私はここに居たかった
避難所の外から先ほどの兵士の声が聞こえる。
「フィオーナ様、準備ができました。」
「了解。」
床に散らばったトランプをきれいに掌に収め麻袋にしまい、颯爽と立ち上がった。
「近道を使うから。」
部屋の一番奥の壁に手をかざすと、ここへ入ってきた時と同じ現象が起こった。二度目となると多少は見慣れたし、何よりも荒れるに荒れた外を出歩くよりは百倍もマシだ。エデルトルートの後ろをアリス、ハミルトン、ジャックの順に続いた。みんなが出たのは石造りの狭い廊下だ。点々と備え付けられた灯りは来る人がとりあえず歩けたらいいだろうぐらいの仕事しかしてくれず、本当に自分の周りしか見えない。先頭を除く三人は息を潜める必要なんかないのに、あまりにも殺風景な空気に体が勝手に緊張していた。これじゃあ気分的にはさっきの森を歩いている時のどっこいどっこいだ。
「ところで女王様、気になってたんだけど、どうして鎧を着ているんですか?」
ハミルトンの問いにエデルトルートはため息として出るはずだった吐息を乗せたかすれ気味の重い声で返すところから途中から延々とぼやいた。
「それがね、あたしだって指図だけして見ているだけじゃなくて実際に戦場に赴きたかったわけ。でもあんまりにも周りに必死に止められたからその通りにしないと逆にかわいそうにも思えてね?要約すると「万が一女王様の身に何かあったら、意味がありません!」って感じ。まあそうなんだけどさ。この鎧、オーダーメイドなのよ?」
しばらく女王の愚痴を聞かされながら、大きな扉の前にたどり着いた。ここだけ、空気の質量が重く感じる。
「この中にいるわよ。」
アリスは力のある眼差しで扉を睨んだ。あの中には自分に対し純然たる憎しみを抱いている一人の人間、自分がどうしても叶わない力を持つ絶対なる権力者が待ち構えている。言い出しっぺとはいえ臆病なアリスが怖くないわけがない。
罪を購うだけでは済まない。
孤独で、誰に話してもわかってもらえない悩みをずっと抱えている、一番孤独な彼女を助けなければ。そもそも原因は自分にあるというのに。「冷酷で無慈悲で嫌われ者の女王様」は心ない人ではなかった。当然だ。例え憎悪を経て知ったとしても。もうこれ以上傷つかないように。
「じゃ、あたし達はどっかいっとくから終わったら出てきてちょうだいねぇ。」
手のひらを振ってエデルトルートは来た道を戻って行った。渋った割には意外とあっさり。問題はもう一人の方だ。
「アリス、ねえ、考え直そうよ。」
ここまできて後戻りを促すハミルトンにうんざりのジャックは棘いっぱいの言葉を丁寧口調でぶつける。
「心配性ですね。すこしは飼い主離れしたらどうです?」
「なんか言ったかメロン野郎・・・いてっ、いだだだ!!痛ぇな、このッ!!」
本名を悪いように言われ我慢ならないジャックにより腕を掴まれ無理やり連れ戻された。袖にだいぶシワがやっていたので相当力がこもっていたのだろう。足音とキンキンした怒号が遠ざかり、改めてアリスは扉と向き合った。ゆっくりとドアを開ける。
ざらざらした壁に覆われた狭くも広くもない、思想に囲まれた密室には天井から吊るされた蛍光灯以外には何もない。光の色が冷たい色を帯びて、部屋中を照らすには乏しい。明かりがあるにも関わらずここまで不安を駆り立てる雰囲気作りは意図的でなくとも秀逸と言いたい。地面には赤黒い複雑な魔法陣らしき紋様。その中央には十字の柱に磔にされたかつての女王様。今から処刑されます、というより儀式の生贄といった表現がぴったりだ。
俯いた顔を上げた。顔のパーツ全てが「力の抜けた状態で開いたまま」と言った表現がしっくりくるほどの無表情。人形の首をもたげたみたい。
「何の用?私を嗤いに来たの?」
声もまた、文字を一つずつ録音したものを機械で合成して喋らせているかの如く無機質。アリスは。
「ごめんなさい。」
まず謝った。謝ってどうにかなるわけではなくとも謝らずにはいられなかった。
「思い出しました。私がしてきたこと全て・・・。あなたはただ、守っていただけだったのですね。」
アリスは細い紐に繋がれた自由の鍵を手のひらに乗せた。こんな薄闇の中でも輝いている。
「今更渡されても困ります。」
やっと感情のこもった声は悲しく消え入りそうだった。
「唯一の希望は皆をただの「登場人物」に戻してしまうこと。・・・貴方にできますか?自由と手に入れ、自らの意思で切り開かれた無限の未来を生きようとする魂をその手で再び封じてしまう。貴方の優しさは無謀でなにもかもが中途半端。その結果、優しさとは逆の残酷な選択を選ばなくてはいけなくなる。そして、その勇気さえ貴方にはない。」
途中で怒りを露に吐き捨てる声色は波のように、力が抜ける。フィオーナの精神は疲れで削ぎ落とされ昂る感情も秒ともたなくなっている。彼女のいう通り、アリスを諭してもすぐに呆れが勝って言葉が続かないし、絶望的な状況を前に立ち向かう程の気力が無く諦める。
「仮にそれを渡して、鍵そのものを封印しても物語は元に戻せない。
「だからそれは・・・それは・・・。」
「罪を悔いても遅いのです。」
アリスは黙り込むしかなかった。「私が悪かった」とかどれだけ謝罪や自責の言葉を並べても変わらない状況の前では逆効果だと気づいた。
「・・・まあ、良いんじゃないですか?」
次に返ってきたフィオーナの声は僅かながら穏やかだった。
「物語は良い道を進んでいます。皆で力を合わせ未来のために立ち上がる、勧善懲悪物語・・・今思えば、作者はこちらを望んでいたのかもしれません。」
フィオーナは何を知っているのだろう。
「盤上の国のアリス」の原文、そして作者の物語に対しての想い。
いずれにせよ、だからといって。
彼女が自らを悪者にしてまで誰かの為になる必要はない。
意図せずこうなるまで物語を捻じ曲げてしまい今に至るなら、ここら先だって書き換えることもできる。
アリスの心を覚悟でかためた。
・・・とでも思った?
