第17話 召喚術師、誉れの舞台に立つ
風が通り過ぎていく。賑やかなラダーマークの町並みが足下を流れていく。耳を澄ませば、威勢の良い呼び込みの声やリズミカルな鍛冶の音が薄く聞こえるだろう。
そんな中。
「本当申し訳ねえ~。だいぶ口が滑った~」
俺は、外套の後ろ襟を巨大な嘴にくわえられる形で空に吊されていた。
「だいぶで済むものか。一番大事なところをバラしてどうする?」
「致命的。フェイルらしくない」
「サーシャに色仕掛けでもされたか? そのレベルだぞ」
「気ぃ抜けてたんだ~。なんか、その場の流れで言っちまってよぉ~」
「絶対的な優勝候補に弱点をバラす馬鹿がどこにいる? パンドラ無しで勝てるような相手ならまだしも」
「ちくしょお~。なんであんなこと~」
普通、交易都市ラダーマークの真上を召喚獣で飛び回ることは禁止されている。
しかし今日は召喚祭。一年の内で最も召喚術師が輝く日だ。
普段は学院の多目的ホールだけに設置されている学位戦の中継設備、その小型版がラダーマーク中の街角に設けられ、三十万の人々を熱狂させるのである。
ラダーマークのすべての建物から人が消え、道端に溢れかえる様子は壮観だと聞いた。
召喚術師同士の戦いが始まれば、お堅い役人たちすら仕事を切り上げ、酒を片手に中継スクリーンの前に集まるらしい。
老いも若きも、富めるも貧しきも関係ない。召喚祭の中継スクリーンは、貴族たちが暮らす高級住宅街、老若男女でごった返す大市場、明日の食事にすらあえぐ貧困街など、この街のすべての場所に召喚術師と彼らが駆る召喚獣の勇姿を届けるのだった。
そして――召喚祭の舞台に上がることを許された優秀な召喚術師は、召喚祭当日の朝だけ、召喚獣と共に街に出ることを許される。むしろ、広告塔として街に出てこいと命令される。
俺たちはシリルの召喚した大怪鳥でラダーマーク上空をのんびり旋回しているが、視線を落とせば、小山のような草食獣が大通りをのしのし進んでいるのが見えた。
草食獣の足下では子供たちが列を成し、自分たちの何千倍もある召喚獣を見上げたり、草食獣の召喚術師に握手してもらったりしている。
いつの時代も召喚術師は子供たちの憧れだ。『将来なりたい職業ランキング』の第一位常連。ドラゴンや巨獣、美しい精霊など、人類を超越した存在を相棒にできるのがウケるのだろう。
そして小雪がチラつくような冬空。
「あら? フェイル・フォナフだけ、奇抜な乗り方しているのね」
雪だけでなく声まで降ってきた。
見上げればルールア・フォーリカーとそのチームメイト二人だ。
ふわふわの長毛に包まれた巨大な白竜の上から、大怪鳥にくわえられた俺をくすくす笑っている。直後、白竜が空中で身をひるがえし、大怪鳥のすぐ真下に現れた。
飛行速度もぴったり同じだ。
白竜の首にまたがったルールアと大怪鳥の嘴から伸びる俺は、まるで教室で駄弁るかのごとく言葉を交わすのだった。
「……シリルとミフィーラに怒られてる最中でな」
「召喚祭当日に? やっちゃったわねえ」
「今回は十割俺が悪い。大馬鹿野郎だった」
「だからそんなところで反省させられてるの? あなたたちの強みは変態チックな連携なんだから、仲良くしなきゃ駄目じゃないの」
すると大怪鳥の背中からシリルが口を挟む。
「切り札の弱点をサーシャにバラしたんだ」
すぐさまルールアが手を叩いて笑った。重たい曇天に、明るい笑い声が広がっていく。
「そりゃあ怒るわよ! 私でも怒るわよ! あっはっはっは! フェイル・フォナフらしくもない! サーシャ姫に色仕掛けでもされたぁ?」
俺は「シリルと同じこと言わないでくれよ……」とうなだれる。
「それで? それで、よ。あなたたちの切り札って何なの? 弱点って何なの? サーシャ姫に教えたのだから、わたしにだっていいでしょう?」
「馬鹿言うな。マジでシリルにぶっ殺されるじゃねえか」
「太ももぐらいなら見せるわよ?」
「全裸で迫られたって絶対言わねえ」
吐き捨てるようにそう言うと、ルールアが声を上げて笑い、彼女の召喚した白竜までもが美しい声で泣いた。
「お姫様は幸運ねえ。一番何をしでかすかわからない、あなたたちの秘密を知れたんだから」
直後、ミフィーラの呟きが俺の心臓を刺し貫いた。
「おかげでこっちはその対策を考えないといけない。凄い手間」
シリルとミフィーラ、二人ともパンドラを見られたこと自体は仕方ないと思っている。怒っているのは、俺の『死んでて動かねぇんだがな』という余計すぎる一言に対してのみだった。
学院最強が慌てふためく姿に興奮してしまったとはいえ、パンドラが自力で動くことができないという重大な秘密を口走るなんて馬鹿すぎる。
