happy end

「私はここに居るよ」

アリスが選んだのは右の道。「全てを閉じ込める」と書かれた看板がさした方だ。

「・・・。」

選んだ理由はほぼ無意識だったが、言葉が何を意味するかぼんやりと理解した。そして進んだ。その先に何が待ち受けているとも知らずに。平坦な道を歩き続けると、目の前には大きく真っ暗な扉が待っていた。ドアノブさえ見つからない、闇を被った不思議な扉。アリスは黙って開いた。ギィと重い音と一緒に前に押し出されたドアの先に広がるのは開放的で見渡しのいい広い世界。無限に広がる青空。茂みが挟む広い道、たくさんの煉瓦造りの家。間違いない、この世界に来て初めて見た風景だ。今度はあの時の不安な気持ちは全くない。だって今はしっかりとした記憶もあって、きっと自ら望んで訪れた場所だったから。前に見える大きな木の影から現れ、こっちの顔を見るとすぐに跳ねるように駆け寄ってきたのはハミルトンだ。

「アリス!待ってたよ!」

「えっ、ハミーさん。なんでここに・・・。」

ちょっと戸惑うアリスの腕を、彼は迷わず引いた。されるがままに彼女は辿々しい足取りで走る。

「もう!今だけ特別だからね。あとは頑張って白兎を追いかけるんだよ。ああ遅刻だ遅刻だ!女王様がパーティーに呼ぶお客様を集めているんだ!」

嬉しそうに声が弾む。彼の言葉がひどく懐かしく感じた。


ハミルトンが発したのはアリスの想像上の「盤上の国のアリス」での白兎の最初のセリフだった。共に駆け出すうちに、高揚感と胸が躍るワクワクとした感情が勝手に湧いてくる。後にアリスは知るだろう。知って、忘れていくのだ。閉じ込めるとは、どういう意味かを。




「あれっ!?」

果物を口にしたアリスは突然気を失い、心配でならないハミルトンとジャックに見守られ続けていたが、アリスの姿が一瞬にして消えてしまった。

「アリス!?消えた、な、何が起こった!?」

驚くあまり後ろに飛び退いたものの、すぐにアリスがいた場所に探し物でもするかのように手のひらを忙しく滑らせる。ジャックもこればかりは困惑を隠せず、茫然と座ったまま。すると、床下から突き上げるような揺れが襲ってきた。

「地震!?」

「あっ・・・像が・・・。」

チェスを模した像、ギロチンがぐらついて時間をかけて地面に身を投げ出す。頭上に小さな硬い破片が落ちてくる、天井が壊れていた。床もヒビが入り、旱魃した地面みたいになっていく。

「ここは危険だ!逃げましょう!」

「でも、アリスが!!」

悲痛な声を揺れる音が遮り、消えたアリスが気になってならないハミルトンの腕を強く引っ張り掴み上げた。

「消えたんだから死にやしませんよ!!今までなんとかなってきたでしょう!?私たちが死ぬわけにはいかない!」

あり得ない状況にもはや力の抜け切ったハミルトンはジャックに引かれ、前方のドアを目指して全速力で逃げた。亀裂が追いかけてくる。振り返るどころか、瞬く間すら無い。足を力の限り前へ伸ばす事以外考えられない。少しでも前へ、前へ。二人はやっと外へ出られた。

「なんとか、出られた・・・。」

各々が脱力で扉に背中をもたれさせる。鼓動が痛い程の速さで脈打って、浅い呼吸を繰り返す。残念だが、状況は二人の理解の範疇を超えてぐるぐると変化し、大波の如く押し寄せてきた。


「なに・・・これ・・・。」

森の中に出た二人を出迎えてくれた光景を一言で表すなら、「戦場」。甲冑を纏った兵士同士が逃げるわ追いかけ回すわ争うわ。黄昏の薄い夕焼けが霞むぐらい燃え盛る炎を背景に剣戟が繰り広げられ、腕が飛び、首が転がり、赤い柱が出来る。