「は・・・?アリス、何を。」
いつの間にか鍵を手の中におさめて親指を添え、先端だけを覗かせ、「準備ができた合図」を見せる。その鍵はフィオーナに向けられていた。
「女王様なんてやめてやりましょう。」
次に開いた口から出てきたのはあまりにも無責任で無謀すぎる救いの言葉だった。
「確かに堕ちる所まで堕ちたとはいえ・・・。」
「貴方は物語に縛られています。自らを物語の登場人物と知って尚囚われ続けてきた貴方こそ自由を得るべき、解き放たれなくてはならない。」
話の途中で遮られたフィオーナの顔は恐怖に歪み切った。服と皮膚の間を冷気が通り抜ける感覚に体が凍り付く。本当ならとても頼もしい言葉で、一番かけてほしかった言葉をかけてくれたアリスは救いの手を差し伸べる救世主に見えるはずなのに、死神でも見ている気分だった。瞳に写るのはまるで化け物。こんなのおかしいと頭で否定しても神経が感じたおぞましさはごまかせなかった。それでも威勢を張ってみせた。
「さっき言ったの忘れたわけ?その優しさはただの・・・。」
「私が逃します。」
アリスという普通の少女に出来ることなどたかが知れているけど、試行錯誤しながら、側にいて一緒に逃げ、フィオーナを女王の座から降ろした後は彼女がなるべく安心して普通に過ごせるようになるまで投げ出さない。少女の覚悟なんか生半可だと思われても仕方がないが、出来ることに力を尽くすしか無いのだ。
–そうだ。そうしていらないキャラは没キャラにしてしまえ。–
知らない声がアリスの頭の中で囁いた。「そうじゃない」と頑なに拒んだ。
「待ちなさい。私は・・・。」
にじり寄る足音が迫る。身動きの取れないフィオーナは逃れられも抗えもできない。鍵の先は彼女の腹部に軽く食い込む。
「やめて・・・。」
最後の抵抗の意思も虚しく、密室が光に包まれた。
「あれ・・・?」
鍵が異様なまでの熱を纏う。こんな事は今までたった一度だけ、目蓋の裏からさしてくる赤みを帯びた白い光に覆われた視界の中で思い出す。この現象はハミルトンの時と同じで、他の誰にも現れた事はなかった。アリスったら、あのヘンテコな空間で一瞬考えていた可能性を忘れていた。
フィオーナが「違う世界から来た者」で、ハミルトンの様に「消えたキャラクターの代役に改変」させられようとしているのなら?フィオーナは「物語を認識できる」という部分で辛うじて外部からの存在である事を認識していたのだろうか?残念ながらアリスはそこまで考えが及ばず、可能性はまさかの当たりだった。光が止み、自由の鍵は彼女を括り付ける縄さえも消し去った為に支えを失って倒れてくるフィオーナをアリスは足を踏ん張り受け止めた。
「うっ・・・うぅ。あれ?ここ、どこ?」
愕然と立ち尽くすアリスを前にフィオーナが深刻さのかけらもない丸い眼を泳がせた。
「あなた誰・・・、あーっ!あなたはアリス!」
アリスから離れのけ反り指をさす。口調も、雰囲気も全てが別人だった。
「フィオーナ様?」
「はじめまして。君ならわかると思うから話すけど、私は違う世界から来たの。ほんとの名前は・・・って、そんなことより、何?この状況。」
フィオーナはおもちゃを取り上げられて拗ねた子供みたいな顔で膨れた。アリスもどこからどう説明していいか困り果てている。
「また殺されるの!?冗談じゃないわよ!」
そんなところに金切り声でとんでもない発言をもろにくらってアリスの思考がピタッと止まったのを機に捲し立てた。
「女王様を殺したら私が女王様になれるって話だったのに、日に日に私が私じゃなくなっていって・・・女王様になるってそういう事だったわけ!?そんなのちっとも意味がない!私が私のまま、私の思う通りの世界にならないなんて!」
立て続けに二度も三度も衝撃をぶつけられる感じに苦しくなった。今のフィオーナを表すなら殺人事件の犯人が復讐による動機を憎らしげに吐き散らす役者に似ていた。勢いが声と一緒に体にビリビリと伝わる。
