第14話 召喚術師、ついでに馬鹿にされる

「二日で会得するとは聞いていないぞ」


 シリルにそう言われ、俺は「ふぁあああ~」と顎が外れそうな大あくびなのだ。


「その代わり超絶寝不足だけどな。さっきの講義、マジで寝そうだった。歯ぁ噛み締めすぎて顎が痛え」

「アルバイト、今日は休んだ方がいいと思う」

「できるかよミフィーラ。寝不足の度に休んでたら、あっちゅう間に餓死しちまうぜ」


 直前の講義の疑問点を先生に質問しに行った後――俺たち三人は、長い廊下をダラダラ歩いて次の講義に向かっていた。疲れのせいか、小脇に抱えた教本の束がいつもより重い。


「さすがに昼から寝とくかなぁ。偵察がてら学位戦も見ときたいんだが……」

「そういうのは僕とミフィーラでやっておく。頼むからフェイルは寝てくれ」

「そうかぁ? すまねえなぁ」


 毎日の講義、深夜までの酒場バイト、魔術書トルエノックシオンの読み込みと、身体はひどく疲れているのだが、意外な充足感で心は軽かった。


 やはり――やるべき事が明確になっているというのは心に良い。やればやるだけ成果が出るというのは、正直楽しい。


「つっても、まずは次の講義を乗り越えにゃあな。高位魔術学は、先生の声が眠気を誘うんだよなぁ」

「ふははっ。水でもかけてやろうか?」

「タオル用意してくれりゃあ別に構わねえぞ?」


 これから始まる高位魔術学は一年生の必修講義だ。受講人数は百名と近くなるため、校舎二階に出入口がある大教室で行われる。

 大きなすり鉢を半分に切ったような円形教室。街にある大劇場もびっくりの広さ。

 俺たち三人は先生への質問で時間を食ったから、もう半分ぐらい席は埋まっているだろう。講義開始のチャイムまで残り十分もなかった。


「講義中に寝てたら起こしてくれ。殴ってもいいから」

「わかったわかった。普通に起こしてやる」


 立派な大扉を押し開けて――「ぶべっ」――なぜか俺は水浸し。


 一抱えもある水球が出入口の上枠に当たって弾け、その水のほとんど全部が俺に落ちてきたからだ。教室の扉を開けた瞬間のこと。反応なんてできるわけがなかった。


 俺の後ろにいて濡れなかったシリルが言う。

「タオル、持ってきてやろうか?」


 俺は怒りのままに大教室へと飛び込んだ。

「どこのどいつだあああああああああああああああああああっ!!」


 しかし、である。目の前に広がった予想外の光景に、握り拳を振り上げた格好の俺は、「はあ――?」と足を止めるのだ。

 円形教室を形作る段差のあちこちでひっくり返った椅子や机。すり鉢の底部にあったはずの教壇も横に倒れ、およそ講義なんて始められるわけがない惨状だった。


「なんだこりゃあ……?」


 召喚獣が五体いる。


 身の丈四メジャールを超える重装騎士として形を成した水精霊が一体。

 巨翼の両腕を広げ、膝から下が大鷲の足となった裸の美女――ハーピーが四体だ。


 四体のハーピーが鳴き声を上げればつむじ風が巻き起こり、舞い上がった机や椅子が騎士姿の水精霊へと襲いかかる。

 水精霊は、左の前腕と一体化した『分厚い水の大盾』でそれを受け止めた。


「……教室間違えたか?」


「いいえフェイル・フォナフ。とんだ災難だったわね」


 そう声をかけられて首を回せば、快活そうな茶髪少女――ルールア・フォーリカーが、俺を見て笑いをこらえているではないか。彼女のチームメイト二人も一緒だ。


「はっはっは! 運が良かったなフェイル殿! 直撃なら医務室行きだったぞ!」

「ご、ゴウルさん、笑ったら失礼ですよ」


 俺はびしょびしょの袖で顔をぬぐい、「話が読めねえ。消しゴム落とし感覚で、召喚バトルが流行り出してんのか?」とルールアたちの横に並んだ


 水色に透けた巨大騎士が右手の剣を振り回す。

 すると大小様々な水球が幾つもばらまかれ――空中のハーピーには一つも当たらなかった。

その代わり、教室の壁を砕いたり、俺たちめがけて飛んでくるのだ。


光盾ホーリーシールド

 ルールアの唱えた光の防御魔法が水球を防ぐ。

 彼女が生み出した光の盾は驚くほど巨大で、自分のチームメイトの他に、俺やシリルやミフィーラ、それ以外にも近くにいた学生五、六人を丸ごと覆い隠した。


「さすが」

「あなたたちには破られかけたけどね」


 ルールアという安全地帯を見つけてひとまず怒りが落ち着いた俺。最上段から大教室全体を見下ろしていると、いったい何が起きているのか、なんとなく理解できた。


 性悪貴族ベルンハルト・ハドチェックと赤髪の少女が闘っている。


「オラぁ! どうしたジュリエッタぁ! オレ様をわからせるんじゃなかったのかよぉ!?」

「くっ――負けられないの。力を貸してオリュペイア!」


 思い返してみれば、あの騎士姿の水精霊はベルンハルトの『片割れ』だし、赤髪の少女はベルンハルトに気に入られて時々うざ絡みされている娘だった。


 教室に集っていた五十人弱の学生たちは教室の隅に退避し、机や水球の流れ弾から身を守ることに専念している。歓声や野次を飛ばしているのはベルンハルトの子分たちぐらいなもの。


「喧嘩か……それにしたってどうして誰も止めねえ? ベルンハルトなんぞにビビってるわけじゃねえだろう?」


 するとルールアが苦笑を浮かべた。

「彼だって召喚祭出場者よ? でも――そうね。誰も仲裁しないのは、ジュリエッタの誇りを懸けた一騎打ちだからじゃないかしら」

「誇りだあ? そんなこと言ったら、ベルンハルトのツラ見る度、一騎打ちする羽目になるじゃねえか」

「…………ジュリエッタのお母さんね……その、娼館でお仕事してたらしいのよ、昔」

「別に珍しくもねえ」

「わたしは直接聞いていないんだけどね。どこで聞き付けたのか、そのことをベルンハルトが言ったみたいなの。それでジュリエッタに……娼婦の血が流れてるんだから、自分とも付き合えるだろうって。愛人に選ばれて喜ぶべきだ――って」


