従兄弟①
「本当に馬鹿なんだから、アルナは」
アルナは従兄の悪態を聞きながら彼女の横顔をじっと見つめた。彼女が羽化の準備期間に入ってから羽化するまではかなり長かった。一般的な長さから見てもかなり長かったようで、はじめから性が決まっていて羽化の必要がなかったアルナにはわからないが、本人は相当辛そうだった。その甲斐あってか美しく羽化したと言われているし、ここのところ会うたびに女性らしくなっているような気がする。
トウカは侍従が持ってきたティーポットからカップに茶を注ぐと、小瓶から蜂蜜を垂らして丁寧にかきまぜた。
「ほら、蜂蜜多め」
従兄に手渡してやれば、彼はそれを大人しく受け取って一口飲んだ。
「…… 反省はしてる」
「本当かな」
溜め息を漏らしながらトウカはカップを置いて寝台に寝転んだアルナの隣に腰かけた。その頬は侍従に手当てされる前に比べればずいぶん腫れは引いたがまだじゅうぶん赤い。
「これから私たち、あの子と同じ所で生活していかなきゃいけないんだよ。もう子どもじゃないんだし、私たちの方がひとつ年上なんだからしっかりしてよ」
横になってそっぽを向いたまま黙り込んでいるアルナを見つめながらトウカは続ける。
「私だってあの子のこと歓迎してるわけじゃないけど、私たちと同じサヴェラナーニの血を引いてるのは確かなんだから――」
「それ、やめろよ」
諭すように話し続けるトウカをアルナがとげとげしい声で遮った。
「お前が『私』なんて言ってるの聞くと気持ち悪いし苛々する」
トウカの顔が一瞬こわばったが、それをアルナが見ることはなかった。
「…… やだな。大人になったのに僕だの俺だの言ってられないでしょ。それより、例の日取りだってそろそろ決まってもいい頃なんだからアルナも――」
突然服の襟を引っ張られ、トウカは寝台に倒れ込んだ。再び話を遮られたことと、前触れのない行動にトウカは「ちょっと」と正当な抗議の声を上げた。
「やめてよ」
覆い被さってくる男の胸を押すが、目の前の体はびくともしない。
「こんなとこ、母さんや伯母さんが見たら卒倒する」
「どうせ結婚するんだ。別に変じゃない」
「嫌。どいて」
トウカがきっぱりと拒絶するのを聞いているのかいないのか、アルナはトウカの胸の上に広がる赤紫色の髪を一房手に取った。
「髪伸びたな」
「人の話を聞いて」
「短い方が似合ってた」
「立場と性別に見合った髪型ってものがあるの」
どいて、と再度告げるがアルナはトウカを見下ろしたまま動かない。自身を見据えるアルナの瞳は夜闇のように暗く光がない。黒い瞳の色はエルフには珍しいが人間の間では珍しくないと聞く。アルナは多分、父親の方に似てしまったのだろう。
「…… そうまでして王座が欲しかったのか?」
「何の話……」
「おまえ、なんで女を選んだわけ?」
トウカが言葉を詰まらせたそのとき、部屋の扉が叩かれた。
「陛下がこれよりお越しになるとのことです」
侍従の声が聞こえるとトウカはさっきよりも強い力でアルナの胸を押した。
「アルナには関係ない」
隙のない声と視線にアルナは立ち上がり部屋を飛び出した。
心底嫌になる。いつだって自分は蚊帳の外だ。昔はそれでもよかった。トウカと二人なら、それだけでよかった。それなのにいつしか、あいつも向こう側へ行ってしまった。
「アルナ」
突然腕を取られて、体が傾いだ。
「…… 母上」
「これはまた、ずいぶん立派なものをつけられたな」
苦笑交じりに言われて思わず頬に手をあてた。トウカとのやりとりで忘れていたが、思い出した途端ずきずきと痛んでくる。
「…… いえ、俺が悪いので」
先ほど殴られた時のことを思い出して言えばラウナは腕を離しながら「そうか」と頷いた。また長々と説教をされるかと思ったがそんな様子はない。
「あれが来たからといって今までの生活を変える必要はない。今までどおり過ごせばいいさ」
「……」
「ただ向こうへ行く準備は進めておけ。近いうちにというのがあちらの意向だからな」
それは全然“今までどおり”じゃない。
単に血縁上の父親が生まれた国だというだけでほんの少しの間とはいえそこへ行かなきゃいけないことも、その国の王子になることも、その国の王子としてトウカと結婚しなければいけないことも、全部。
ひとつも今までどおりでいいということはないというのに、どうしてこの人はこんなことが言えたんだろう。
「…… わかってます」
アルナはかろうじてそう返事すると母の顔を見ないまま踵を返した。
自分とトウカの仲が良いのをよく思わない大人が多いのは知っていた。べつにそれでもよかった。ほかでもないトウカ自身が、同じ想いでいてくれるのなら。母であるラウナが何も言わないのも救いだった。
あるときトウカのそばにいられない理由の一端として、母の兄、アルナの伯母にあたる者と、アルナと同じ人間とエルフの間に生まれた者の存在を知った。そのときは自分たちには関係ない話だと思った。自分は生まれながらにして男だし、トウカもままごと遊びなんかよりは外遊びの方が好きだからきっと男を選ぶんだと思っていた。
全部かんちがいだった。
年が明けてみれば従兄の体は完全なる女体へと変化していて、もう気安く触れられるものではなくなっていた。
みんな自分の一人芝居だった。
彼は、彼女になってしまった。大人になってしまった。
たった一人、アルナを置き去りにして。
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