サーシャの大天使ならば、俺がパンドラに乗り込む瞬間すら十分狙えるだろう。
「申し訳もねえ」
ルールアは、空中に吊されたまま肩を落とした俺をもう一度笑い、「そういえばあなたたち、ベルンハルトのことは聞いた?」と話を変える。
俺は言葉なく首を横に振ったが、シリルは俺よりも事情通だったようだ。
「例の一件以来、姿が見えないとは聞いているが。講義は無断欠席、寮にも戻っていないから、チームの二人が奴の実家まで行ったんだろう?」
「そうなのよ。あいつの腰巾着――小遣いもらってた子分はベルンハルトを見限ったみたいだけれど、学位戦のチームメイトはそうもいかない」
「あんなのでも召喚祭の出場チームだからな。行方不明なんかで出場取り止めとなれば、臆病者と学院中の笑い物だ。必死にもなるさ」
「結果、どうだったと思う?」
「いまだ行方知れず――実は昨日、ベルンハルトのチームメイトに泣き付かれたんだ。貴族専用の裏サロンがあるなら教えてくれ、と。そんなものは知らないと追い返したが」
「動きがあったみたいよ」
「見つかったのか?」
「見つかったと言うより――見かけた、かしら」
「ほう?」
「昨日の夜に開催された魔術師協会の会員制オークション、その会場で。エリカとハヤーナが見たらしいの。ほら、あの二人、有名魔術師の遺品とか集めてるから。フードで顔は見えづらかったけど、ベルンハルトっぽかったって」
「魔術師協会? 学院の目と鼻の先じゃないか」
「意外と近くにいたってことね。それで、あいつ、オークションで何を落としたと思う?」
「興味もないが……魔術師協会だろう? 見るだけで気が狂う絵画とかかな」
「んなわけないでしょ。召喚石よ。天使を喚び出せる召喚石」
「仮にも召喚術師が召喚石を? あれは一般の金持ちがお守りに持つものだ。喚び出せる召喚獣だって、並の魔術師程度の力しかないはず」
「天使だからって凄い価格まで値上がったらしいわよ」
「だろうな。だけどそれは召喚術師の金の使い方ではないよ。一回こっきりの使い捨てに大金を注ぎ込むより、時間を掛けて天使と契約を結ぶ方が健全だ」
「契約、できるかしら? ベルンハルトに」
「召喚術以外の記憶をすべて失って根本から性格が変われば、可能性はあるだろう」
「あははっ! まあ――普通に考えれば、即効召喚への対策だと思うけどね。フェイル・フォナフにボコボコにされたから」
「それで呪文無しで発動できる召喚石か。贅沢が過ぎるな」
「チームメイトのサポートが受けられない状況をつくられたら――って思ったんじゃない? ジュリエッタのことで、その辺の対応力が皆無って露呈しちゃったわけだし」
「僕たち全員、苦い顔だな」
「ラダーマーク中がドン引きよ。大舞台に召喚石頼りの召喚術師が出てるんだから。……そうまでしてお祭りで勝ちたいって執念は、感心するけれど」
「僕ら一年生は一回戦から上級生と当たる。失笑を買おうが勝てば正義か」
「そうね……サーシャ姫が飛び抜けてるだけで、やっぱり二年生、三年生は胸を借りる相手だものね……」
「ルールアたちの一回戦の相手は、三年生だったか」
「あなたたちは二年生。お互い初戦を勝ち抜けるよう、がんばりましょうね。――それじゃあ行くわ。お邪魔してごめんなさい。フェイル・フォナフを許してあげてね」
割と長々話してからルールアは白竜を急上昇させた。
そして、世に美しいもふもふのドラゴンは、踊るようにラダーマーク上空を飛び回るのである。
地上では、今頃きっと、ドラゴンの舞踏を目撃した人々が歓声を上げているだろう。
地平線まで続いていそうな町並み。
三十万という膨大な人口を抱える巨大都市の空は、巨大なドラゴンや大怪鳥、雷を纏った大蛇、天馬の群れ、空飛ぶ鯨といった飛行召喚獣が悠々と飛べる広さだった。
大怪鳥の嘴の先からぼんやり街を眺めていても一向に飽きる気配がない。
ちょうどラダーマークの東にある大市場の方にやってきたので、俺の働く“大衆酒場・馬のヨダレ亭”を空から探してみた。
その時だ。
「お?」
大市場に向かう道路の一本でこちらに手を振りまくっている女性がいる。
茶髪でだいぶ若そうな――バイト先のホール担当、イリーシャさんだった。地上二百メジャール付近の俺が見えたのだろうか? だとしたらかなり目がいい。
俺は手を振り返そうとも思ったが、「ということらしいぞ、フェイル」いきなりシリルに声をかけられたのでそちらに反応した。
「悪い。何のことだっけか?」
「ベルンハルトだ。向こうは向こうで色々手を打っているらしい」
「ああ――みたいだな。天使の召喚石たぁ、ずいぶんと景気の良い話だぜ。即効召喚対策の召喚石なら他にもあるだろうにな」