 そりゃあひどい。俺は思わず「ちっ」と大きく舌を打ったし、教室の壁をぶん殴ったシリルが「……貴族の面汚しめ……」地獄の底のような声で呟くのだ。


「なるほど。それを聞いちゃあ手出しはできねぇな。正直……だいぶ分は悪そうだが……」

「最近、ていうかここ一、二週間のベルンハルト、少しおかしいと思わない? 言葉の歯止めが利かなくなってるというか、やけに攻撃的というか――」

「大体そんなもんだろ? つーか、ベルンハルトの言動なんざ一々覚えてねぇ。あんな下衆ゲス、記憶の容量を使うことすら癪だぜ」

「召喚祭への出場が決まって、有頂天になってるのかしら……?」


 ミフィーラが濡れた教本を持ってくれて両手が自由になった俺は腕を組む。

 そして「……ジュリエッタ……正面からぶつかっちゃ駄目だ。速度で圧倒して、術者を狙わにゃあ。……違う。そうじゃない」なんて小声でぼやいた。


 隣のルールアがくすりと笑う。

「口を出したくてしょうがないって感じね」

「ベルンハルトの水精霊は強力だが、穴だらけだ。タイマンならあんなやりやすい相手もねえだろう。絶好のチャンス何度も見逃してんだから、ヤキモキもするさ」

「そうね。水精霊の懐に入れないうちは、ジュリエッタに勝ち目はなさそう」

「ジリ貧だよ。ベルンハルトに弄ばれて終わりだ」


 赤髪少女――ジュリエッタが自身と母親の誇りのために闘っているというのならば、無条件に手を貸すのは野暮というものだろう。


 例え、ハーピーの一体が水球の直撃を受け、地面に墜落したところを水色の巨大騎士――水精霊に踏み潰されようが。


「まずは一匹ぃっ!! 見たかぁ!! オレ様が最強だぁ!!」


 腕を広げて天井を仰いだベルンハルトの声が耳障りだろうが、今は『助太刀をする理由』がない。残酷なハーピー狩りをイライラしながら見守るばかりだった。


「ほら見ろぉジュリエッタ! オレ様に逆らうからだぁ!」

 風を巻き起こす瞬間を狙われて、またハーピーが一体、水球の餌食となった。教室の硬い壁に叩き付けられると、悠然と歩いてきた水精霊の左手に胴体を掴まれる。


「オリュペイアを離して!」

悲痛な叫びと共に風の刃を放ったジュリエッタ。


 しかし水精霊は攻撃魔法の直撃にも微動だにせず――肩の辺りが大きくえぐれても、小石を落とされた水面のようにすぐさま復元するのだ。


「効くかよそんなものぉ!」

 ベルンハルトの電撃魔法が地面をめちゃくちゃに砕きながらジュリエッタをかすめた。短い悲鳴と共に少女が吹き飛ぶ。たいした受け身も取れずに教室の底部を転がった。


「オレだってジュリエッタを傷付けたくなんかないんだぜぇ。それなのに、ジュリエッタがオレ様の言うことを聞かねえから」


 ぐったりしたハーピーを手放さない水精霊を伴ってニヤニヤ笑うベルンハルト。捕らえたハーピーを見上げ、「好みの顔だが、鳥足ってのが気に食わねえ……」教室に唾を吐いた。


「なあジュリエッタよぉ? ハーピーってのは、性欲の塊って話じゃねえか。そんなのが『片割れ』なんだ。きっとお前もそうなんだろう?」


 ジュリエッタが震えながらもなんとか身体を起こそうとする。


 誇りを傷付けられた少女の意地――俺はそれを痛々しいと思うのだが、ベルンハルトにとっては愉悦の的でしかなかった。下卑た笑いが止まらない。


「オレ様のモノになるのは上に行くチャンスなんだぜ! 貧乏人の粗チンなんぞで一生を終える必要はないだろう! フェイル・フォナフみたいななあ!」


 そして俺も――ようやく笑えた。


「よく言ったベルンハルト。期待してたぜ」

 そう呟くなり、脇目も振らずに飛び出す。


 ――――――――――


 呪文詠唱なしの即効召喚で体長三メジャールにもなる超巨大バッタを喚び出すと、その頭部に飛び乗って一騎打ちに割り込むのだ。


 巨大バッタの大ジャンプで、ジュリエッタとベルンハルトの間にド派手に降り立った。バッタの足先が教室の地面を砕き飛ばした。


 バッタの頭に立ってベルンハルトを見下ろす俺。


「よお~、ベルンハルト~」


 ベルンハルトは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で俺を見上げるばかりだった。なぜ俺が出てきたか、なぜ俺が笑っているのか、まるで理解できていない。