「この国は女王様のものなんでしょ?だったら一番愛されるのは私じゃなきゃ!だから、特に理由もなくベタベタされるアンタが邪魔なのよ。」
酷い剣幕の中に狂気を孕んだ笑みが混ざった、悪魔の形相が詰め寄ってくる。アリスの背中が壁についてしまった。怯える間もろくになく、素早い動きで両手を細い首に押し付ける。既に力の入らない手で掴み剥がそうとしても添えるだけで精一杯だ。
「離・・・して・・・。」
頭に熱が上り鬱血しそうになる。肺が必死に酸素を求めているのに喉からはほんの一筋の空気しか取り込めない。
「うるさいな。死んでしまえばいい!!」
耳が痛くなる金切り声を上げた直後フィオーナの体が誰かに押されたみたいに前に揺れた。
「お前なん、か・・・。あ、あれ?」
首を締める手が離れた途端アリスは体の緊張がガクッと落ちて、上から見えない力で叩きつけられるように勢いよく崩れ落ちた。これでもかというほどの空気を吸い込んで吐き出してを繰り返す。こんなに苦しく、痛みを伴う呼吸は初めてだ。しかし、なぜいきなり離したのだろう。視線を上げると・・・。
フィオーナの腹部から赤黒く濡れて光る尖った物が突き出ていた。
「痛い・・・何が、起こってる・・・アリス。」
本当に事態が飲み込めず、救いを求める目を向けてくる。アリスでさえわからないのに、答えを待ってくれない。
「なんで、こんな・・・わ、わた・・・痛い。痛いし、熱い・・・。嫌だ、死にたくない。」
震える手を伸ばす。アリスの目の前に指が届く前に、フィオーナは事切れた。
「・・・。」
アリスは彼女の死を現実としてすんなりと受け入れた。状況を理解できてないから、感情が追いつかない。
ああ、きっとエデルトルートの仕業だろう。彼女は一回り先も二回り先も考えを巡らせていた。アリスをフィオーナの元へ向かわせる時に安易に承諾したのも、「何があっても大丈夫」なようにしたからで・・・。
貫かれた体は弧を描いて、杭に固定されたまま。自然な姿勢にすらさせてもらえない。アリスの思い込みかもしれないが、きっと女王はこの少女からも守っていた気がした。
理解した次に悲しみが後を追って噴水の如く湧いて、心を噴き飛ばした。
「あ・・・あっ・・・。」
揉めている際に手から落ちた鍵を慌てて拾う。両手に握り、先端を自分に向けた。アリスの頭の中をよからぬ考えが廻る。
–今度は私が女王様になってこの物語を守らなくては–
–そうだ。私も物語の一部になろう。もう元の世界に私なんかいらない。それが望みだったんじゃないの?–
–私がこの国の女王様になる–
–物語のキャラクターになる–
私は、私は、私は。
言い訳に聞こえるかもしれない。しかし、今のアリスの精神はもはやまともとは言えなかった。
針みたいに縮んだ瞳を小刻みに振るわせながら、アリスは自由の鍵を胸に突き刺した。
「随分と遅いわねぇ。」
エデルトルート達は×××とフィオーナのいる部屋へ様子を見に戻っていた。
「何かあったのでは?」
「状況次第で発動する魔法を仕掛けてあるんだけど・・・そう、例えば襲われそうになったら動きを止める魔法みたいなー・・・。」
なんて曖昧な説明しながら扉の前へ到着。ノックをせず、黙って扉を開けると。
「あらあら・・・。」
地面を突き破った鉄の杭に貫かれたフィオーナがいただけだった。部屋の雰囲気と重なって、震え上がるような恐ろしい光景がいきなり飛び込んでジャックもハミルトンもわずかな悲鳴を漏らした。
「死んじゃったの。せっかく綺麗なまま飾ろうとしたのに。・・・みんなに報告しなきゃ。ほら、出るわよ。」
出入り口で残念そうに呟くエデルトルート。でも予想外というわけでもなく、気持ちを切り替えて外へ向かう。
「なんでまた、急に。彼女は何を・・・?行きますよ白兎。こんなところに私達が残っても仕方がない。」
「うん。」
ジャックに急かされ、ハミルトンはそれっきり黙っておとなしくついていった。
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