裁判茶番劇

連れてこられたのはドラマでも見たことのない大きな裁判所。ホール状になっていて開放感のある空間。二段、三段にも観客席があり、アリスは一番下の一番外側の端っこの先に座らされた。被告席から随分と離れた先には、アリスと同じぐらいの年頃の少女が座っていた。赤い王冠を戴きに、照明に照らされた長い銀色の髪は晴れ空の下に輝く雪の絨毯みたいにキラキラと輝いていて、ヘレンと同様の褐色の肌が際立たせる。華やかで上品な佇まいの中に、空っぽで吸い込まれそうな瞳はより浮いて見えた。

「静粛に、静粛にィ!!」

元からそんなに騒いでいなかったところ、女王の隣の裁判官が声を張り上げる。観客席全体に緊張が走り、人一倍神経質になっているアリスにも伝わってきた。

「盤上の国の女王、フィオーナ=ベルベット様が裁判長を務める第200回緊急裁判の開廷!開廷!!」

カンッと、開廷を知らせる木槌の音が響く。

「今回はクロケー大会中止の件についての裁判である。被告人、こちらに。」

無駄な前置きの一切ない裁判の始まりが告げられた。観客席の間の扉が開かれてやってきたのは兵士に囲まれた質素な服装のジャックと、彼の前を歩くのはなんとハミルトンだった。ハートと薔薇のモチーフをあしらった畏まった衣装を身に纏っている。観客達は知らない、予想もできない。誰が疑わしきかを考えもできない皆はその顔を見てさぞかし驚いただろう。しかしハミルトンの方を見て反応を露わにする者は少ない。だって、女王の部下の白兎が彼女の指示に従うのは当然だから。ただ一人の例外を除いては。

「ハミーさん!?」

驚愕と混乱のあまりアリスが席を立ったが裁判官にぴしゃりと叱り付けられた。

「そこ、お静かにお願いします!」

アリスは黙った。今は聞いても取り合ってくれないと諦めた。きっとかにかしら事情があるのだとも考えた。ジャックは被告席へと案内される。気のせいだろうか、俯いてはいるものの落ち込んでいる風には見えなかった。

「単刀直入に尋ねる。あなたが今回の件を引き起こした犯人だと。」

右陪席の裁判官が最初の質問を述べる。

「はい。」

ジャックは素直に肯定した。

「動機は「道具に施した魔法が切れて使い物にならなくなり、新しい道具を用意するには時間がかかるため。」との事だが、本当か?」

今度はやたら威圧的な態度で詰問した。ジャックは相変わらず動じない。

「はい。」

「納得いかない点は多いが、罪を自ら認めているのなら、まあいいだろう。」

アリスにとって裁判は単純な形式でしか理解していない。それにしても「まあいい」などの言葉で触れるべきであろう点を終わらせてしまう辺り、いかがなものかと疑問に感じた。裁判は順調に進んでいく。

「女王主催のお祭りを中止に追い込んだ罪を犯せば普通なら即刻死刑だが、被告人は女王様より大会の準備の総指揮を任されていたのを全て背いたと言うことになる。それがおかしいと女王様は仰っている。」

すると、フィオーナの咳払いを合図に彼女の発言を待った。

「私の命令に反した行動をとった場合、全身に痛みが生じる刻印を刻んでいます。それがどれ程の苦痛か、本人がよくご存知でしょう。そんな苦痛を耐えてまで、なんの得も無いのに、なぜこのような愚行を?」

ジャックは黙ったまま。

「私の質問に答えられないというのですか?」

周りの兵士が急にソワソワと、仲間と視線を合わせたり、口なんかは両端が下へ落ちていた。「何ということを」と言葉に出さずとも言っている風に見える。アリスはこの国のことがわからないが、女王様の言うことを無視したとなればこの気まずいを通り越した空気もなんとなく理解できる。

「貴方の真の動機は何ですか?お答えなさい。」

そして命令に背くことが意味するのは、先程フィオーナが説明した・・・。突如、ジャックが膝から崩れ落ちた。痛みに耐える歯軋りから鋭く細い息が漏れる。つっかえる胸の苦しさには呼吸もろくにできていないが。「白兎」として振る舞わなければいけないハミルトンはそれでも見ていられず、顔を逸らし、他の兵士も甲冑から覗く顔に焦りが見える。