「ジュリエッタのついでに馬鹿にしてくれるたあ、良い度胸じゃねえか」


 俺の背後でヨロヨロ立ち上がったジュリエッタが、「や、やめてフェイルくん。これは、わたしの――誇りを懸けた闘いなの」と訴えてきたが。


「うるせえジュリエッタ。こちとら名前まで挙げられて粗チンとか言われてんだ。好き勝手言われたまま黙っていられるか」

 俺はそう返して一顧だにしなかった。


 すると「あっははははははははははははははは――っ!!」最上段から教室全体に響き渡った大爆笑である。腹を抱えたルールアが俺のことを指で差していた。


「そうねえ! そこを馬鹿にされたまま黙ったら、男の沽券に関わるものねえ!」


 ルールアのそばのシリルからも「いっそ殺しても構わないぞ! 決闘の先にある死は、貴族の誉れだからな!」なんて物騒な声援が飛んでくる。


 二人だけではない。

 俺の登場に盛り上がった大教室のあちこち――事の次第を見守っていた学生たちからも声が上がるのである。


「フェイル・フォナフだ! フェイル・フォナフが出た!」


「待ってたぞぉ!」


「オレたちはお前がやる奴だって知ってたんだ!」


「絶対負けんなよ! 貴族にムカついてる平民出はお前だけじゃない!」


「お願い勝って! ジュリエッタを助けてあげて!」


「もう講義なんてどうだっていいから!」


 ほとんど話したこともないような男子。廊下ですれ違えば会釈してくれる程度の女子。それぞれが俺のために声を上げ……それがベルンハルトを逆上させた。


「貧乏人風情がぁああああああああああああああっ!!」

 そう叫んで、ハーピーを放り投げた水精霊を俺に突進させるのである。


 巨大バッタが跳んだ。

 俺を乗せたままの大跳躍だ。


 ビタンッ――!! 教室の壁に小さなヒビを入れながら張り付くと、間髪入れずに巨大な後ろ肢を伸ばして次なる跳躍。水精霊の飛ばした水球をギリギリ避けた。


 そして巨大バッタと心を合わせた俺は、冷たい頭にまたがってバランスを取る。


「それは姿見えぬ水、音なく這い寄る狩人。例え夜が終わりを告げようと、汝の夜は終わるまい。朝の雫を喰らい、やがて沼地も枯れるだろう。今、汝の牙潜む、偽りの闇が来たり」


 途中、急激な加速に息を詰まらせながらも召喚の呪文を唱えた。

 大きな声ではない。しかも、俺の青い魔力光が形作った魔法陣は、「だーはっはあ! ベルンハルトぉ! 狙いっつーのこうやんだよぉ!」召喚と同時に発射した電撃魔法・雷撃破サンダーボルトの閃光で隠した。


 だから教室の誰も――当然ベルンハルトも――俺の召喚は知らないのだ。

 いや、シリルとミフィーラ、それにルールアぐらいは、『あっ』と思ったかもしれないな。


「逃げてんじゃねえフェイル・フォナフ! 降りろ! 降りて闘えよおおおおっ!!」

「貴族様が惨めだなぁ! ご大層な精霊使って、虫の一匹捕まえられないたあ!」


 俺の電撃魔法と水精霊の水球が激しく交差する。


 機動力なら圧倒的にこっちが上だった。高威力の電撃魔法で執拗にベルンハルトを狙い続けているから――ベルンハルトは防御魔法を張り続けるしかなく、巨大な水精霊もあいつのそばを離れられない。俺の後を追いかけて水鉄砲を撃ち続けるぐらいが関の山だ。


 業を煮やしたベルンハルトが動いた。

「風を追う獣! 竜の鱗に覆われし猛き牙よ! 不屈の意志と共に森を抜けっ、傲慢不羈を謳う大物を喰らえ! 汝こそが反逆の獅子なり! 今っ、黒き獣に捕食の時が来たり!」

