従兄弟②

 特別女になりたいわけではなかった。

 うざったいくらいに長く伸ばした髪も、歩くのに邪魔でしかない大量の布を重ねたドレスも、何の役にも立たない装飾品も、なにもかも自分に似合うとは思えなかったし、それらを身に着けたいと思ったこともなかった。

 自分は男になるのだと思っていたし、アルナともそう約束した。ただ、あの夜だけが、想定外だった。

 年が明ける前日、ラウナに借りた本を返そうと王の執務室を訪れた。本当は年が明けてからで構わなかったけれど、なんだかどうにも落ち着かなくて部屋を出た。執務室の前は人払いがされているのか少し離れた所に夜番の衛士がひとりいるのみだった。扉は薄く開いていて、そこからわずかな光が漏れていた。

『―― では、もう確定したんですね』

 ラウナの側近リーテの声だった。父親を早くに亡くしたトウカとアルナが父のように慕っていた男の、いつもと変わらぬ、それ以上に穏やかな声色がその夜は妙におそろしく聞こえた。リーテの問いかけにラウナが『ああ』と静かに答える。

『双方の準備ができ次第、アルナを向こうへ行かせる』

 頭が真っ白になった。一瞬でいろんなことが頭をよぎって頭がどんどん重くなる。同時にそれ以外の部位から力が抜けていく。

『本人にはいつお伝えになりますか?』

『そうだな――』

 ばたん、と空気を吐き出すような音とともに厚みのある本が床へ落ちた。その音で我に返ったトウカが顔を上げると、こちらをじっと見るラウナと目が合った。

『眠れないのか?』

 ラウナは足元に落ちた本を拾い上げるといつもと同じようにトウカを見つめ微笑を浮かべた。問いかけに反応する前に彼女はトウカの手を引き部屋へ招き入れる。入れ替わるようにリーテが音もなく退室していった。ラウナは『さて』と呟きながら執務机の椅子に腰を下ろした。仕草も声も、なにもかもがいつもどおりなのになにが違う。いや、同じだから、かえっておそろしいのだろうか。

『今の話を聞いていたな?』

 トウカはこくりとひとつ頷いた。そして口を開こうとすると、ラウナが腕を上げて止めた。

『和平の証だ。かつて私が、あちらの王子と婚姻関係を結んだときのように。…… 今回は王の養子だがな』

『―― そんなのって』

 トウカは絞り出すように声を上げた。

『そんなのってないです、伯母さん。それじゃまるで、アルナが和平のための……』

 そこまで言って、トウカはうつむき口を噤んだ。ラウナとて、自分たちと同じ歳の頃に和平のために敵国へ行った。数年と持たなかったが、今回はどうなるだろう。

『向こうへ行ったら、アルナはもうここへは戻ってきませんか』

 ずっと一緒にいられるなんて本当に思っていたわけじゃない。でも、アルナは結局この屋敷を出ることはできないと思い込んでいた。屋敷を出るどころか、人間のところになんて行ってしまったらもう、二度と会うことすらできないのではないか。

『女を選べ、トウカ』

 ラウナはきっぱりと言った。

『簡単なことだ。女を選べばいい。一国の王候補と、もう一国の王子が婚姻を結ぶことになんの問題がある?』

 そのあとのことはよく覚えていない。自分の部屋に戻って年を越す間際、にわかに気分が悪くなり、体中が痛み出した。すぐに医師が呼ばれて診察がなされて、これが羽化なのだと知った。通常であれば五日ほどで終わるはずのそれは、実に二十日間に及んだ。

「なんで、なんてこっちが聞きたいよ」

 アルナの立ち去った部屋でトウカがひとりごちると同時に部屋の扉が叩かれた。

「今日の勉強は?」

「朝のうちに終わらせました」

 部屋に入るなり尋ねてきたラウナにそう返すと彼女は「関心だな」と微笑む。そういえば、年が明けてから―― 正確には羽化を終えてからアルナの笑った顔を見ていない。

「アルナから聞いたか?」

 主語のない問いかけにトウカは眉根を寄せ「ええ、まあ」と不快感をあらわにして答えた。

「アルナのことだからどうせ相手の怒りを、というかまず喧嘩を売りに行ったのでしょうけど、それにしたってあれはやりすぎです。…… ミザリと言いましたか、彼の方の具合がどれほどかは知りませんが、ふたりとも小さい子どもじゃないんだから…… 特にアルナなんか」

 横から含み笑いするような音が聞こえて、トウカは言葉を止めた。

「すみません」

「なぜ謝る」

「いえ…… 一応王候補でありながら子どもっぽくくどくどと文句のようなことを」

 はっ、とラウナは今度は短く息をもらして笑った。

「あれがどうしようもないのはいつものことだ。それにな」

 ラウナはつと本棚にならぶ書物に指を伸ばした。科目や題名で規則正しく並べられたそこを高さの違いで遊ぶようになぞりながらラウナは言葉をつむぐ。

「王というものはひとりきりではけしてなれぬよ。民がいて、そばで間違いを正してくれるものがいて、ようやく私は王になれているのだと感じる。いつもな」

 ひとつの本の背表紙をいとおしげに撫でて言った彼女はそれから、「さて」と顔を上げ甥を振り返った。

「それはそれとしてだ。王候補としてのお前に頼みたいことがある」

「頼みたいこと?」

 トウカが首を傾げるとラウナはまた、今度はいたずら少年のような顔でにやりと笑った。

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