「さあ、言うのです。」

フィオーナはしつこく聞いてきてやめない。当然ながら彼の容態を全く気にかけない。予想できていたとはいえ、このような状況に観客はざわめく。優しいアリスにとっては「ひどい、このやり方はあんまりだ」と見ていられないほどの嫌な光景だった。

「・・・兵士共に命令します。」

仮面を被っているのかと思いたくなるほど微動だにしない無表情からヒステリックさえ感じるキンとした大声が発せられた。

「罪人の服を剥げ!!」

信じられないと驚いたのはおそらく全員。なぜ、この状況でとち狂った命令を?フィオーナの目はとても真っ直ぐに見下ろしていた。正常だ。

「いや、しかし・・・!」

兵士はうろたえた。誰かがやらねばならない→でも自分はやりたくない→やらねば女王から役立たずのレッテルを貼られて直後に殺される→誰かがやらねばならないの堂々巡りだ。誰かがやってくれたら良いのにとみんなが願って自分は動かない。

「女王・・・私は・・・。」

ジャックの上げた顔には脂汗が滲んでいた。痛みに体が耐えれなかったのだろうか、表情に力んだ様子も緊張もない。疲れ果て衰弱しきっている、と言った具合だ。

「・・・白兎。やりなさい。」

「はっ、畏まりました。」

ハミルトンが服の中にしまっていた皮のケースからナイフを取り出す。触れただけで皮膚が切れてしまいそうなほどの鋭利な刃が照明の光を反射して怖気のする輝きを放つ。ハミルトンは躊躇いなく、彼の服を縦に切り裂いた。


皆が皆一人の男の露わになった裸体に注視した・・・が、正直「それがなんだ」と言いたいだろう。だってなにひとつなんにもないのだから。傷も痣もない、痩せ型の色白の肌が露出しているだけ。女王側にとっては大問題だった。

「こ、これは・・・!」

女王を挟む二人が動揺する。フィオーナの眉が僅かに動いた。

「発動した時、刻印は浮かび上がるはずなのに。私にも付与した同じ刻印も共鳴しない・・・。」

袖を捲ると、棒切れのような細い腕が見える。それ以外には何もない。検察官が顔をぎらつかせ嫌な笑みを浮かべながら立ち上がり、これみよがしに手でさした。

「では!彼は命令に背いてもデメリットがない!なら平気であんな騒ぎだって起こせるんだ!」

「バレては意味がないがな。」

弁護士が小声で嫌みを返した。興奮気味の検察官の耳に入らなかった。

「待て。」

左陪席の裁判官が尋ねる。

「刻印はどうやって解いた?」

「・・・・・・。」

ジャックは黙ったままだ。先ほども全て演技だとすれば大したものだ。本当に痛みを知るものだからこそ出来る演技である。顔には別の疲労が窺えた。だが、フィオーナのかけたそれがもう意味を為さないのなら彼がだんまりを決めようと答えさせる術がない。

いや、あるにはあるが、聞いても意味がないのだ。

「かけた私しか解くことができません。」

誰にも解くことができないのだから。だが、女王様が解くなんてそれこそ意味のない事をするはずがないし、脱がすからの流れも全くの無意味。

「じゃあ彼は一体?」

「なにがどうなってるの?」

周りは再び混乱。聞いてるアリスもさっぱりだ。しばらくして、フィオーナが口を挟んだ。

「方法ならたったひとつだけありますが。」

みんなが黙り、注目する。もう何度この光景を見ただろう。厳かな雰囲気で固めたフィオーナが発した言葉は、たった一言。

「自由の鍵。」

その一言だけで会場がどよめき始めた。ショーを見にきた際、演者が入場する前の緊張と高揚の間の賑わいだ。

「女王様、まさかそんな・・・あれはお伽話でしか語られぬ代物でしょう?」

検察官が物申し立てる。フィオーナが見向きもせず指を鳴らすと、なんと検察官が斧に切られたように綺麗に首と体が離れ、頭は地面にぼとりと落ちて時間差で胴体がゆっくりと倒れた。噴き出す血が弧を描く。流石のこの光景にはそばにいた観客は悲鳴を上げて席がガタガタと揺れる。