 俺やシリルであれば即効召喚できるような鱗イタチを、わざわざ呪文を唱えて召喚する。


 出てきたのは、体毛ではなく黒い鱗に覆われた巨大イタチだ。

 とにかく俊敏性に優れ、大型犬よりも二回りは大きな身体。その辺の熊ぐらいなら楽に捕食できる古代の猛獣である。


 とはいえ――どこからか現れた大量の羽虫と甲虫が鱗イタチの群がり、その動きを止めた。


「フェイルてめぇえええええ!!」

「のんきに呪文なんか唱えてっからだろーがぁ!」


 地道な反復練習を嫌って即効召喚を用いない召喚術師も結構いるが、俺からすれば『死に繋がる怠慢』だ。今みたく召喚獣を見抜かれ、即効召喚に先手を打たれたりもする。


 もはや虫の大群が俺の代名詞なのだろうか。

 鱗イタチを虫の即効召喚で止めただけで、「フェイル・フォナフの十八番オハコだ!」などと教室中が大盛り上がり。講義開始のチャイムが鳴ったが、誰も気にも留めなかった。


 大教室の出入口に視線を振ったら――遅れてきた何十人かの学生たちの中で、高位魔術学の先生が呆然と突っ立っている。


 そして、あまりにも目を引く白金髪。サーシャ・シド・ゼウルタニアも真顔でそこにいた。


 ――先生よりもサーシャの方が怖ぇな――


 そうは思っても今さら闘いは止まらない。

 せっかく喚んだ召喚獣を無力化されて、「ぐあっ!?」巨大バッタが着地した瞬間の飛び石がひたいに当たって、ベルンハルトの激怒が頂点に達したからだ。


「ガロクフォーレっ、水量全開だ!! 全部洗い流してやれえっ!!」


 ベルンハルトの叫びに応じて騎士姿の水精霊が腰を落とす。水の剣の柄を両手で握ると、今までより一層大きな動作で剣を真横に振り抜いた。


 水の剣身が圧倒的な水の奔流へと姿を変え。

「はっははははっ!! ひゃぁはっははははははあ――!!」

 水精霊を中心に教室すべてを暴れ回る。

 机や椅子を流し、教室の段差を砕き、防御魔法で身を守っていた他の学生たちさえ圧殺しようとした。


 当然、巨大バッタの機動力で逃げ切れるとかいう甘い展開じゃない。


 巨大バッタを盾に、迫り来る水流を防ぐだけで精一杯だ。巨大バッタのかげに逃げ込んだ途端、その外骨格が軋みを上げ、すぐさま嫌な破砕音に変わった。

 心臓に走った鋭い痛みで召喚獣の死を知るのである。


「ちいっ。すまね――」


 やがて水の奔流が終わり……教室全体が水浸しだ。円形教室の底部には膝下まで水が溜まり、今やほとんどの学生が前髪までぐっしょり濡れているのだった。


「やっべ。死ぬかと思った……」

 そうぼやきながら巨大バッタの死体のかげから這い出た俺は――すぐ目の前に立っていた水精霊を、足先から舐めるようにゆっくり見上げる。


 水色に透けた巨大騎士の肩にはベルンハルトが立っており。

「……ひざまずけ貧乏人。ひざまずいて許しを請えば、命だけは助けてやる」

 今度は向こうが俺を見下ろしていた。


 俺は鼻で笑って、「御免だね。バッタ倒したぐらいで勝った気になるなよ」と魔術師服のすそを絞るのだ。バチャバチャと水が落ちた。


「ああん? 虫しか召喚できない貧乏人に何ができる? 今さら姑息な即効召喚か? 何を喚んだってオレ様のガロクフォーレでぶっ飛ばしてやる」

「ぶっ飛ばす? ぶっ飛ばされるの間違いだろ」

「なんだとてめぇ――」

「いやぁ、なんつーか……さすがに気付かなすぎだぜベルンハルト。不意打ちするつもりだったのに、思わず種明かししたくなるじゃねえか」


 俺がそう言った次の瞬間、ベルンハルトと水精霊に薄い影が乗り…………勝利を確信していた召喚術師と召喚獣は、大教室の天井まで達した『七色の巨大不定形生物』に戦慄しただろう。


