくれる。
こんな世界から、私を解放してくれるんだ。
「……て……さい」
「ん?」
今度こそ、ハッキリと。
「私を殺してください」
それが私の唯一の望み。
「おーい。聞いてるの?」
「あ、すみません」
あの日と同じで夕方。そして土砂降り。私はついこの前のことを遠い昔のように思っていた。
「もー、しっかりしてよね」
「は、はい」
「なんかあったの?」
「い、いえ」
「もしかして、康太君のこと好きになった?」
「なななな、なってません!」
突然おかしなことを言い出す香織さん。
きっと今の私はとてもひどい顔をしている。あの時とはまた違ったタイプの。
「見事な慌てっぷりね」
「彼とは少し話すようになったくらいです」
「ふーん」
この人は私をよくイジってくる。きっと友達がいないから自分の娘くらいの歳の私と話すのが楽しいのだろうけど・・・。
「今、私のことおばさんって思ったでしょ!」
この人は人の考えていることが読める。きっと魔術とか魔法なのだろう。とてもやっかいだ。
「で、なんでしたっけ?」
いい加減、本題に入ろうと話を振る。ただ、雑談に花を咲かせていてもキリがない。
「あ、そーそー! 初めて会ってみてどうだった?」
「私と違って愛想が良い人だなって思いました。あなたと似ていて綺麗な顔をしていましたし」
私が抱いた印象は本当にそれだけ。これからも彼女に特別な感情を抱くつもりはない。
「ふーん」
「なんですか」
「いや、つまんないなーと思って」
「最初からつまるとでも思ってのなら見当違いですよ。私に余計な期待をしないでください」
「自分より可愛い女の子は初めてだった?」
なんだ。やっぱりそんなことか。
「お言葉ですが、私より可愛い女の子なんていないですよ。確かに彼女は愛想も良くて私より優れている点もあります。でも、彼女の歪んだ感情は顔に出てるんですよ。そんな人に私が劣っているはずがありません」
決して私はナルシストではない。彼女は初対面から私を敵視していた。そんな人に劣っていると認めては今後のモチベーションにも影響してくる。
「歪んだ感情ねぇ・・・」
「珍しいですね。そんな顔するなんて」
香織さんは天真爛漫を絵に描いたような人。悲しい目で窓を見ている姿は似合わない。
「事情とかは最初に会った日に説明済みでしょ。よし、私帰るから。また何か会ったら話聞きにくるからね」
そう言って、香織さんは玄関へと行ってしまう。またすぐにでも私に前に現れるだろう。
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