第15話 召喚術師、姫に神話を語らせる

「いや、だからよぉ。化け物はパンドラだけじゃねえだろう?」


「いいや。絶対にパンドラだけだ。世界の終わりだぞ? 人間じゃなくて世界丸ごと終わるんだろう? いくら“神の時代”の怪物が強大だとて、そうそう終末など来るものか」


「……怪物よりも神様の方がムチャクチャしてた印象……」


「ああそうだ。しかし、破壊の神フラガでさえ、世界樹を切り倒せなくて傲慢を恥じる」

「最高神とパンドラだけが世界を壊す力を持ってた……だから最後、一騎打ちになった」

「そら見ろフェイル。ミフィーラに一票だな、僕は」

「ああもう――専門家はいねえのか、この学院に、神話の専門家はっ」

「神話学は教会の専売特許だ。話を聞きに行ってみるか?」

「坊さんかぁ。大概の坊さん、話長ぇんだよなぁ。迂闊なこと聞いたら、不届き者とか説教されそうだしなぁ」


 昼時の食堂は二百を超える学生でごった返していた。


 午後からの学位戦に備えて腹ごしらえする者、友人たちとの談笑を楽しむ者、午前中の講義で出た課題の多さに文句を垂れる者……当然、一人静かに食事する者も結構いる。


 そんな中、俺たちいつもの三人は神話についての持論を持ち寄っていた。

 議題は――最高神ゼンとパンドラ以外に世界を破滅させる存在はいるのか――だ。


「意外といねえもんだなぁ。“神の時代”とか、割とちょくちょく世界終わりそうになってた印象なんだが」

「神話なんて所詮、各地の伝承と大精霊の昔話を足したツギハギだ。外伝的な話が本筋のような顔をしているのは常識だぞ?」

「にしても、だ。炎巨人が焼いたのがガルバ山だけってのはショックだぜ。『すべての山が燃えた』とか言うから、てっきり――」

「あれはちょっと凄い山火事の話。炎の規模なら『かまど神の大失敗』の方が上」

「メシマズ女神に負けるたあ、巨人の立つ瀬がねえな」


 周囲に満ち溢れるお喋りにつられ、俺とシリルの声も自然と大きくなる。ミフィーラだけがいつもどおりマイペースに話すのだった。


 俺は定番の野菜炒め定食を口に入れ、「まっ、実際、まだ世界ぶっ壊れてねえからなぁ。パンドラしかいねえのかもなぁ」と咀嚼しつつ食堂の高い天井を見上げた。そのままズルズルと、背もたれを伝って姿勢を崩していく。