「……な、なんだこりゃあ……」


「ありがとうな。俺の“カメレオンスライム”を、ここまで育ててくれて」


 まるで蛇がうねるように、俺のスライムが水精霊に真横から体当たりをかます。


 たかだが身長四メジャールの巨大騎士と、いつの間にか大教室の七割近くを埋め尽くしていた巨大スライム――質量差は圧倒的だった。

 水精霊は騎士の形を維持することも叶わず、バラバラになりながら教室の壁まで吹き飛んでいく。


 当然ベルンハルトも宙を舞ったが、水精霊の欠片がクッションになって、なんとか無事だったようだ。というか、だいぶ手加減したんだ。簡単に死んでもらっても困る。


 教室中の学生たちが『突如現れた召喚獣』に騒いでいた。


「で、でかぁっ! 何だこりゃあ!?」


「カメレオンスライムだわ。水精霊が出した水を吸ってこんなにも大きく……っ」


「てゆーか召喚してたの!?」


 七色が不気味に揺らめく超巨大スライム――カメレオンスライムは、本来、人間程度の体積しかないちっぽけな存在である。

 体色を変化させて周囲の景色に溶け込む性質に注目されることが多いが、そんなことよりは吸水性の高さが異常。文献を探れば、過去幾度となく、沼一つを干上がらせた野生のカメレオンスライムが山間の村々を襲っているのだった。


 水精霊の天敵だ。


 俺のそばをずっとウロウロしていたカメレオンスライムに気付かず水を撒けば、そりゃあこうなる。特に最後の水流全開が決定的だった。 


「なんだっけかベルンハルト――ひざまずいて許しを請え、だっけ?」


 俺は、犬か猫のようにすり寄ってきたカメレオンスライムを撫でながら、四つん這いになったベルンハルトの尻に嘲笑を送る。


「下手なことは言うもんじゃねえな。だいぶ格好悪いぞお前」


 足下に溜まっていた水を貪欲なカメレオンスライムが吸い上げるのを待って、歩き出した。


「格好悪いついでに子分に助けてもらうか? それとも、負けを認めて非礼を詫びるのか? どっちだよ? さっさと決めろ」


 ベルンハルトは四つん這いになったままだ。

 その代わり――全身に俺の虫たちをくっつけたままの鱗イタチが襲いかかってきた。


 速いは速い。

 だが、鱗イタチの各関節には大量の甲虫に群がり、両目は羽虫が潰している。


 俺は身体を引いてやけっぱちの突進をかわし、「細糸電ラインボルト――」すれ違いざまに覚えたての魔法を使うのである。


 俺の右手の指先から細糸のような電気が走り、鱗イタチの頭部を捉えた。


 ほんの一瞬の接触だったが、俺しか知らない電撃魔法が鱗イタチの頭蓋を抜けて脳髄を狂わせる。こっちの魔力消費はゼロに近いのに、鱗イタチは派手にすっ転んで――その後、あえなくカメレオンスライムに押し潰された。


