南の里②
「息子が迷惑をかけたな」
しばらくするとラウナがやってきて言った。
「親として謝ろう。だが保護者としてはそうもいかない。喧嘩をするほど元気が戻って安心したがな、ミザリ。暴力ではなにも変わらない。変わってはいけない」
ラウナの諭すような声に、ミザリはなぜか胸が痛んだ。青年に言われたことが頭の中で反響する。
「手が出たのは、僕が野蛮だから? 野蛮な人間の血が、入っているから?」
自分の出した声が今にも泣きそうで驚いた。でもどうすることもできなくて寝台の上の掛け布を握りしめた。父と旅してきたなかで一度も触れたことのないような、滑らかな肌触りの布だ。
寝台横の椅子が引かれた。そこへゆったりとした仕草で腰かけながらラウナは口をひらく。
「野蛮であるのは、人もエルフも同じだ。魔術を使うか兵器を使うかの違いでしかない。生き物である以上、そういう一面は誰しも多かれ少なかれ持っている。大事なのは、それとどう向き合うか、どう表に出すかだ」
ラウナは丁寧に言葉を重ねている。
「カーリも兄も、穏やかかつ聡明であったよ。出生以外の理由でカーリを嫌うものはいなかったし、兄は―― アイオはエルフの歴史のなかでも最高峰の魔力を持っていたし、皆の憧れだった。…… だからこそ、ああなったとき誰もが戸惑ったわけだが」
「ああなったときって、ふたりがここを出て行ったときのこと?」
ミザリが尋ねるとラウナはいいや、と首を振った。
「もっと前の話だよ」
首を傾げるミザリに、ラウナは微笑を浮かべる。
「肩を持つ気はないがあれも――、アルナも可哀想だと思うよ。親ながらにな。いや親だからこそ、かな。生まれてからずっと、こんなところに閉じ込められて―― いや、どこにいようと人間の父親とエルフの母親を持つということは多分一生あれを苦しめるのだろうな。…… すまない、子どもにする話ではなかったな。忘れてくれ。…… ところで、今後の話だが」
ラウナはそう言って立ち上がると、思い出したように言った。
「ミザリ、おまえ、読み書きはできるか」
「読みは少しなら。書きは全然」
素直に答えるとラウナはそうかと頷いた。
「では計算や歴史は」
それもほとんどできないと言っていい。首を振って否定すれば黙ってもう一度頷いてみせた。父と旅をしてきた先であった子どもたちは、ミザリが読み書きがままならないのを知ると馬鹿にしたりからかったりする者も少なくなかった。折を見て父が少しずつ教えてくれはしたが、時間も教本もなくて、同世代の子どもたちとの差は歴然としていた。
「ティリオにいくつか簡単な本から持ってこさせよう。なに、おまえの両親はどちらも優秀だったから心配はいらない。勉強は嫌いか?」
「…… わからない」
ミザリはまた正直に答えた。うつむいていたミザリの頭にあたたかいものが触れる。
「やっておいて損はない。…… もしおまえがしっかり勉学に励んだなら、屋敷の―― いや、里の外に出ることを考えてもいい」
思いがけない言葉にミザリは顔を上げた。
「えっ……」
外に出たがるような顔でもしていたのだろうか。不意の提案には戸惑いしか生まれない。だってもう、この腕を引いてくれる手はないというのに。
どこにも、行けないのに。
ミザリの不安げな表情を見ているのかいないのか、ラウナはふっと微笑むと身を翻した。
「きちんと勉学に励めばの話だ」
ラウナが出ていくと、部屋が異様に広く感じた。ミザリは立ち上がってカーテンの隙間から窓の外を見た。真下には屋敷へ入るための正門があり、そこから石造りの大きな橋が里と屋敷をつないでいる。里はにぎやかで、喧騒がここまで聞こえてくる。
(なにも知らなかったんだな)
行き交う人々を見ながら、ミザリはぼんやりとそんなことを思った。道の真ん中を、親子が歩いている。元気に走り回る子どもを追うように父が、そして母が幸せそうに子どもを見ていた。
ミザリはなんとなくその景色から目をそむけて寝台へ寝転んだ。
「お休みのところ失礼します、ミザリ様」
声をかけられて振り返るとティリオが本を数冊小脇に抱えて立っていた。
「ミザリ様がお読みになれそうな本をいくつか持ってまいりました。棚に入れておきます。今日はもうお休みになりますか?」
「うん……」
ミザリが曖昧に返事をすると、ティリオは「あの」とおずおずと口を開く。
「弟のことですが、あれも出過ぎたことをしたと反省しています。私の監督不行き届きです。どうぞお許しください」
許すもなにも、あんなのはただの癇癪だ。ティティに非はない。ミザリがどう返すべきか悩んで黙っていると、ティリオは続けた。
「弟は――、弟と私は数年前に母を亡くしていまして…… 心労でした。食事も水も喉を通らず、日に日に弱っていくさまを、弟は見ていたものですから」
そこまで口にしてティリオはすみません、と謝った。
「ミザリ様には関係のない話でした。…… でももしお許しいただけるのなら」
「まっ、待って、あの」
ティリオがあんまりにも必死に弁明してくるので、ミザリはあわてて止めた。
「さっきは本当に僕が悪くて…… 彼女は少しも悪くないから、彼女にも僕が謝っていたって伝えておいてほしい」
言葉の途中から驚きに目を見開くティリオからぎこちなく視線をそらしながら言う。しばらく経っても返答がないのでちらりと視線を戻すとティリオは深々と頭を下げた。
「―― ありがとうございます」
そういうのいいから、とは思っても口に出さないでおく。余計にこの場が長引きそうだ。もう休みたい。
あの青年だったら、こういう時の上手い処し方もわかるのだろうか。
ティリオが下がったのを確認してから寝台に再び横になって、彼に言われた言葉を思い出す。アルナと言ったか。ラウナは確かに彼が人間の父親を持つと言った。
できるならもう一度、今度は言葉と言葉できちんと話してみたいと思った。
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