刀鍛冶の引き際

ポピヨン村田

初代・青野仁の日記

 青野仁はおぼつかないハンドルさばきで、のろのろと山道を下っていく。


 人より雉の方が多い山中を下りる最中であればまだ良いが、そんな車は街に降りると途端に凶器と化す。


 対向車の運転手は青野の運転を目の当たりにすると、顔をしかめるか不安そうに眉根を寄せる。


 そして、青野が車体にいやいや張り付けた高齢者マークを見て、どこか諦めたような表情になるのだ。


 青野は道路に繰り出すたび腫れ物扱いされる己の姿に、むかむかとして叫び出したくなった。

 

 ちくしょう、そんな目で俺を見やがって。


 俺は青野仁だぞ。生まれてこの方七十年、この国の文化に寄与してきた偉人だぞ。俺の作品はこの国が続く限り永遠に美術館で輝き続けるのだぞ。


 口に出せない愚痴で頭を熱くさせながら、青野は道の細い住宅街をあわや擦りそうになりつつ進んだ。




「親父、また運転して来たのかよ! いい加減にしろよな!」


 青野がインターホンを押すと、長男はドタドタと足音を立ててドアを開け放ち、開口一番にそう言った。


「そうは言っても、お前は庵から迎えに来てくれないだろう」


「当たり前だろ。顔を合わせたらどうせ後を継げって言うに決まってるんだから。それを知ってて誰が迎えに行くかよ」


 長男は溜め息を吐きつつ青野を迎え入れた。


 茶を出してきた長男の嫁は、口には出さないが表情が鈍かったので、突然の青野の訪問を快く思っていないのは明白だった。


 長男一家のこの風当たりの強さに萎縮しないでもないが、それでも言わないわけにはいかなかった。


「なぁ頼むよお前。このままでは伝統が途絶えてしまう。お前は小さい頃から俺の業を見てきたじゃないか」


 もう何度目になるかわからない申し出に対して、長男は変わらず淡白だった。


「お断りさ。俺は今の仕事を気に入ってるし、それで家族を食わせてる。それに」


 長男は青野の目をじっと見た。


 かつてない迫真さを含むその瞳に、青野は思わず面食らう。


「俺は親父みたいに年寄りになるまで続けられるほど、刀鍛冶が好きじゃないんだよ」


「お前……」


 青野は、きっぱりとした長男の言葉に胸を押さえたくなった。


 青野仁は刀工である。


 それも文久元年からその名を馳せた初代・青野仁の代より脈々と続く、伝統ある刀工一族の業を伝えられた最後の刀匠である。


 青野は物心ついたその日から先代に師事し、初代の拓いた京都山中の庵で刀を打ち続けてきた。


 国宝級の腕とも称えられ、青野の代で美術としての栄華を極めたその業は、今や後継者不在という危機に瀕していた。


「最近さ……親父の打った刀の質が落ちてるってネットでよく見るんだよ……」


 長男は頬杖をつく。


 在りし日には後継者として育てていたこの長男は、思春期に自我に目覚めてからというもの刀工の道を固辞し、大学生になったときに山を下りてそれから一度も庵に帰ってきていない。


「……なぁ、そろそろ引き際だろ?」


 青野は何も言えなかった。

 

 しばらくうつむいて手元にある湯飲みをいじり、それから弱々しく立ち上がる。


 黙って背を向ける父親に、それでも長男は威勢を崩さず声をかける。


「どこへ行くんだよ親父」


「お前の弟の家だよ。それがだめなら、妹の家さ」




 青野仁の庵は山の頂にあるので、文明の明かりはほぼ存在せず月や星が明るい。


 しかし手ぶらで車を走らせる青野の心を慰めるには、いささか弱い光だった。


 次男も、長女も、つれない返事だった。


 青野は車を停め、歯を食いしばってハンドルを手根で叩く。


 あの親不孝者達め! 父に対する情はないのか!!


 青野は庵に入ると、どっかりと座り込んだ。


 よく慣れた匂い。幕末から伝えられてきた、一本の刀に情熱を向け続けてきた誇りある匂いだ。


 青野は途方に暮れた。


 先代に、それより前の先代に、果ては初代に、申し訳が立たなかった。


 黒船来航よりいついかなる時代の中でも刀を打ち続けてきた青野家の想いが、自分の代で途絶えることだけは、どうしても耐えられなかった。


 青野はおもむろに立ち上がり、倉庫へ向かう。


 カビ臭さが充満する密室でなんとか古臭い木箱を見つけだし開けると、中には数冊の本があった。


 『青野仁刀剣之終』


 埃をはたき落とすと、掠れた文字でそう書かれたボロボロの本が出てきた。


 こんな保存状態で、よくここまで形を保ったものだと青野は少し感心した––––これは、江戸時代の刀匠、初代青野仁の日記だった。


 時代にその才を認められた刀匠・青野仁。現代まで伝えられるほどの名刀を打った男の知られざる心中を残した、価値のつけられない貴重な書物である。


 しかしその存在は世間には公表していない。青野仁の業と名前を継いだ者のみが、先代からこの本を手渡される。


 『引き際に迷ったときに開け』という言葉と共に。


 まさか自分がこの本に頼る日が来るとは夢にも思わなかったが、青野にはもう後がなかった。


 腰は曲がるし、目は近くも遠くも見えづらい。槌は年々重くなり、一度に鍛錬を繰り返せなくなってきた。


 そして、車がなければ生きていけない山奥の暮らしは、もう十年以上前からこたえている。


 青野は藁にも縋る想いで、初代の人生を紐解いた。

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