第2話 召喚術師、食堂で絡まれる

「良いものを見せてもらったわ、お三方」

「おう。サーシャ姫相手にああもしぶとく生き残るなんて、ただ事じゃない」

「最後――っ、特に最後とか! サーシャ様に勝っちゃうかも思いましたもん!」


 大聖堂と見紛うほどに広く、高い天井を有する学院の食堂。


 縦長の大空間には重厚な長机が整然と並べられ、数えたことはないが椅子の数は三百を超えるだろう。学院の学生全員が集合することもでき、入学式や卒業式だってこの食堂で行われる。


「んあ?」


 “聖マリアンヌ、幼竜を慈しむ”なる壁画の前で食事中だった俺たちに声をかけてきたのは、学院一年生の中でも指折りの実力者である三人だった。

 三人とも、学院章入りの黒い魔術師服を正しく着こなしている。


 分厚いステーキ肉にナイフを入れていたシリルが不意に手を止め、「驚いたな――」卓上の紙ナプキンで口元をぬぐった。リーダー格の茶髪少女にいつもの貴公子スマイルを送る。


「光栄だルールア。君らほどのチームに試合を見てもらえていたとは」


 俺とミフィーラは一度だけ視線を送ったものの、訪問者との会話はシリルに任せて目の前の料理を口に入れ続けた。午後三時を回ったばかりだってのに、腹が減って仕方がなかった。


「見るわよ。見ないわけないじゃない。あなたたちの試合はいつもビックリ箱だもの。何が起きるかわからなくて、勉強になって――でも今日は、いつもの倍驚かされた」

「リーダーが気合い入れて姑息だったからね」

「あはははっ♪ 確かに、執拗に姫様の服を狙ったり、巨人をだまし討ちに使ったり。でも、姫様の前に立って六十分耐えたのはあなたたちが初めて。それは誇っていいんじゃない?」

「そうかい? 心無い輩には、六十分間も醜態を晒したと笑われそうだけど」

「そうかしら? あれを醜態と言うのなら、姫様に勝てるチームはこの学院に存在しなくなるわ。ねえ、そうでしょう? そう思うでしょう? フェイル・フォナフ」


 急に話を振られ、俺は口に物を入れたまま「知らねえ。俺たちは俺たちにできる戦い方をやっただけだ」と。

「恥ずかしいとかそうじゃないとか、そういうのは自分らで決めりゃあいい」


 すると、茶髪少女の隣にいた大柄な短髪男が俺の背中をバンバン叩いてくる。


「フェイル殿は言うことが違うな! さすがは四歳年上、年の功と言ったところか?」

「ちょ――ご、ゴウルさん。今、歳の話は関係ないんじゃ……」

「おっと失言。すまんかった、フェイル殿」

「別にいいよ。何も気にしてねえ。俺が二十で学院に入ったのも事実だ」


 はたして、その場の空気をなごませようとしたのだろうか。具材たっぷりのビーフシチューを可愛くすすっていたミフィーラが、俺の後に続いてぼそりと言った。

「落ち着きの無さは年齢不相応だし」


 言い返す言葉もない俺は肩をすくめ、シリルは「そうだな。同期生の三倍はうるさい」と深く嘆息し、立ったまま顔を見合わせた茶髪少女たち三人は苦笑いするしかない。


 気を取り直した茶髪少女が微笑みと共に俺たちを見た。


「今日はもう講義もないし、三人ともまだしばらく食べてるんでしょう? 一杯おごるわ」

「いいのかい?」

「もちろん。わたしたちももっとできるはずって思わせてくれたお礼」

「はははっ。学年二位のルールアたちにもっとやられたら、それはそれで困るんだが――じゃあ、そうだな。僕はもう一杯ワインをもらえるかな?」


 シリルが手元にあったワイングラスの縁を指でなぞる。赤色の葡萄酒はグラスの中に一口分しか残っておらず――だからこそ茶髪少女は俺たち全員におごってくれようとしたのだろう。