「即効召喚ができないとこういう時不便だな。逃げの一手も打てやしねえ」

「……オレが……オレ様が逃げるだとぉ……」


 ベルンハルトが立ち上がる。

 前髪を高く盛ったアヒル頭が崩れ、付き従ってくれる召喚獣も失ってはいるが……その表情は俺への憎悪に燃えていた。


「オレ様のガロクフォーレは終わってねぇええええええええええええええええええ!!」

 喉を潰すような叫び。


 それに呼応して大教室の一角で水柱が立ち上がるのだ。力任せに吹っ飛ばされて沈黙していた水精霊が息を吹き返したらしい。


 カメレオンスライムが動いた。水柱に覆い被さると無限に噴き出る水を呑み込もうとする。


「スライム風情がどこまでやるつもりだあああああああああああああああああああ!!」


 スライム風情――確かにカメレオンスライムの吸水にも限界はある。

 だから俺は前に出た。


 走って前に出て、のんきに突っ立っているベルンハルトの顔面ド正面に拳を叩き込む。


 ――パキャ――


 そんな軽い音が教室に響き渡り、首のすっ飛んだベルンハルトが尻もちをついた。


 俺はベルンハルトの胸ぐらを掴み上げつつ、水精霊の様子をチラ見する。

「まだか」

 状況を理解できずに放心状態のベルンハルトを無理矢理立たせると、今度は鼻筋に狙って頭突きを入れた。倒れて欲しくないからまだ胸ぐらは離さない。


 無防備な金的を膝頭でカチ上げた。


 その瞬間ベルンハルトの表情が固まるのが見えて、「よし消えた」俺は水精霊の消滅を確認するのである。


 召喚獣の維持にはある程度の集中を要する。失神や激痛で術者の意識を奪えば、どんな怪物も強制送還だ。ヒーローごっこ中の子供だって知っている対召喚術師戦闘のセオリーだった。