「やはりフェイルもそこが引っかかったか」
「俺なら安物を買えるだけ備える。安物つったって、それ一つで豪邸が建つレベルだが」
「ベルンハルトと言えど、天使の召喚石は高い買い物だったはずだ」
「……天使である必要があったっつーわけか」
「しかし、だ。召喚石で出てくる天使など、どれほどのものだ? フェイルの虫とどっこいどっこいなんじゃないか?」
「かもな。召喚石で喚んだ存在は、持ち主と一心同体ってわけじゃねえ。そこは明確な弱点だろうよ」
「この件、フェイルはどう見る?」
「さて、ねぇ……ひとまずお手並み拝見と行こうじゃねえか。どうせ、向こうも、こっちも、勝ち進まなきゃあ当たりゃあしねぇんだ」
「それもそうだな。お前が秘密をバラしたサーシャとも、決勝戦までは会えないものな」
「本当、なんて言って謝りゃいいのか……」
と――その時だ。
ラダーマークのどこを飛んでいても見えるセイドラ大聖堂の鐘が鳴り響いた。
丸みを帯びた尖塔を十数本束ねたかのような、有機的な様相の聖堂。尖塔の先にはそれぞれ釣り鐘が設けられており、音が重なり合うことでラダーマーク中に響き渡る。
朝十時を知らせる鐘の音。
それは同時に、召喚祭の開会を告げるチャイムでもあった。
「時間だ」
シリルがそう言うなり翼を羽ばたかせた大怪鳥。大市場の上で大きく旋回すると、街の北に向かって風を切り始めるのだ。
空を舞う小雪の激突が鬱陶しくて、俺は両腕で顔を隠した。腕の隙間から前を見た。
城壁を持たない交易都市ラダーマークだが……学院と学院の敷地がある北側には、高さ八十メジャールにも及ぶ分厚い壁が市街地の幅いっぱいに広がっている。
すべては、学位戦を初めとした召喚獣の激突から人々の生活を守るためだ。
そして、形の違う巨大な古城が二つ並んだような学院校舎は、この壁の向こうへ行くためのただ一つの門としても機能していた。
校舎を通り抜けると岩の目立つ草原が一面に広がっていて――――その草原の端から端まですべてが学院の敷地、学位戦の戦場だ。
今の時期は枯れ草ばかりが広がる草原であるが、その実、三十万都市のラダーマークの市街地を五つ並べてもまだ余裕があるという広大さだった。小さめの湖だって三つある。
シリルがぼそっと言った。
「……集合地点が見えると、さすがに少し緊張するな……」
ミフィーラが短くそれに続いた。
「大丈夫。なんとかなる」
学院校舎のすぐ真裏、広い草原の入り口に召喚獣たちが続々集まっているのが見えた。ルールアの白竜も枯れ草の上に降り立とうとしている。
ふとした瞬間、なんとなく「強者どもが雁首揃えて、まあ――」と強がってみた俺。
召喚祭と言っても、特別大々的な会場が用意されるわけではない。
各学年から選抜された十五チームによるトーナメントということ、ラーダーマーク中に中継されるということ、そして強力な
――それでも心臓が高鳴り、指先が痺れ、唇がヒクついていた――
俺は片手で軽く頬を叩いてから、大怪鳥の優しい着地に合わせて草地を踏む。足をくじくこともなく大地を踏み締めると、真っ先にサーシャを探した。
先に来ていた白金髪の美少女と目が合うなり。
「よう」
それだけ言って不敵に笑うのである。
優勝候補へのさりげない宣戦布告。リベンジの決意表明。
「ねえねえ、フェイル」
しかし俺はミフィーラに魔術師服の袖を引っ張られて、「なんだ?」と振り返るのだった。
「どうしちゃったんすかベルンハルトさん」
「だから作戦――作戦はどうするんですか? いきなり帰ってきて、いきなり行くぞって言われても……オレら何すりゃあいいんすか?」
ベルンハルト・ハドチェックのチームが校舎が出てきて、こちらに歩いてくるのが見えた。
今日のベルンハルトは、トレードマークだった前髪をセットしておらず、頬は痩せこけ、目の下にも大きなクマが広がっていた。まるで死にかけの小悪魔のような異様な顔、雰囲気。
「聞いてんすかベルンハルトさん!」
「変なことブツブツ言ってねえで、作戦決めましょうよ!」
歩きながら揉めている――いや、チームメイトの切実な訴えをベルンハルトが完全無視しているようだ。チームメイトに肩を掴まれようが、それを振り払ってこちらに向かっていた。
召喚祭の出場者たちはベルンハルトに目を向けるものの……誰も彼も至って冷静沈着だ。ベルンハルトの狂気じみた様子に気圧されたチームは一つもなかった。
むしろ――
「それでは召喚祭のルールを説明します」
学院の教師がそう言って出てきた時の方が、よっぽど空気がざわついた。
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