「――お?」


 椅子の座面から尻がずり落ちそうというところで、長机の間にできた細い通路を歩いてきた白金髪の美少女と目が合った。


 他の学生と同じように、料理の載ったトレイを運んでいるサーシャ・シド・ゼウルタニア。わざわざ足を止めて俺の体勢に苦言を呈すのである。


「……さすがにお行儀が悪すぎでは?」


 俺は椅子に座り直して「そうか。サーシャか」と一つ思い付いた。


「なあサーシャ。ここ席空いてるし、たまには一緒に飯食わねえか?」

「たまには、というか――初めてですよね?」


 突然の提案にサーシャは小さく苦笑しただけ。


 しかし、彼女の後ろに控えていた二人の少女は、何か信じられないものを見たような顔だった。

 学位戦でサーシャとチームを組む生真面目な少女の一人が、おそるおそる俺に聞いてくる。

「フェイル・フォナフ。貴公……まるで友人のように、サーシャ様を食事に誘えるとでも?」


 俺は顎が疲れるほどに硬い黒パンに齧り付きながら言った。

「姫つっても、学院の中じゃあ、ただの同期だろうが。遠慮することはねえ。大歓迎だぜ」


「私は貴公に遠慮しろと言っているのだ!」

 いきなり鋭い怒号。堅物少女の反応は俺の予想どおりで、周囲で食事していた学生たちがびっくりして一斉にこちらを見た。「あ――っ。いや……」それで堅物少女は押し黙る。


 気まずい一瞬にサーシャが気を遣った。

 おもむろに俺の隣の席にトレイを置くと、「そうですね。学友と親睦を深める昼があってもいいでしょう」そう言って椅子を引いた。それだけで張り詰めた空気が弛む。


「ほら、ミレイユ。ドロテアも。あなたたちも座っては?」


 サーシャ姫の着席に周囲の学生たちは多少ザワついたが、それだけだ。誰も彼もすぐさま自分たちのランチタイムに戻っていった。


 俺はサーシャの昼食をチラ見して――日替わり定食。意外と庶民的だな――なんて思う。


「食堂使ってるの珍しいじゃねえか」

「今日は無理矢理時間をつくったのです。毎日サンドイッチ片手に事務仕事では、身体がもちませんから」

「まあ――王女や学院理事の仕事もいいが、あんま無理して倒れるなよ」

「お互い様です。さっきはジュリエッタの闘いに割り込んだりして、フェイル・フォナフは人助けが趣味なのですか?」

「そんなわけがあるか。単にせっかちなだけだ」


 俺とサーシャが普通に話すのを見て、サーシャのチームメイト二人だけじゃない、シリルとミフィーラさえ顔を見合わせた。


 ふと、サーシャが俺の対面に座っていたシリルに笑いかけて言う。

「こうやって一緒に食事をするのは子供の時以来ですね、シリル」


 すると学院一の美男子も優しい微笑みを彼女に返した。

「同じではないよサーシャ。あの時はあなたを名前で呼ぶことも許されていなかったし、フェイルみたいな無遠慮もいなかったろう?」


 まさしく幼馴染みのやり取りである。

 それで俺は、山盛りの野菜炒めを頬張りながら「食卓に野菜炒めが出ることもな」と。

 瞬間、サーシャのチームメイトの一人が軽く吹き出した。


「それでフェイル・フォナフ? あなたのことですから、私に何か用があったのでは?」

「勘が良いな」

「さすがにわかります」


 そしてようやく日替わり定食を食べ始めたサーシャ。ナイフとフォークを使った信じられぬほど綺麗な所作で魚の油煮を切り、口に運ぶ。物を口に入れたまま喋ることもなかった。


 俺はサーシャが食べている隙に話を進めるのである。

 まずは「雑談レベルの話で恐縮なんだが――」と前置き。

 隣に座ったサーシャに視線を送ることもなく、フォークで野菜炒めを突っつきながら聞いた。


「神話の中で最強って何だと思う? 神、怪物、何だっていい。どいつが最強か話してたんだが、シリルとミフィーラが最強は最高神とパンドラだって言って聞かなくてな」


 思わずサーシャが驚きの声を上げた。

「え――くだらない」

「言うなよ。神話の最強議論なんて子供っぽいのはわかってる。だが、ちょっと気になることもあってよ」

「召喚術師が無双する小説でも書き始めましたか?」

「んなわけあるか。最近ちょっと、破滅やら終焉やらと、ぶっそうな言葉を聞くようになってな。バイト先の酔っ払いまでブツブツ言ってやがったから」

「それで、何が終焉をもたらすのか、と?」

「八大王国の姫様ともなりゃあ神話は必修科目だろう? 少なくとも、教会にあまり出入りしなかった俺より知識はあるはずだ」

「買いかぶりすぎです」

「炎巨人とかまど神の失敗、どっちの被害が大きかった?」

「かまど神に決まっているでしょう」

「ほらな、もう俺より賢い。――さすがにな、最高神とパンドラはわかるんだ。問題は、それ以外で世界の終わりに直接繋がる神や怪物がいたかどうか、だ」


 するとシリルが「僕とミフィーラはいないと断言した」ステーキ肉にナイフを入れながら口を挟んでくる。静かな口調でこれまでの議論をサーシャに伝えてくれた。


「怪しいのは根源精霊と世界蛇、それにリヴァイアサンだが――パンドラの装甲を抜けなかった時点で、彼らの力では太陽や星そのものは砕けないだろう」

「“愛と策略の女神パーラ”はいかがです?」

「『最も厄介』とは言えるだろうがね、最終的にモノを言うのは戦闘力と考えた。世界の破壊を直接実行する力……いくら女神パーラが聡明叡智だとて、荒野に一人投げ出されてはその先はない。パンドラの場合は荒野ごと世界を終わらせる」

