【短編】朝はまた来る

タライ和治

朝はまた来る

 サークルの定期的な飲み会だったか誰かの内定祝いだったのか、本来の趣旨が思い出せないままの飲み会が始まったのが木曜の十九時で終わったのが二十三時。


 若さという名の惰性という意味合いが入った勢いでそのまま二次会へ突入し、気がついたら時計は金曜の朝九時を指していた。


 僕と青木、それから後輩の山下とその山下に釣られてしまった二年の女の子は住んでいるアパートがある駅が一緒だと、とにかくそういう理由で同じ電車に乗り、二人の作り出す若さと卑猥さが混じり合った空間には入らないのが大人というものだよなあという思いで、僕と青木は通勤ラッシュが終わってがらんとなった車内の隅の席に座っていた。


 アルコールを大量摂取した後の徹夜明けがこんなにキツイと感じるようになったのはいつの頃からだっただろう。


 地元の駅前はそれなりに賑わっていて、商店街を抜けると閑静な住宅街に出る。住んでいるアパートもその住宅街の中にあった。とにかく今日の大学の講義なんてどうでもいい気分で、一刻も早くベッドで寝て疲れと倦怠感を解消したかった。


 「ちょっと寄っていってもいいっスか?」という山下の軽薄そうな声が耳に入ったので振り向いた。どうやらコンビニに用があるらしい。


 水でも買って少しでも喉を潤すかと、店内へ入ったが、生暖かい暖房をどうにも体が受け付けなく、すぐに出てしまった。山下とユミちゃんだか、クミちゃんだか名前もロクに思い出せない女の子は揃って歯ブラシなどが陳列されている棚へと向かっている。


 山下のニヤケ顔と女の子のまんざらでもない表情から察するにどうせコンドームでも買うつもりなのだろう。


 コンビニから出ると1台のマイクロバスが目に止まった。「さくら幼稚園遠足御一行」という行き先が書かれたプレートが目に入る。


 商店街のど真ん中に幼稚園など作っていいのだろうかと思ったが、そういえば電気街の真ん中に小学校がある地区もあったなということを思い出し、交差点で何をするわけでもなく立っている青木の元へ向かった。


