千代田康太 6
いつも通りの朝だった。既に両親と妹は家を出ていて、ニュース番組を見ながらトーストをかじる。マーガリンをたっぷり塗った甘々のトーストだ。
昨日起こったはずである事故の報道はもちろんなく、昨日は存在した事故について書かれたインターネットのページもない。
緑ヶ丘梨乃は生きている。
トーストを食べ終わり、歯を磨き、外靴に履き替えていつも通りの時間に家を出る。この時間は二日前に緑ヶ丘が俺の家の前で轢かれた時間である。つまり緑ヶ丘に会うことができる。学校に着いてからだとクラスメイトの視線とかあるし登校中にある程度は話を聞いておきたい。
「おはよう。千代田君」
意外なことに緑ヶ丘は家の前で待っていた。
「お、おう」
学校で一番可愛い女子が男子の家に迎えに行っている。近くを歩いていた三年の先輩、二人組みにそんな噂を立てられそうで怖いが、この展開は俺からすると好都合。正直、もし俺の家の前で会えたとしても話しかける自信はなかった。
「やっぱり、あなたにはちゃんと昨日の記憶があるみたいね」
そう言うと、緑ヶ丘は歩き始める。
「お、おい」
緑ヶ丘に追いつき、横に並ぶ。
「誰が隣を歩いて良いなんて言ったのかしら?」
「人のこと迎えに来といて何言ってんだ。きっともう、噂は立ってるぞ。三年の先輩がばっちり俺らのこと見てたからな」
「別にダメとも言ってないけど」
昨日から思っていたが、こいつかなりめんどくさい女だ。ツン要素が強い。
「で、お前は何者なんだ?」
横でも後ろでもなく、斜め後ろから質問をぶつける。こいつとはこのぐらいの距離感でいた方が楽そうだ。
「さぁ、何者なんだろうね。私って」
「どうしてとぼけるんだ? 素直に話してくれても良いだろ。昨日の今日なんだし」
本当のこと話してくれるんじゃないのか。
「とぼけてなんかいないわよ。もちろんだけど、死んでいる間の記憶はない。死ぬ瞬間から目が覚めるまでのことね」
緑ヶ丘の言っていることはわかるが、どこか話が曖昧でよくわからない。俺が聞きたい答えとは全然違う。
そうこうしているうちに学校が見えてきた。校門の前ではジャージ姿の体育教師がやれスカートが短いだの化粧しているだろと、主に女子に向けて注意を行っている。
「さすがに校内をあなたと歩くのは気がひけるわ。話の続きならまたストーカーでもしてきて。それじゃ」
緑ヶ丘はそう言い残し、先に行ってしまう。
朝から暗い話をするのもあれか。
教室に着くと、緑ヶ丘はすでに着席していて、文庫本を読んでいた。俺と緑ヶ丘のクラスの立ち位置を考えると、やはり話しかけることはできない。それに、もう今朝のことが広まっている可能性を考えると、ここはいつも通りの寝たふりをするのが安定策だろう。やっぱりあの二人何かある、などとは思われないようにしなければならない。
それから数分後、富沢先生がやってきてHRが始まった。
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