 俺が胸ぐらを掴んだ指を開くと。

「――――――お――――――お、あ――――――」

 一人で立つことすらできずにその場にうずくまったベルンハルト。


 その瞬間。

「うおおおおおおおおおおおおっフェイル・フォナぁああああああああああああああ――!!」

「勝ったああああああああああああああああああああああああああああああああああ――!!」

 学生たちの歓声が爆発した。


 それと同時に、「ベルンハルトさん――」五人の男がこちらに駆け寄ってくる。

 性悪貴族の子分どもだ。金の腕輪や豪奢な指輪など、やけに派手派手しいからすぐにわかった。


 五人の男は俺を取り囲んで。

「卑怯! 卑怯だぞフェイル・フォナフ! 最後っ、ベルンハルトさんを殴った!」

 などと吠え始めるが、「うるせえ」カメレオンスライムで一人小突いてやると、吹っ飛んだ仲間を追いかけて俺に背を向ける。ベルンハルトは置き去りだ。 


「卑怯だあ?」


 俺が歩いて近づくと、五人の顔には恐怖しかなかった。

 そりゃあそうだろう。巨大化したカメレオンスライムだけではない。シリルの召喚した“剣虎王ザイルーガ”までもが俺の背後に現れ、五人を威嚇したのだから。


「お前らは、怒り狂った虎を前にしても、卑怯だなんだのとわめくのかよ?」


 返事は返ってこなかった。

 五人の内の一人が何か言おうとしたが、ザイルーガの咆吼に腰が抜けたらしい。


「散々人様のことを馬鹿にしくさっておいて、学位戦並みのレギュレーションをお望みたぁ、都合のいい話じゃねえか。なあ? そうは思わねえか?」

 首を傾げながらそう凄んだ俺。


 すると五人の男はあっさりその場に両膝を付いて、ひたいを地面にすり付けてしまう。


「あ――謝らせてくれフェイル・フォナフ! オレたちは、その……ベルンハルトさんが喜ぶと思ったから。あの人から金が出ると思ったから」

「もう、あの人とはツルまねえ」

「だからさ、命だけは――もうあんたにゃあ、貧乏とか言わないから」

「頼むよフェイル・フォナフ。このとおりだ。このとおりだよ」

「後生だからさぁ」


 俺は――なんだこいつら、意気地がねえ――と内心呆れつつも、「ジュリエッタのとこにも行ってこい」顎先を動かして命令した。


 我先にと走り出した五人の男を見送って、俺はベルンハルトへと戻る。


 ザイルーガが巨大な前脚でうずくまったベルンハルトの頭を弄んでいたから、さすがにマズいと思ってザイルーガにはどいてもらった。


 足下からの震え声が上がる。

「ふぇ、フェイルよぉ……てめえ、オレ様を怒らせたらどうなるか、わかってんのか……?」

 見れば、ベルンハルトが血まみれの顔を上げようとしていた。


「馬鹿かお前。俺に生殺与奪握られて何をほざいてやがる?」


 俺がそう言うと、鼻が潰れてだいぶ人相の変わったベルンハルトの口から「ふへへへ。ふひゃひゃひゃ」という不気味な笑い声だ。


「破滅の鍵を持ってんのはオレだぞ。オレ様こそが、終焉の使徒なんだ」

「……終焉だあ……?」

「召喚祭、てめえは最初に潰してやる。誰がどうあがいたって銀色は止まらねえ」

「……………………」


 俺が沈黙したのはベルンハルトの異様な雰囲気に呑まれたからではない。何日か前、バイト先で奇妙な客に絡まれた時のことを思い出していたからだ。