「山下は?」

「コンビニ」

「あっそ」


 心底興味なさそうに片足でタンタンと一定のリズムを取っている。タバコが吸いたい時の青木の癖だが、ここはあいにく路上喫煙禁止地区である。


 しばらくすると、園児達の騒ぐ声が聞こえ始めた。先生に引率されながら花の楽園遠足へ向かうバスに乗っているのだろう。


 その様子に一瞥をくれることもなく「なあ」と青木が呟いた。


「お前、小さい頃何になりたかった?」


 唐突な問いかけに僕は一瞬反応できなかった。が、青木は冗談を言っているように見えない。


 「俺さ、警察官になりたかったんだよな」


 僕の答えを聞く前に青木が切り出し始める。


「あの子らの頃には警察官になれるって信じて疑わなかったもんなあ」


 そういってようやく園児らの方へ一瞥をくれる。


「まあな。子供の頃って純粋だし、夢は叶うモノだって信じられたもんな」

「んー? まあ、そりゃそうなんだけどよ」


 複雑な表情をして青木は何かを考えている様子だった。


「お前、内定先どこだっけ?」

「あん?」

「内定先だよ」

「あー。出版社。小さいところだけどな」

「じゃ、その出版社が今まで何やってたか知ってるか?」

「いや、わかんねーけど」

「その程度なんだよなあ」


 そういって大きくため息をつく青木。


「勝手に夢見て、何にでもなれると思って、思ったまま何もしなかった結果がその程度なんだよ」

「何だ、ケンカ売ってんのか?」

「違う違う。俺もお前も、絶対にこんなはずじゃなかったってことを言いたいの」

「理想と現実のギャップ?」

「そう、それ」


 何をいまさらと思った。だってそうだろう? どんなにがんばったってなりたくてもなれないものがある。しかもこの不景気に最終学歴大卒のニートなんて救いようがない。


 だからとりあえずは世間体ってやつからはみ出さないように必死にしがみつかなきゃしょうがない。お前だってそうだろうと、僕は青木に訴えた。


「それはわかる」

「だろう?」

「でも、このままじゃいけないっていうのもわかるだろ?」

「……」

「昔さ、誰の歌だっけな? 夕刊フジ読んでいるようなヤツにはなりたくねえってフレーズがあったんだよ。……あれ? ゲンダイだっけな?」

「いや、どっちでもいいから」

「で、その歌聞いた時に強く共感したわけさ。そういうつまんねー大人にだけは絶対にならないでおこうと」

「ああ、うん」

「でも、このままだと、確実にそういうような大人になりそうで怖いんだよな」


 怖いといった青木の表情は真剣そのものだった。いつの間にか一定に刻まれていた足のリズムも止まっていた。


 正直に言う。僕も怖くて仕方がない。選択肢が無くて仕方なく決まった内定先に未来を見出すことができない。だから青木の言うことが十分すぎるほどわかる。


 でも、でもさ、仕方ないだろうと僕が青木に言おうとした瞬間、突然「行くぞ」と踵を返して青木が歩き出した。


「行くってどこにだよ」

「コンビニ」

「なんで?」

「今からでもやれることだってあるはずだろうが」

「は?」

「将来、胸を張って、俺はオモシロイ大人だぞーって自慢できるようにやれることが」

「……例えば?」


 僕の問いかけに青木は一瞬立ち止まり、そして躊躇しながら一言。


「……経済新聞を読む……とか?」

「なんだよ、それ。しかも疑問系じゃねえか」


 まあいいんだよと気にせず青木はコンビニへと入る。ちょうど山下が「あれ? ふたりも買い物スか」なんて半透明の袋を片手に女の子と手を繋ぎながら出てくるところだった。


 半透明の袋の上からでもわかる茶色い紙袋に包まれた物体を察してとりあえず腰に膝蹴り一発。「いってえ」と言いながらもニヤケ顔の山下にさっさと帰れと手で合図を送る。


「ところでさ」


 経済新聞を手に取って青木が僕に聞く。


「結局、お前が小さい頃なりたいものって何だったんだ?」


 僕は一瞬躊躇したが意を決して言った。


「ヒーロー」

「あん?」

「戦隊モノのヒーローだよ」


 ああ、これ絶対笑いが返ってくるんだろうな、言うんじゃなかったと僕はすぐに後悔したが、青木の反応は意外だった。


「格好いいな、それ」


 やけにあっさりとした反応に僕は拍子抜けしてしまった。そしてつられるように経済新聞を手に取り、そしてついでだから大谷翔平が一面を飾るスポーツ新聞も買うことにした。


 「スポーツ新聞を読むヒーローねえ」と、青木はそこで初めて苦笑した。別に良いじゃないか、メジャーリーグやドイツのサッカー事情が気になるヒーローがいてもとレジへ向かい、経済新聞が意外に高いことに驚きながら、僕と青木はコンビニから出た。


 先ほどまで奇声に近い騒ぎ声を上げていた園児達はバスに乗り込んで楽しそうにはしゃいでいる。これから先待っている楽しい出来事や、今の僕には眩しすぎる夢を抱えているんだろう。


 そして今の僕は君たちの目にはヒーローでも何でもなく、ただ単なる酒臭いお兄さん程度の認識しか抱かれないんだろうななんて考えたら、思わずため息が出てしまった。


 「これからだろうが」なんて、青木が僕に言う。どうやら同じことを考えていたらしい。でも、せっかく買った経済新聞を読む間もなく、僕は家に帰ったら恐らくすぐに寝てしまうのだろうなとか、それでも心意気だけは胸に秘めていようとかそんなことを思いながら、僕らは歩き出す。


 その後ろからバスは軽々と僕らを追い抜いて走り去って向かう。幼い子供たちの夢と希望を乗せて。

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