「なんだこれ・・・早くないか?ハミルトン、時計があるでしょう、何時ですか!?」

半ばパニックに陥った状態で指図、ハミルトンは服の中をまさぐって見つけた金色に輝く懐中時計の針は。

「えっと、六時・・・。」

綺麗に縦を指していた。ジャック達が城を抜け出したのはおそらく昼過ぎで空はまだ明るかった。意味不明な空間を彷徨っている間は感覚的に十数分程度だった。

「さっきの空間は時間の進み方が違うのでしょうか?・・・はぁ。」

ジャックが、ため息をこぼした後に右手でこめかみをおさえた。

「ここも危ない。できるだけ身を潜めて、避難できる場所を探しましょう。」

前屈みで足音を極力立てぬよう歩くその姿はまるでコソ泥だ。暗い森を、炎が足元が見える程度に明るく照らしてくれる。

「・・・。」

ハミルトンは後ろを何度も振り返る。消えたアリスの行方が気になって仕方がない。

「仲間か・・・。」

木の影から兵士が飛び出した。負傷はしていない模様。

「ジャック様!」

息を潜めた声でも嬉しそうなのは丸わかり。音がなりそうな敬礼で構えた。

「これはどういう状況ですか?国中の避難は?」

「さすがジャック様、すぐに国が置かれている状況に気を。」

「教えなさい。」

ベタ褒めを遮られた兵士は緊張感たっぷりに状況を説明した。

「鏡の国の兵士がいきなり城に襲いかかってきたのであります!それどころか城にいた兵士の約半数が向こうに寝返り、盤上の国の軍力は圧倒的劣勢のまま抵抗しています!国民の避難は現在進行中!そもそも我らの狙いは女王・・・。」

ジャックの無表情が僅かながら上に動く。咎めるような鋭い目付きで睨んだ。

「我らの狙いは女王、とはどういうことです?

「あ・・・いや、その・・・。」

兵士の目が泳ぎ、声がワントーンほど急に高くなった。

「ここから一番近くて安全な場所を教えてください。それで今のはなかったことにしましょう。」

「・・・案内します。」

ジャック達はどこかモヤモヤとした気持ちを抱えたまま、兵士に続いて死体が転がる森を進み、更なる暗闇へ足を踏み入れた。安全地帯に近づいていくとあって、耳を塞ぎたくなる騒音は聞こえなくなった。


「ここでございます。」

荒い岩肌が露出した崖が立ちはだかっていた。兵士が手のひらをかざすと、空間が波紋状に歪んだ。

「これで入れます。どうぞ、こちらへ。」

兵士は躊躇いなく前進。空間の中に吸い込まれた。固まるハミルトンとは対照的に、ジャックは平然と中へ入っていく。中は想像以上にちゃんとした部屋が設けられていた。木の板を四方に打ち付け、木材の温かい匂いがこもる。床には大きな麻布が敷かれ、よく見れば切り口がじぐざぐだで綺麗ではない。部屋の隅に巾着状に結ばれたパンパンの袋が積まれているが、袋もまた同じ麻布で出来ていた。広さもちょうどいいぐらい。即席として作られた避難所なら十分すぎる完成度だ。


でも、その奥にいるのは。


「私みたいなド派手女がこんな目立たない、地味なとこにいるのはそんなに変かしら。」

アリス達と愉快なチェスで遊んだ少女だった。派手とはいうが、可憐な少女が一番ほど遠い甲冑を身に付けており、しかもなかなかの様になっていた。そのせいで質問が二つ三つと増えたけど、甲冑については一旦置いておこう。

「あなたは・・・!」

「久しぶり。」

あいも変わらず親しげに話しかける。ジャックが彼女の御前で片膝を立てて恭しく跪いた。ハミルトンは二重の驚き。案内役の兵士が説明した。

「あちらの方は鏡の国の現女王、エデルトルート=ヴィクトリア様であらせられます。」

「えっ!?な・・・なんだって!?」

両手と両足を横に広げてのけぞるハミルトンの格好はさながら壁際に追い詰められた犯罪者だった。

「嘘だろ!?・・・嘘、じゃないんだよね。」

ハミルトンに促されて二人も並んで跪こうと屈むのをエデルトルートに止められた。

「もうやめてよ!話しにくいじゃん!キャメロンも頭上げて。」

そう言われれば誰に咎められたわけでもなく自ら頭を下げたのだ。兵士だって彼らの一連のやり取りに一切口を出さない。

「あら、だから敬語じゃなくていいのに。あたし公認のお友達だから。」

「ともだち!?」

兵士「大変気に入られていますよ。」という小声にさらに気が引き締まってしまった。対等に話すにはこちらの立場があまりにも不相応すぎる。

「ところでキャメロンって誰?」

ハミルトンが周囲の顔ぶれを見渡す。名前が明かされていないのはここまで連れてきてくれた兵士のみ。

「・・・私の本当の名前です。あの、面倒なのでジャックでお願いします。」

エデルトルートは口元を覆って大きく開いた目を大袈裟に瞬いた。ハミルトンの方をチラ見しながら苦笑いで俯いていたジャックは咳払いですぐにいつもの従者モードに切り替える。

「エデルトルート女王陛下、私達を匿って下さったばかりでこの様な事をお尋ねするというのは大変不躾ではございますがお許しを。・・・いつ頃からこの計画を?」

みんなの表情が強張る。神経はピアノ線のようにピンと張った。

「おそらくフィオーナ様の状態を把握した直後に実行なさったのでしょう。連絡の手段も気になるところですが、なによりこの現状況に至るまでが早すぎる。かなり前段階から準備をしていたとしか思えない。」