「・・・っ!」

アリスは凝視した。これが今起こったことだと信じられなかったから。やがて現実だと理解していくと途端に全身から湧き上がる恐怖に声すら出なかった。足元から冷たい風が勢いよく吹き付けて息もできないような感覚だった。

「検事が・・・!」

弁護士が何が言いたそうだが慌てて自らの口を押さえる。誰だってうっかりでああなりたくない。一方フィオーナは何事もなかったみたいに続ける。

「私もそう思っていました。しかし、他の誰にも解けない魔法を解くにはどんな魔法も解いてしまう自由の鍵のみ。」

検察官がいなくなった今、仕方なく左陪席が代わりの役も担った。

「そういえばジャック様は女王様から「鍵の持ち主を見つけ次第捕らえる」と命じられていましたが。」

意味深な沈黙が続いた。ジャックがなんと答えるかをフィオーナは待っていた。


「・・・。」

ジャックは指をさした。

「あそこにいる少女です。」

その先にいたのはアリスだった。

「捕らえようとした所、鍵の力で私を自由にしてくれる代わりに見逃して欲しいと言われたのです。」

アリスは頭が真っ白になった。自分はここにはただのお客さんとして連れてこられたはずなのに短い時間の中でまさか共犯者と差されるだなんて。それに彼の言い分は真実を嘘でこねくり回されている。彼がなぜそう言ったのか、アリスの思考は及ばない。

「アリス。あなたは鍵の所有者ですか?」

アリスはなんとか冷静を保った。はい、と答えたらどうなるかわかっているから。目の前にいるのは民を縛る国の女王様なのだ。

「いいえ。」

アリスの意思がかたくなに拒んだ。フィオーナが淡々とした口調で命令を下す。

「兵士共。命令です。彼女が鍵を隠しているかどうか、今この場で隅々まで探しなさい。脱がしたって構わない。」

「女王様!それはいくらなんっ!」

「白兎、ダメです。」

ハミルトンが反論しようと身を乗り出そうとするとジャックが睨んだ。

「今は耐える時です。」

「クソ・・・!」

二人の会話は喧騒に紛れる。ハミルトンは今にも飛び出したい気持ちを握り拳に力を込めて必死で堪えた。抵抗を感じる兵士達。今度の相手は少女だ。だが、横たわる死体を目の当たりにした彼らに拒む選択肢はない。

「やめて!離して!!」

いいえなんて嘘だ。探せばすぐに見つかってしまう。非力な少女では抵抗も虚しい。可哀想に。裂かれ破られはせずとも、布だけの服はあっという間に剥がされて放り投げられる。

「別に持っていなければ堂々としていれば良いのです。」

なんてフィオーナは言うけれど。

「そういうことじゃないよなぁ?」

「公の場でひん剥かれるのは誰だって嫌だろうに。」

観客が哀れな目を時折向けては同情を話し合う。裁判官二人も、唇をぎゅっと噛んでいて無理に厳しい顔を作っていた。ついにはほぼ裸で晒されたアリスを探ったうちの一人の兵士が前に出て。

「女王様!ありません!!どこにも見当たりません!」

と、叫んだ。一糸纏わぬ姿に隠すところなど何処があるだろう。色々な意味で身の潔白が明らかとなったアリスだったが、鍵がないだなんて大問題だ。アリスの頭の中は恥辱と虚しさと、それ以上に鍵の事でいっぱいいっぱいだ。

