人斬りの噂

「これお主、またサボっておるのか」


 私は呆れた。桑八の奴、また修行をほっぽり出して畳の上で尻をかいていた。


「これは父上、お早いお帰りで」


「近頃京都市中では人斬りが多いからな。……やい、話を逸らすんじゃない!」


 ぴしゃりと叱りつけてやったが、桑八の奴は居住まいを直したもののへらへらと笑うばかりだった。


「年寄りは気が短くていけねーや。せっかく武蔵からはるばるやってきて天子様のお膝元に居を構えたっていうのに、父上の怒りん坊で庵が燃えちまう」


「なにおう」


「父上もさっさと隠居なさったらどうですか。商いならあたしの方がうまいことだし」


 そのよく喋る口を大槌で叩きのめしてやりたくなったが、私は鼻息を荒くしながらもこらえた。


 家と身分を捨て、長い年月をかけてようやく刀工として花開いたこの老ぼれの身。そんな私がやっとのことで手に入れた養子……つまり後継ぎである。


 正直、いくら仕込んでも本人にやる気がないので刀鍛冶の腕はいまいちだ。


「お前程の業では、儂の隠居は三劫も先になるやもしれんな!」


 私はこの時とても焦っていた。


 後継ぎの不出来に、衰えていく己の腕に。




 ある時、庵にふらりと一人の男が現われた。


「ひとつ、刀を打ってはくれませんか」


 私は男を検分した。


 目つきの悪い、しかし見てくれはそこまで悪くない二本差しだ。


 このご時世、京の町に珍しくない浪人かと思いきや、身なりはまぁまぁだしかなりの金子を持っている。私は男に聞いてみた。


「刀は町に卸しているが、なんでわざわざこんな山奥を訊ねてきたんだね?」


「俺の先生が、刀匠青野仁をよく褒めていたのです。それで是非とも直接お会いして、刀を打ってほしくなった次第で」


 人相が暗いなりに、笑むと男の印象は柔和になった。男はかなりの土佐訛りだった。


 私は訝しんだ。


 それだけで土佐勤王党の連中と決めつけるのは安易だが、過激な動きの多い土佐の人間に刀を売るのは躊躇してしまった。


 私は刀に捧げる信念は刀を持つ者に委ねることを心情としているが、その心情を揺るがしかねない乱暴なやり口が横行しているのも事実なのだ。


「儂の刀で人を斬るのかね?」


「これは異なことを仰る」


 男は子供っぽい顔で目を丸くした。


「人を斬るために刀を買うのです。大根をなますにするためだと?」


 私は不覚にも笑ってしまった。


 しかし男の表情が少しばかり曇るのを、見逃していなかった。


「いや、許してくれ。この頃なんというか、人に疲れておってな」


「誰しもそのようなことはあります。お気になさいますな」


 男は、そうは言いつつも自分の言ったことに心を痛めているようだった。


 だから、この男が当然のように人を斬るという事実が、余計にかすんだ。


「ところで、刀を打ってはくれませんか」


「いいだろう。仕事を受けるよ。だが、一朝一夕で出来るものではないよ」


「もちろん」


 物腰のやわらかなその男は、朗らかに笑う。


「私の先生が腕を認めた方だ。信じますとも」


 私は笑みを返すか迷い、結局老人特有の仏頂面をさらすことしかできなかった。


 ああ約束したはいいものの、私はすぐにそれを後悔した。


 京では、『人斬り』と呼ばれる物の怪のような侍が、夜な夜な町を徘徊してるらしいのだ。




「青野様、刀の具合はどうですか」


 あれからあの男は、しょっちゅう庵へと顔を見せた。


 朝から登って庵へ辿り着くには日が暮れている山だと言うのに、それはそれは熱心なことであった。


「ああ、悪くない。見てごらん」


 私は試作の刀を差し出した。


 男はおそるおそる受け取る。まるで宝物を目の前にしたかのように、目には光が宿っていた。


「これはすごい……俺の先生も、俺の友も、この刀を見たら羨ましがります」


「お主、別に羨望が欲しいわけじゃないだろう」


「……とても綺麗な刀です」


 人相の悪いなりに、男は微笑むと実にのどかな顔つきになる。


 私は胸がざわざわとした。


「そう言ってもらえるのは嬉しいがね……やい桑八、お客人だ! 茶のひとつでも出さんか!」


 庵の裏でこっそり煙管を吹かしていたに違いない桑八は、慌ててすっ飛んできた。


 桑八は、男をいつも値踏みするような目で見る。私はそのとき細まる目がとても嫌いだった。それが人間様に向ける眼差しか。


「またおいでくださったんですね、お侍様。今の刀はもう脂にまかれちまったんですか?」


 私は桑八に拳骨を落とした。


 武士の刀に人の血で傷んだ跡がある。それは暗黙の了解だろう!?


 桑八は恨みがましい目で私を見ていたが、拳骨ひとつで済ましてやったのだから感謝してほしいくらいだ。


「すまねぇ! こいつはどうしようもなく口が悪い奴なんだ。だから生家からも勘当されちまった。どうか許しておくれ」


「頭をお上げください、青野様」


 男は慌てて私の肩を抱き起こす。


「それに、俺が人を斬るのは真実まことですから。青野様にも申し上げたでしょう?」


 男はちょっと気まずそうではあったが、私の顔色を見て気遣ったのか、続けた。


「俺は侍なので、人を斬るのが仕事です。俺は馬鹿だから、これで生きていくしかないのです。これからも俺は人を斬ります」


 男は私を安心させるように笑いかけるが、口元の歪みを隠せていない。


 私は、この男が『人を斬る』という行為に抵抗を感じていることに、なんとなく気がついていた。


「なぁ、私はお主に刀を打つと約束はしたが、あれは……」


「気に病むことはないですよ、お侍様」


 桑八は阿呆ヅラでけらけらと笑う。


「市井には『人斬り』なぞと呼ばれる。もっとおっかない侍崩れがおるのです。それに比べりゃあお侍様なんぞかわいいものでさぁ」


 私は堪えきれず桑八を張り倒し、男はおろおろと試作の刀を握って視線を泳がせていた。

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