 ……あの変な客も、破滅だの終焉だの言ってたな……。


 少し嫌な予感がした。しかしその感覚は、「――フェイルくん。助太刀、ありがとうございました」背後からやって来たジュリエッタの声で途切れてしまう。


 俺は何も言わずにベルンハルトの眼前を明け渡した。


 ジュリエッタとベルンハルトのやり取りにたいした興味も無かったので、カメレオンスライムと残っていた虫の大群を送還した後は。

「シリルも心配性だ。喧嘩なら五人相手でも負けやしねえよ」

 ザイルーガの大きな顔を撫で回す。もふもふの体毛に肘まで埋まった。


「――お母様は穢れてなどいない!!」


 突然の叫びに振り返ったら、ジュリエッタがベルンハルトの顔面を蹴り上げているではないか。顎が跳ね上がり、それでベルンハルトは完全に沈黙した。

 肩は動いているから死んではいないだろうが……しばらく起き上がっては来ないだろう。


 そして俺に向いたジュリエッタ。

「迷惑をかけてしまってごめんなさい。でも、本当に感謝しています。フェイルくんが来てくれなかったら、わたしは――」

 そう言って深々と頭を下げた。


 俺は苦笑しながら同期生に応えた。

「構わねえさ。ずぶ濡れにされてイラついてたし、俺も少しは気が晴れた」


 不意に視線を動かすと、サーシャ・シド・ゼウルタニアと高位魔術学の先生がこちらに歩いてくるのが見える。


 ジュリエッタが俺の前に出た。「待って。待ってください先生。すべてはわたしが――」そう言って、見るも無惨な様相となった大教室、潰れてしまった講義の責任を取ろうとするのだ。


 ジュリエッタの罪を許したのは、学院理事の顔も持つ王女サーシャだった。


「事情はルールアに聞いています。教室の修繕は、ベルンハルト・ハドチェックが全額負担するのが適当でしょう」


 それでホッとする俺とジュリエッタ。


 サーシャがわざわざ俺を見て笑った。

「なんでもできるのですね」


 開いた両手を軽く持ち上げて肩をすくめる俺。

「見よう見まねだ」

 実際、徒手格闘を専門にやったことはなく――今までの酒場バイトの中、酔っ払い同士の殴り合いを見て覚えた。


「それもですが、妙な魔法も一度使ったでしょう? 糸のような」

「……ちょっと試してみただけだ」

「これ以上は聞きません。召喚祭の準備が進んでいるようでなによりです」


 それからサーシャは、高位魔術学の先生とこれからどうするかを話し合う。


 二人の口から『補講』だったり『別教室』だったりの言葉が出て、俺は、サーシャと先生にだいぶ迷惑をかけてしまったことを自覚した。

 サーシャと先生の会話の終わりを待って一言謝ろうとしたが……やがてサーシャの方が俺のそばに来て、小さくこう笑うのである。


「でも、こういうのも、青春という感じがしていいですね」


 俺は――何言ってんだこいつ――そう思って眉をひそめた。


 何はともあれ、高位魔術学の講義が潰れたのならば、濡れた魔術師服を着替えに一度学生寮に戻りたい。一刻一秒を争わないと普通に風邪をひきそうだった。

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