「落としたのでしょうか?あるいは他の場所に隠している?」

独り言のように呟いて、またも命令を下す。

「・・・牢屋にぶち込みなさい。」

兵士が上擦り気味に声を上げた。

「身の潔白が明らかになったではありませんか!なぜそのような・・・!」

指を鳴らす音と共に首が弾け飛んだ。兜を被っていた頭が鈍い金属音と共に落下。アリスは小さな悲鳴を上げて体が跳ねた。

「こうなりたくなければ黙って従いなさい。」

兵士達はアリスの腕を掴み立たせた。アリスも抵抗しなくなった。むしろ逆で、震えて力の入らない足で歩くのがやっとだった。フィオーナがハッとした顔を浮かべたあと、やっつけ仕事みたいな木槌を鳴らした。

「ジャックの判決について死刑です。彼には私から個人的に聞きたいことがあるので、あとにします。監視を怠らず。裁判はこれにて閉廷します。」

アリスの後ろをジャックは連れて行かれる。せっかちな観客はもう立ち上がり、あとは席を立った後兵士の案内とともに出入り口に導かれる。

「まるで茶番だね。」

誰も見向きもしない天井に薄らぼやけて現れるチェシャ猫のニヤニヤ顔。彼のお得意芸だ。

「ま、不思議な国の裁判なんてこんなもんか。」

楽しげな声を残して消えていった。




–––・・・。

なんでこんな事に。

こんな事になるなんて、こんな事になるまで思いもしなかった。

陽の光がろくに入らない格子がはめられた小さな窓。顔がはまるほどの枠しかない。そもそも逃げられるわけがない。牢屋に閉じ込められたアリスの腕は枷、繋いだ鎖は壁に杭で止められている。服は下着だけで他の服は隅に放置。

「・・・。」

今の状況と、鍵の在り処、ハミルトンの事。疑問の一つ一つが大きすぎて、考えすぎてめまいがしそう。でも一番気になるのは自由の鍵。女王の手に渡ればこれまでやってきたことが水の泡だけでは済まない。みんなの得られた自由がまたも奪われかねないのだから。

こうしていられない。探さなきゃ。

現状を変えられる力がないのに気持ちだけが逸り立つ。枷さえなければ暴れてしまいそう。焦りと苛立ちが募る。やがてヒールのコツコツという足音が近づいてくる。入ってきたのはフィオーナ。感情を悟られないよう、疲れだけを表に出した。

「また会いましたね。・・・何故このようなことを?と聞きたいのでしょう。」

扉の前に突っ立って、吊るされたアリスを見下ろす。表情、視線、声、全てが冷たい。

「鍵の在り処以外に聞きたいことがあります。貴方でしょう?盤上の国のアリスという名の童話をくだらない妄想でめちゃくちにしたのは。」

答えようがなかった。質問の意味が理解できない。

「忘れたの?そんなに昔の話ではないはずですが。ああ・・・そっか、都合の良い妄想ばかり綴るお花畑みたいな脳みそは都合の悪い話は忘れる仕様なのですね。」

アリスにとってはにわかに信じがたい話だ。思い出せていない記憶がまだあったのだろうか。というより、なぜ住む世界が違う彼女がアリスでさえ忘れている記憶の一部を持っているのか。フィオーナは構わず続けた。

「作者でもない一読者の気持ち悪い妄想が物語にはない展開に改変されていく。虚構の妄想によって人格そのものを作り変えられてしまう。この世界の人達は所詮童話によって作られたキャラクターでそれすらも自分の意思による行動だと思っている。貴方がしたのはそういうことよ。・・・なんてかわいそう。この世界は童話の世界で、自分含めた全員が作られたキャラクター」だと理解している私から見たらとても残酷。」

貴方アリスに話しかけているはずなのにアリスの理解は置き去りに、一方的に自らの昔語りをしているかのようで、加えて情報が多い。どれに絞って考えればいいかわからない。

「アリス=キャロル、いつも部屋に閉じこもってウサギのぬいぐるみを連れた少女。原稿用紙やキャンバスに書いた言葉が私たちの全てを変える。その時の様子が、声が、私の頭に流れ込んでは抗えないことに苦しむ。」

フィオーナはやっと足を動かした。一歩一歩ゆっくりと、何かを試す歩き方。

「わかるはずもない。世界に存在しない誰かが主役となりぽっと現れ、それに都合の良いよう弄られた世界を自分も周りも知らん顔。全てを知りながらも物語の展開と外からの力には勝てず黙ってやり過ごすしかないと諦めていた時の私の痛み。」