「ええ、そうよ。」

勝ち誇った高揚感を抑えきれず不適な笑みとしてあらわれて。

「悪いけど、アンタ達が想像しているより前から計画していたのよ。」

声から自信しか感じられなかった。目上の者ばかりに喋らせるのは失礼と言わんばかりに兵士が次に続いた。

「我々は鏡の国の女王、エデルトルート様に使える兵士。随分と前からこちらの兵士となり潜伏していたのです。」

「・・・。」

この兵士の言葉を思い出す。「我らの狙いは女王」と言ったのは、敵国の兵士だったから。変装していたために違和感が生じたのだ。

「・・・私とした事が、気づきませんでした。」

「こちらも正直不安でした。」

兵士が本音をこぼし、エデルトルートは呆れて言い捨てた。

「アイツは他人そのものには興味ないから少しずつ入れ替えてもばれやしないわよ。」

ジャックは複雑な気分に渋い顔。

「入れ替える・・・?」

ハミルトンの呟きにが自身が聞くはずだった質問を奪ってしまい、他の兵士が真摯に答えてくれた。

「そちらの兵士を反対に鏡の国に送りこむ事で数の調整を行なっていたのであります。」

「送った我々盤上の国の兵士達はどうしたのです?」

「洗脳という飴と拷問という鞭を巧みに使い分け、様々な手段を用いて自らの駒に仕立て上げたのです!」

兵士はたいそう誇らしげだがこればかりはエデルトルートも失笑。

「うーん、語弊。」

調子こいた兵士はもれなく身ぶり付きで説明してくれた。

「彼らにかけられた魔法が強力だった為、完全に解くには時間を要すると考えた上での長期にわたる作戦だったわけであります!そちらには我々の同胞、加えて同胞が増えてこっちが優勢!我らが女王様の方が一枚も二枚も上手だったわけでございます!アリス様のおかげで女王様の近辺の護衛達も数に加えられましたし。」

アリスは彼女と話したことはあれど、他に兵士らしき人と話した記憶はなかった。

「あの時、チェス盤の上で戦いを繰り広げた可愛い駒達。アリス達とお別れした後の出来事だったけど、自由の鍵の力で人の体を手に入れたのよ。そういえばアリスは?」

この際駒などどうでもいい。実を言うと今までのエデルトルートの話の半分は耳を筒抜けていた。待ってましたと言わんばかりに身振り付きで必死に説明する。

「訳のわからない部屋で、変な果物食べて気を失って、消えちゃったんだ!」

とは言え、これだけで彼の伝えたい状況がどれだけ伝わるだろうか。

「うーん・・・ちょっと待って?どこから理解すればいいのかしら?」

「僕もわからないから困ってるんだよ!」

無理難題を押しつけられたみたいで、眉間にシワいっぱい寄せて腕を組んで俯く。しかしいい答えは出てこず、ハミルトンも気が焦るばかり。

「ま、つまりは女王を殺すために色々手を回していたってことよ。アリスはあたしの恩人でもあるからねぇ。落ち着いて、詳しく話を聞かせて頂戴。」

その後はジャックも加わって、包み隠さず起こったこと全てを話した。エデルトルートは回せる兵士を集め、アリスを探すよう指示を出した。

「あの、トイレってどこ?」

「あー、ちょっと待って。」

エデルトルートが奥の壁に手を触れると波紋状に空間が揺らぐ。

「この先真っ直ぐ行ったらあるわよ。」

「便利だな。ありがとう。」

通り抜けた先には先ほどの部屋と同じ造りで出来た廊下が続いて、すぐそばに少し薄汚れた扉。ハミルトンは決して用を足したかったわけではない。ただ、少しでもいいから一人になりたい、それだけだった。

「・・・アリス、どこへ行ったの?」

扉を開けるのも億劫になる程、気分が沈んでいたハミルトンが壁に背をもたれると、帽子に固いものがぶつかる衝撃に頭がガクンと下がり、足元に頑丈な表紙で綴じられた絵本が落ちた。

「なっ!?」

慌てて頭上を見ても、天井しかなく、穴が開いているわけでもない。おそるおそる本を手に取った。表紙は、アリスにそっくりの金髪の女の子が笑っている絵に、タイトルは黒いクレヨンで塗り潰されていた。

「なんだこれは・・・絵本?」

ページを捲る。

「え・・・。」

絵本に描かれた少女はハミルトンの知っているアリスだった。ハミルトンは震える声で、可愛らしい手書きの文字を読み上げる。文章で綴られた少女の特徴もアリスそのもので・・・。しかも驚くのは、この中に出てくる白兎というキャラクターは自分の名前で、特徴もまた自分で・・・。

ハミルトンは、物語を結末まで一気に読み飛ばした。最後を飾る文章はこう綴ってあった。


「アリスは自分の好きなように作り替えたこの世界で、いつまでも幸せに暮らしました。」


めでたし、めでたし。

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盤上の国のアリス 時富まいむ @tktmmime

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