エピローグ<normal end>
あれから約一年後・・・。
盤上の国は女王を倒したことにより、彼女の定めた理不尽な束縛から解放された。正直なところ、女王を倒すに至るまで意味不明なまでの矛盾点、わからない部分が多い。まるでみんなの頭から何か大事なことがすっかり無くなったみたいな。
その一、ジャックは誰の協力を得てクロケー大会を中止させたのか。
(そもそも何故彼は実行しようとしたのか。)
その二、ジャスミンおよびヘレンは誰から何を奪ったのか
その三、エデルトルートの駒兵達はどうやって人の姿を得られたのか。
その他、ハミルトンは何故ここにいるのか。
(彼に至ってはこの世界に来るまでの記憶が著しく欠けている。)
まあ、これらの空白などもそのうち世界がうまい具合に調整してくれるのだろう。誰にも気づかれないよう。今回は幸いにも外部から干渉してきた者も、それを知る者もいないのだから。
今は世襲制なんかもなくなり、国民が投票で決めたリーダーが国を統治している。急な体制の変化など、戸惑うことも多かったろうが、全てが何事もなく上手くいく事の方が人の住む世界では珍しいのだ。
「ん・・・んっ?」
沢山の家が立ち並ぶ住宅街、その中のこじんまりとした赤茶色の真新しいアパートの一番上の真ん中の部屋。カーテンをうっかり閉め忘れ、容赦ない朝日が閃光のごとく顔にさしてくる。ベッドから体を起こし、ハミルトンが力いっぱいの背伸び。
「んー・・・今日はせっかくの休みだってのに。」
七時を表す時計を横まで睨み、支度をルーティンのごとく済ませたあと、ドアに備えつけられた簡易ポストの中を取り出す。質素な封筒が数枚、いや、一枚だけピンクの可愛らしい封筒に真っ赤な蝋封で閉じてあったものが。彼にはこんな封筒を好みそうな女子の知り合いなんていない。朝っぱらから疑惑の気持ちで封を開けると、これまた花柄の便箋が出てきた。
「・・・ジャックから?なんでまたこんな・・・ふむふむ。えっ?えっ!!?」
素っ頓狂に上ずった声を上げて驚いたハミルトンは手紙を足下に落としてしまった。おかげで頭の中が随分シャッキリした。まだどこか寝ぼけたまんまだったのだと気づいた。それよりも。
「マジかよ。」
綺麗に折り目がついた手紙を拾い、二度見。そこに書かれていたのは要約するとこうだ。
–この度、私、ジャックとヘレンは結婚します。
場所と日程を書いていますので結婚式にぜひいらして下さい。
友人のハミルトン様へ。–
「っていうか、友人じゃねえし・・・。」
ぱんぱんに張った袋に開けた小さな穴から漏れる空気みたいな息と共に漏らした。
「・・・なんでジャックと公爵夫人が?驚いたなぁ。」
さっき一瞥しただけの時計を見上げる。せっかく最低限の身支度を整えたのだから、特に用事はないが家にいても娯楽が少ないので退屈だと出かけることにした。それに、ふらついている間に目的ができるかもしれないし。雲ひとつない澄み渡る青空と少し冷える風が気分を冴えさせる。街路樹が敷き詰められた公園沿いの道を歩いているとマーフィーと出会った。
「おはよう。はやいね。」
気さくに話しかける彼の両手にはゴツゴツでっぱった大きなビニール袋。今日はゴミの日だった。
「早く目が覚めちゃってね、せっかく起きたんだもの、その分時間を有意義に使えるじゃない。」
「すごいな。僕なら絶対二度寝する。」
たわいもない話をしながら二人は並んで歩いた。朝は仕事へ向かう人や軽い運動とジョギングする人などとすれ違う。
「ねえ、君のとこにも届いた?夫人の・・・。」
「うん。」
「マーフィーも早く彼女見つけたら?いつもみたいに「好きだった人がいた気がする」なんて変な事言ってないでさ。」
しばらく黙り込んで歩き続ける。二人とも被り物の頭のせいでどんな気持ちでも表情ではわからないのだ。
「君こそどうなの?」
「やだな、僕にはそんなのいないよ。」
ただ、声にはわからやすくあらわれる。今だってハミルトンは自分のことを聞かれているのに他人事みたいに笑い飛ばしている。
「ジャスミンは?」
なんとなく聞かれただけの質問に、こんどは子供みたいにやたら意地になって返した。
「はあ!?なんであいつの名前が出てくんだよ!」
「君にあんなに絡んでくるの、あの子ぐらいでしょ。」
「そんなことないし!いや、あいつはなぁ、僕のことが嫌いなだけでさ・・・。」
本当にくだらない、意味のない、しかし楽しそうで二人にとっては意味のある話をしながらどこかへ向かって歩いていく。
まさかこの二人がこんなに仲良く話しているだなんて驚きだ。これも全て、アリスのおかげだ。
そう。
今は存在ごと消えて無くなってしまったアリスのおかげだ。
-所変わって、そんなアリスがいた元の世界にて。–
棚には木製、陶器の食器や銀食器が綺麗に配置された、たくさんの香辛料や調味料が置かれた水回り、白いレースのテーブルクロスの上には、新鮮な野菜がドレッシングでよりいっそう輝きを増して、見ただけで感触の良さそうなパンやホットミルクなど見ていて元気が湧きそうな朝食が並ぶ。
「ニュースもあのことばっかりね。」
まだ若いやや細身の女性が向かいに座って新聞と睨めっこしている生真面目そうな男性に話しかける。
「所詮娯楽に関する話題だ、すぐにおさまる。」
「そんなこともないわよ。だって世界的な絵本作家なのよ?突然自殺だなんて・・・。」
女性は一口サイズのジャガイモを咀嚼した。
「変な手紙まで残して・・・しかも作家さんが通っていた学校で行方不明の女の子も見つかってないって言うし。エマちゃん、とっても可愛い子。」
「朝食をそんな物騒な話をしながら食べるものではない。」
嫌な話題を、しっかりとした低い声で諫められてからは女性も黙々とサラダを口に運んだ。すると、二階から階段を降りる音が。
「おはよう。」
ゆるやかな白金色のウェーブをしっかりと束ねた碧眼の少女は台所を通り過ぎた洗面所へ向かった。
「おはよう、ロリーナ。早く食べないと遅刻するぞ。」
「わかってるわかってる。」
間延びした声だけが返ってきた。
「最近たるんでいないか、なんというか・・・。」
「そうかもしれないけど、成績も変わらないし。ほら、大人になるにつれて少しぐらい落ち着きが見えてきたのよ。」
なんてことない、ある一家の朝の光景。なんと微笑ましいことだろう。そういえばこの一家にはもう一人娘がいたはずだ。誰からも愛されず、いらない子と貶され部屋に閉じ込めさせた出来損ないのかわいそうな女の子が。
名前はアリス=キャロル。
彼女はどの世界からも消えて無くなってしまった。
・・・本当に、そうかと言われたら違うかもしれない。
誰かの記憶に残っている限り彼女は存在し続けるのである。
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