アリスの前にしゃがみ込み、顎を手で持ち上げる。皮膚を伝わる温度もひどく冷たかった。

「ほんと、思い出しても気持ち悪い。盤上の国は貴方にとってさぞ素晴らしい場所だったでしょう。貴方は楽園より天国の方がお似合いよ。」


余計な一言をどうしても添えたくなるぐらい、アリスに対し深い憎しみを抱いている。そんなフィオーナの目に軽蔑の色が見えた。


「公爵夫人はあなたのお友達にはならない。」

「チェシャ猫はあなたに懐いたりしない。」

「お茶会はあなたを特別扱いしない。」

「帽子屋はあなたの××にはならない。」

「女王様はあなたを許さない。」


淡々と無機質に述べた後、顎から手を離した。アリスの瞳孔は縮こまって震えている。

「忘れたままでは意味がありませんね。早く思い出してもらいたいものです。」

立ち上がった彼女は目の前で見下ろした。突き放すような目つきだ。

「さて、それら真実は貴方が鍵の持ち主だと示す証拠にはなりませんが、貴方ならやりかねない。そう思ったです。はぁ・・・私が守っていたものを、また壊そうとするのね。」

ため息まじりで、物憂げだな彼女にアリスが初めて強く言い返した。

「私はただ、貴方の理不尽な束縛から解放しようと・・・!」

アリスが鍵を用いてやってきた今までの行動は全てこの世界の住人を思っての事だった。そして今度は、澄ました態度が殆どのフィオーナが鬼の形相で顔のあらゆる部位を拡げて吠えた。

「滅茶苦茶にされた童話を元に戻し、二度と同じことが起きないよう守っていたの!隙をうかがいながら動き、失った物も多かった。一人の人間が綴った物語をなんだと思っているの!?」

肩を激しく上下させる。息も荒い。少しずつゆっくりと呼吸を整える。最後の一息で全身の緊張を抜いた。

「今、白状しましたね。」

静かに告げた一言に、身震いした。つい感情的に発した言葉で自らの首を締めたのだ。偶然か、はたまたフィオーナの計画のうちだったのか。

「まずは鍵を手に入れないと。ここまでどう来たかを教えてくだされば、道を辿って落としと鍵が見つかるかもしれません。」

指を鳴らすとすぐに忙しない足音がかけつけ、ハミルトンと一人の兵士がノックもかける声も無しに入ってきた。

「お呼びでしょうか!女王様!」

ハミルトンは未だ困惑した様子で見てくるアリスを無視した。

「この少女は鍵の現所有者ですが、どうもここにくる途中落とした可能性があります。お城までどのようなルートを通ったのかを聞き出しなさい。」

「畏まりました。しかし殺したほうが早くないですか?」

絶望をすぐそばで感じ、見開いた目がぶれて定まらない。ハミルトンに対し助けを乞う情けない顔を上げても、見てくれはしない。フィオーナは小さなため息をついた。

「それで済んでいたらあの場でやっています。私にも考えがあっての発言だというのに。」

「し、失礼いたしました!」

慌てて敬礼。あの場という言葉によって少しでも逆らって女王の機嫌を損ねたらどうなったかを嫌でも思い出してしまった。

「おい。どうやってここまできた!」

ちょっと威圧的に、かつシンプルに質問する兵士の背中にフィオーナは力強い蹴りを入れた。そのか細いおみ足のどこにそんな力があるのかと思うほど、威力は相当。兵士の位置がやや前に動いた。

「すぐに答えると思います?裁判でのやり取り見たでしょう。馬鹿ですか貴方。」

確かに、あんな目に遭ってだんまりをきめていたのだから「ただ聞いただけ」で素直に答えるはずもない。

「尋問では意味がありません。拷問です。」

「はっ、承知いたしました・・・。」

兵士は皆女王ほど冷酷な者はいない。でも、自分の命と他人の命を天秤にかけられたら逆らえないのだ。

「何をやっているのです、白兎。貴方もですよ。さっさとやりなさい。」

ただ呆然としているハミルトンに対し、当たり前に命令した。

「え・・・ぼ、私め・・・。」

声と足が震える。足の震え具合は生まれたばかりの子鹿だ。彼は彼で究極の選択肢を突きつけられていた。彼自身はアリスを自分の手で傷つけるなんて絶対にしたくない。でも背いたら?ハミルトンも死ぬのは怖い。死ぬだけならまだ良い。冷酷で狡猾なフィオーナはアリスを更に利用しかねない。結局、選択肢がないのと一緒である。