「銘柄は?」

「ヨルランドの赤で」

「あら。オジュロックの御子息は、存外お手頃なワインがお好みなのね」

「値札が味を決めるわけじゃないさ。安酒場であおられるような酒にも、美味はある」


 ミフィーラが空のグラスを両手で突き出して言った。

「オレンジジュース」


 そして茶髪少女が、平皿の上の野菜炒めをフォークでつついていた俺を見る。


「フェイル・フォナフは?」


 俺はわざと目を伏せて茶髪少女から目を逸らして答えるのだ。

「俺は、いいよ。水もまだ残ってるし」

 せっかくの好意を断る気まずさをまぎらわすため口いっぱいに野菜炒めを入れた。


「遠慮してくれるなフェイル殿! いつも水ばかりの貴公が、酒を飲める良い機会ではないか!?」

「だからゴウルさん! どうしてあなたはそんなデリカシーがないんですか!?」


 茶髪少女のチームメイトによる突然の無礼。

 とはいえ――シリルが苦言を呈した先は「フェイル」俺だった。


「お前の『おごられ嫌い』もわかるが、学友の好意を素直に受け取るのも礼儀だぞ」

「……わぁってるよ。でも、本当に、俺は水でいいんだよ」


 わかっている。この件について悪いのは俺の強情だ。茶髪少女に下心は無く、食堂の飲み物を一杯おごることなんか、彼女にとっては自然な行為の一つなのだろう。


 茶髪少女――ルールア・フォーリカー。確か、名門魔術師一族の出身だったか。金に苦労したことのないお嬢様。蝶よ花よと大切に育てられた御令嬢。


 それでも俺は、どうしてもおごられたくないのだ。

 ――今おごってもらっても、今後おごり返せる見込みがまったくない――

 そのことが心に重くのしかかってくるのである。


 ルールアが「ま、まあ、無理強いするつもりはないから」と気を遣ってくれた瞬間だった。


「見ろよ! 百姓の息子がまた『クズ野菜定食』食ってんぞ!」


 一際うるさい集団が食堂に雪崩れ込んでくる。見れば、嫌みったらしい笑みを浮かべた『アヒル頭』を先頭に、六人の男がこちらに向かってくるではないか。


 前髪をうんと高く盛り、側頭部を刈り上げたアヒル頭の召喚術師は――ベルンハルト・ハドチェック。


 シリルとタメを張れるほどの名門貴族の後継者で、シリルとは真逆の品性下劣な金持ちとして有名だ。今日も今日とて派手派手しい金のネックレスとブレスレットを身に付けて、馬鹿じゃねえかと思う。