「……パーラ神は、パンドラがいたから、『災厄』たり得たというわけですか……」

「単独もしくは少数構成での直接的な世界破壊――それを考えていったら、そんなにいなかったというわけだ」

「確かに。その条件なら候補はだいぶ絞られますね」


 俺がバイト先で出会った終焉を語る酔っ払い、そしてその酔っ払いと似たようなことを口走ったベルンハルト・ハドチェック。

 世界の終わりを話し合うにあたって、シリルとミフィーラには、酔っ払いに感じた違和感だけを伝えている。ベルンハルトのことまで言えば面倒が増えそうな気がしたからだ。


 ――どうせただの偶然。阿呆どもの戯れ言――


 魚の脂煮を噛みながらしばらく考えていたサーシャ。やがてごくんっと喉を動かしてから、「私もシリルとミフィーラに賛成です」と。


 俺は反論しなかった。

「しょうがねえ。サーシャもそう言うなら、それで決まりか」

 小さくぼやいて無理矢理納得しようとする。


「でも――それは、神々や怪物だけに限った話ですが」

「おう?」

「シリルもミフィーラも忘れていませんか? パンドラと戦った最高神ゼンは、善良なる神でしたか? 鬼畜の所業のようなお話があったのでは?」


 サーシャがそう言ってくれても、あやふやにしか神話を覚えていない俺にはまったく見当がつかなかった。最高神絡みの話は大体ひどくなかったか? なんて考える始末だ。


「……そうか……六鉄ろくてつの執行者……」


 シリルが口にした言葉にも全然聞き覚えがなく、とりあえず知ったかぶりで「なるほど、執行者ねぇ」とうなずいてみる。


 ミフィーラが指折り数え始めた。

「えっと……鉄の恩寵潰し。金の暁導き。銀の天使喰い。銅の夜惑い。あとは――」

「鉛の呪文騒ぎに、塩の夢潜みです」

 いやいや初耳、なんだよそれ。一体なんなんだそいつらは。


 俺の顔から困惑の感情を読み取ったのだろうか。続いたサーシャの言葉は、教会で行われる説法のように親切丁寧だった。


「執行者のくだりは神話でも簡単に済まされますし、嫌う人もいますから、教会によっては流す場合もあるようですね。こう語られます――至高たるゼン神は、死した神の骸より空と地と海を覆う六鉄の執行者を造りたもうた。鉄の恩寵潰し、金の暁導き、銀の天使喰い、銅の夜惑い、鉛の呪文騒ぎ、塩の夢潜み。明晩みょうばん、執行者すべて終界の魔獣の前に倒れたり――ここで言う死した神とは、最高神ゼンの不倫相手だった献身の女神ヤーナのことです」


「いや待て――女神ヤーナって、その前も大概ひどい目に遭ってたろ」

「だからです。だから執行者の話は、特別女性に嫌われるのです。愛した男に尽くし続けて、最後は骸まで利用される」

「俺が知らねえわけだ。うちの教会もおばちゃん連中に気ぃ遣ってたんだな」

「ただでさえ最高神の女性人気は壊滅的ですから」

「だがよサーシャ。その執行者ってのが、世界まで壊せるのか? 普通にパンドラにやられてねえか?」

「パンドラを相手に翌日の夜までもったのでしょう? 束になった戦いの神々が一撃死しているのですから、大健闘では?」

「そりゃあそうだな」

「それに、愛人の骸を材料に最高神が造り出したのです。決して勝ち目のない使い捨てではなかったはず。……そう思いたいだけかもしれませんが」

「ふーむ。確定ってわけじゃねえが、いい線行ってる気はするなぁ」


 俺は、野菜炒めを食べながら、胸のつかえが下りる感じを覚えていた。


 さすがに最高神ゼンの遺物がこの時代に突然出てくるわけがない。万が一、何かの間違いで出てきたとしても、神の兵器を人間なんぞがどうこうできるわけもない。


「……結局、俺が心配性だっただけか……」


 それで神話の最強談義はひとまず終わり。昼食の会話は、いよいよ十日後の開催を待つだけとなった召喚祭へと移りゆくのだった。


「――勝機があるっつってもな、大問題必至のとびっきりだ。仮にサーシャを倒して優勝できたとして、どこまで怒られるか見当もつかねえ」

「それでも僕ら三人、やる価値があると判断した」

「使えるものを使うだけ。いつもと同じ」

「ちょっと待ってください。あなたたち、いったい何を企んで――」


 思わせぶりな俺たちに怪訝な顔をしたサーシャ。

 俺たちは、イタズラを隠す子供のような笑みを浮かべ、まるで計ったかのように同時に言った。


「大丈夫。召喚祭のルールは何も破っていないから」

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