アリスからは追いつめられた犯罪者のような怯えた瞳で見つめられる。そんな目で見られたくなかったが彼女の立場で考えれば仕方ない。一方でアリスは抱きたくない疑心、逃れられない恐怖、罪を犯したとしてそこだけが思い出せない焦燥、不安。沢山の暗い気持ちに支配されている。ここまでくればどうしていいか冷静な思考もできない。唯一の心の拠り所のハミルトンは助けてくれるどころか手を出そうとしている。

「早く!!」

フィオーナは急かす。裁判の時にも一度だけ聞いた大声が狭い場所だとよく響いた。ハミルトンは鞭を持った手を小刻みでとてもゆっくりと上げた。従うしかないのだ。誰にも女王様は止められない・・・。

「女王様!!」

「煩わしい。何事ですか?」

お呼びでない兵士が慌ただしい様子で走ってきた、その手に握っているのはなんと、自由の鍵だ。アリスが驚いて体ごとそっちを向きたかったが枷がガシャンと揺れただけだった。フィオーナの表情もわずかに綻ぶ。

「鍵が!見つかりました!」

「あら、本当?」

アリスとハミルトンが止まる前に触れた瞬間だった。


「なっ・・・。」

鍵が光った。フィオーナが兵士の手から鍵を取っただけなのに、アリス達も見たことのない光を放った。目がくらむほどまばゆい光が牢屋にひろがる。まぶたの向こうに何も感じなくなった。そっと目を開けると・・・。フィオーナが石になっていた。目と口を大きく開けたまま固まっている。

「何が起こった!?」

アリスは茫然。パニックになったのはハミルトンただ一人。フィオーナのそばにいた兵士はなんともない。女王様が目の前できれいな石像と化したわりには落ち着いていた。

「えっ・・・?」

拷問のために呼ばれた兵士がアリスにはめられた枷を外し、脱がされた服を渡した。

「今のうちに早くお逃げなさい。」

状況が目まぐるしく変わりすぎてすぐに行動できない。しかし。

「いいから!」

懇願にも近いぐらい必死な兵士に、ハミルトンは迷わなかった。アリスの手を取り、牢屋を抜ける。広い廊下を誰ともすれ違うことがなく不安を煽るが、今はとにかくここから脱出しないと。アリスも気持ちは同じだ。ただ逃げることだけを考えていた。


城を抜けても人がいなかった。城門を抜けると。

「こっちこっち!」

なんとはぐれていたジャスミンと再会。手招きされた先には、これまたとんでもない光景が。真新しく真っ赤なクラシックカーが待ち伏せていた、しかも運転手はニコラス。助手席にはマーフィー。お茶会のメンツが車に乗ってやってきた。

「帽子屋さん!?」

「やあやあお嬢さんと白ウサボーイ!随分やんちゃやってるじゃないか、ハッハー!」

窓から手を振るニコラスはいつになく上機嫌だ。

「逃げるにはこれでしょ!はやく乗りなさい!」

背中を押され、後ろの席にアリスを挟んでハミルトンとジャスミンが座った。

「あ、あの・・・なんでニコラスさん達が?」

アリスの質問に対し。

「運転しながら話す・・・帽子屋の言葉は当てにしないほうがいい・・・酔っ払ってるから。」

無口なマーフィーが答えてくれた。いや、それより。

「マーフィーさんが喋った!?」

「いや、ちょっと待って!酔っ払ってるって言わなかった!?飲酒運転じゃないか!」

二人のツッコミは、踏み切ったアクセル音とジェットコースター並みの急加速にもみ消された。

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