往来①
里はいまだかつてないほどの賑わいを見せていた。冷たい石でできた屋敷とはまったく違う、信じられないほどの熱気にあふれている。
「ミザリ、あんまりきょろきょろしないで、前見て歩いて。アルナとはぐれないように」
傍から見てすぐわかるほどに体をそわそわと動かし周囲を見回すミザリに、トウカが言い聞かせるように話す。聞いているのかいないのか、生返事をするミザリを不安げに見ながらトウカはアルナの深く被ったフードをより深く被らせるように引っ張った。
「アルナもうっかりこれが外れたりしないようにして―― あとミザリから絶対目を離さないように。あとあんまり無駄遣い……」
「なんでおまえにそこまで子ども扱いされなきゃいけないんだよ」
矢継ぎ早に言葉を重ねてくるトウカに思わずアルナは言い返した。普段なら軽口で済んだ。アルナが憎まれ口を叩いてもトウカはいつも笑って軽く受け流していた。でも、このときばかりは違った。トウカの胸をつかれたような顔に、アルナはようやく気付いてはっとした。
「―― あ」
視界の端を小さな頭が通り過ぎ、アルナは麻痺したようになっていた喉から声を出した。
「ミザリ、待て。あんまり先に行くな」
うずうずと待ちきれない様子で動かしていた体が雑踏の中へ入っていく。興奮した子犬のような素早さで突っ込んでいった少年をアルナはため息を吐きつつ追いかけた。足の長さの違いか、アルナはたやすく追いついて腕を伸ばしミザリの服の襟をひっつかんだ。
「はぐれると俺がトウカに怒られる」
「トウカって怒るの?」
「怒るだろ、そりゃあ。同じ――」
言いかけて、アルナは言いよどんだ。同じ? 同じ“なに”だって言うんだ? 自分と彼女が、こんな体をした自分と、次の王と目されるだけの実力と人望がある彼女の間で、なにかひとつでも“同じ”ことがあっただろうか。
「なに?」
「いや…… 怒らせると面倒だぞ、あいつは」
首を傾げるミザリに言いながらアルナは所狭しと並んだ露店が立ち並ぶ広場を歩き出した。
花冠が自分の手からすべり落ちていった感触を、いまだに覚えている。強引に精霊のもとへ還らされたそれは、河の流れによって崩れていきながら、やがて冠のかたちではなくなった。
あのときの気持ちはもうとっくに自分のなかで区切りがついたものだと思いこんでいたが、どうも違ったらしい。
同情されるのもごめんだが、自分にとってはきっと、彼女に嫌われることこそがもっとも恐ろしいことだったのだ。
向こうで必要とされているからとか、そんなことは二の次三の次で。
ただ、俺は、
「―― 待ってってば!」
雑音の隙間からひときわ高い声が顔を出し、アルナの意識を浮上させた。甲高い声のあと数拍置いて背中の外套をつかまれ、強制的に立ち止まらせられる。と同時に、アルナは随分長く歩いてしまったことに気づく。もうほとんど里の端にいて、露店の賑わいもまばらだ。
「も……、歩くの、はや……」
ミザリは途中からほとんど走っていたのか息も絶え絶えで話すこともままならないようだった。膝に手をついて荒い呼吸を繰り返す従弟にさすがに申し訳なさを感じて
「大丈夫か?」
と声をかけた。が、ミザリは返事すらもできないほど呼吸が乱れているのか返事がない。正面で息が整うのをひたすら待っていると、そのうちすすり上げるような音が聞こえてくる。
「―― は?」
泣いているのだとわかった瞬間、頭に疑問符が大量発生する。本気で意味がわからない。ほんの少し置いていかれたくらいで普通泣くか?
「なんで泣く」
「―― っわ、わか、わかんな……」
呼吸は整ったらしいが今度は涙でまともに話せなくなった。控えめな嗚咽と鼻をすする音がアルナの居心地を悪くさせる。だんだん周囲からの視線も集まってきて、アルナはとりあえず近くの座れそうな場所までミザリを引っ張った。
里の端も端、賑わいからすっかり離れたところにミザリを座らせたはいいがそこからどうすればいいかわからない。泣いている相手に遭遇したことがまずないし、可能性があったとしてもトウカだがそれももう何年も昔の話だ。と、アルナはそこで思いついた。そういえば昔、どうしてかトウカと二人で泣いていた時にリーテだったかココだったかが菓子を持ってきてくれたことがある。どんな菓子だったかまでは覚えていないが、ともかくそれで機嫌を直したような気がする。いや、きっとそうだ。というかむしろこれしか手がない。
と、藁にも縋るような気持ちでその場から立ち上がったアルナの腕が、けして強くない力加減で後ろからつかまれた。
「いまいかないで……」
誰かの一言で、体が動かなくなるのは初めてだった。
こんな、世界中の、エルフも、人も、精霊も、その他のあらゆる生きとし生けるものが持ちうる寂しさのすべてを詰め込んだような顔をされたら、どこにも行けない。行けるはずがない。
まさに万策尽きるとはこのことだと思いながら泣きじゃくる従弟の隣に座り直すアルナの視界に、知った顔が姿を現す。確か、ミザリの世話役をしていた侍女だ。名は何と言ったか。
「―― おい! そこの!」
なにか食べ物を売っているらしい露店で買い物をしている姿に声をかけると、彼女はびくりと肩を震わせて小動物のようにおびえながらこちらに目を向けた。手招きすれば彼女は不安そうな顔をしつつもアルナたちのところまで歩いてくる。
「アルナ様に、ミザリ様? お二人もお祭りにいらしてたんですか」
「おまえ、ちょっとここに座っていてやってくれ」
「え、どうし――」
「いいな。離れるなよ」
今度は引き止められないよう、なかば逃げるようにアルナは露店の並ぶ方へ走った。
ミザリは、トウカにもあんな顔をしたんだろうか。あんなの―― あんなのを見てしまったら…… そこまで考えてアルナは首を振った。もうどうがんばろうとも、もとに戻すことはできない。自分でやらかしたことだ。
「…… くそ」
アルナはフードを自分の頭に押さえつけながら、雑踏をかきわけ進んだ。
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