 ベルンハルトに媚びへつらう子分連中も身体のどこかしらに金装飾を身に付け、きっと親分ベルンハルト様から分け与えてもらったのだろう。


「よおシリル。たっぷり逃げ回ってご苦労だったじゃねえか」

「ああ、疲れてる。だから用が無いなら話しかけないでくれないか? ハドチェックの人間の声を聞くと蕁麻疹が出る体質でね」

「嫌うなよ幼なじみ。てめえらの後にあった試合結果、聞きたくないか?」

「聞きたくない。興味が無い」

「圧勝だよ! オ・レ・の! 楽勝すぎて腹も減ってねえが、三連勝の祝いぐらいはやっとかねえとって思ってなあ!」


 ベルンハルトが俺の注文した料理を覗き込み、「ふん――」鼻で笑った。


「相変わらず臭そうなもん食ってんな、貧乏人は」


 すると後ろに控えていた子分の一人が「味覚がバカになってんだよ! このオッサン、クズ野菜定食しか食ったことがないから!」と言って、ベルンハルトの侮蔑に続くのだ。


 刹那――何言ってやがる馬鹿野郎が――と、怒りの感情に脳みそが沸き立つ感覚があった。


 いきなりコケにされて黙っていられる人間じゃない。売られた喧嘩を買う時だってある。


 握った拳を感情任せにテーブルに叩き付けようとして――――しかし俺は機先を制されてしまった。無言で立ち上がったシリルに、だ。


 いつもの貴公子オーラはどこへやら。この場の誰よりも恵まれた肉体から冷たい気配を放ちつつ、ベルンハルトとその子分連中を見下ろす。

「武勇、計略で名を馳せたオジュロック家を愚弄するとは良い度胸をしているな……よほど僕と戦争をしたいと見える」


 普段朗らかな人間ほど怒ると怖いと言う。

 シリルの静かなる激怒を見て、俺は急速に落ち着いてしまった。親分の前だからと調子に乗りすぎた悪ガキどもは、俺が怒りに任せて怒鳴りつけるよりもだいぶ怖い思いをしている。


 シリルに見下ろされた子分の一人が、オドついた声で言い訳した。

「ち、違――オレらが馬鹿にしたのはフェイル・フォナフで――」

「更に悪い。友人を馬鹿にされて、僕が笑って許すように見えるのか?」


 すると………………もう誰も何も言えない雰囲気。


 動いたのはベルンハルトだった。俺に暴言を吐いた子分の顔をいきなり殴りつけると。

「行くぞ! オレ様の勝利に水挿してんじゃねえよカスが!」

 そう吐き捨てて広い食堂の奥へと歩き出すのである。殴られて尻もちをついた子分も「ま、待ってくれよ! ベルンハルトさん!」と彼らの後を追う。


「……………………」

 何事もなかったかのように着席したシリル。ワイングラスの残りを飲み干してから、「至近距離の雷撃魔法は、本気で死人が出るからやめておきなさい」と、俺がコケにされた瞬間に魔法を使おうとしたミフィーラをたしなめた。


 一連のやり取りを見ていたルールアが俺に言う。

「良いチームね」

「俺以外、血の気が多いのが難点だがな」

「ぷ――あっは! 学年一の破天荒がよく言うわ! じゃあ――ちょっと待ってて。シリルとミフィーラの飲み物を取ってくるから」


 食堂の注文カウンターは入り口すぐ横だ。仲間二人を伴ったルールアの後ろ姿を眺めていた俺は、ふとこんなことを思い付いてそのまま言葉を漏らした。

「サーシャは腹減ってねえのかな。さすがにあいつだって結構な魔力使っただろ」


 別に反応が欲しかったわけじゃないが、シリルが応えてくれた。

「知らないのかフェイル。サーシャのチームは、今日もう一試合あるぞ」

「マジかよ。同日二試合とか普通に死ぬだろ」

「学年一位かつ学院一位の辛いところだな。とはいえ、今頃、普通に三年生たちを叩きのめしてるんじゃないか? アグニカ・アルーカ。サーシャが不覚を取る相手とは思えん」

「……ふぅん」


 学院では、学生である召喚術師同士のチーム戦が、毎日午後から行われている。三対三の、至極シンプルな戦争ごっこ――“学位戦”。その勝った負けたで実技の成績が決まるのだ。


 ちなみに俺たちのチームは一年生五位、学院総合二十二位。

 かなりがんばっている。可もなく不可もなくと言ったら、強欲だろう。


「フェイル。食事が終わったら寮に戻るのか? 魔術書――昨日も見せた“猜疑士遺訓”の解釈で、お前とミフィーラの意見を聞きたいんだが」

「悪い。今日は日跨ぎでバイトだ」

「サーシャと戦った日ぐらい休んだらどうだ? いいかげん過労で死ぬと思うぞ」

「馬鹿野郎。金無しなんだから働かにゃあ『おまんま』は食えねえ」

「……僕が毎月の生活費くらい援助してやるって言っても、フェイルは聞かないしな」

「いいんだよ。天涯孤独っつーのは気楽なもんだが、それなりの苦労もあるってこった」

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